167. ドヤっ☆


「あーキッツ……」


 灼々と燃焼を続ける腹部を労わりながら施設内の廊下を歩く。


 施設と言っても更衣室とフロント、簡易的な売店がある程度の小さな建物だが、しっかりと冷房が効いているだけだいぶマシ。他のコートは今日も一般開放しているとはいえ、なにも参加チーム揃ってコート脇で待機させなくてもとは思う。



 有希特製の激辛麻婆豆腐をなんとか平らげたは良いものの、あまりの辛さに全身の痛覚はこの30分間麻痺したままであった。


 愛莉の作ってくれた野菜炒めも、玉子焼きも、何一つ甘みを感じなかったのだから酷な話である。あんなに和気藹々とした雰囲気だったのに。誰も得しない悲劇。



 こんなことなら、もっと露骨に食べるの辛いアピールでもすれば良かった。やたら自信満々に味を聞いてくるものだから、辛さ以外は悪くないと答えるしか無いだろ。わざわざ作って来てくれたのに。


 きっと相手が有希じゃなかったら、もっと冷たく突き放してたんだろうな。というかフットサル部に入る以前の俺ならそうしていただろうに。


 とことん美少女に甘い。

 甘味は暫く感じないだろうけど。



(あったあった)


 そんなわけで糖分を摂取したくなった次第であり、自販機を探し求めて数分。フロントのすぐ近くに並んで立っているところを発見する。


 まだまだ時間があるとはいえ、順位決定戦に影響が出ないようにしないと……かといって冷たいもの、甘いものを取り過ぎるのも逆効果だし、何とも難しい選別だ。無難にカルピスとかでいいか。


 財布の中身には若干の余裕がある。なんならアイツらの分も少し、と考えて手を止めた。思い出すまでもない。俺は今月だけで何回アイツらにアイスを奢り、巡り会う度にどれだけの出費を重ねてきたのだろう。


 優勝の景品、1万円分の図書カードはすべて俺のモノだ。文句は言わせん。



 落ちて来たペットボトルを拾い上げると、何やら自販機から軽快な機械音が流れている。顔を上げてみると、数字の7が綺麗に四つ並んでいた。ああ、もう一本当たるタイプのやつか。


 どうしよう。要らないんだけど。なんでこう、こんなどうでもいいところで運を使うかな。生きるの下手くそかよ。



「……まぁ、別にええか」


 押さなきゃ時間でリセットされるだろ多分。

 そのままコートへ戻ろうと自販機に背を向けた。


 の、だが。



「ちょっと待ったァァァァーーッッッッ!!!!」

「えっ」



 廊下の方からバビュンと効果音付きで影が飛び出して来たかと思うと、そのまま俺の……いや、違うな。自販機だ。自販機へ猛ダッシュで突っ込んで来た。


 とは言え目の前に立っているのは俺なのだから、衝突するのも馬鹿らしいと前を譲ってみたところ。フローリングの床をシューズで慣らし、急ブレーキで彼女は立ち止まる。



「ギリギリっ、セーフっ!!」


 透き通るような人差し指をピンと立て、上段中央のコーラを選択。ガラガラと落ちて来たそれを取り出して、満面の笑みを連れてこちらへ振り返る。



「…………ど、どーも」

「要らないなら、ノノが貰っていいですよねっ!」

「べ、別に構へんけど……」


 秒速で蓋を開け、豪快に飲み干す。


 着いて行けていない。そのテンション。

 察して欲しい。諸々。



「いや~助かっちゃいました~っ! いくら真面目に運動してるとはいえ、偶にはこういう身体に悪いものも摂取したいじゃないですかっ! 偶には、ですけどねっ!」

「……あ、はい。そっすね」


 めちゃくちゃフレンドリーに話し掛けて来てるけど、俺、この人と面識無いからな。なんで初対面相手にこうニコニコと澱みなく会話できるんだろう。瑞希かよ。



(……いや、待て、コイツ確か……っ)


 初対面、というのはもしかしたら嘘かも。

 何故なら、この顔。既に知っている。



「…………アッ!? しまったぁ!!」

「はい?」

「せっかく角からコッソリ観察していたというのに、これじゃ格好付かないじゃないですかぁっ! 決勝の舞台で、こうっ、ミステリアスかつ強キャラ的な雰囲気醸し出しつつ登場しようと思ってたんですよぉっ!」


 なんのこっちゃ分からんが、やっちまったと言わんばかりのオーバーアクションで頭を抱える彼女も、やはり俺のことを知っている。


 こんなヤバそうな奴とは思ってなかったけど。

 怖い。接し方が分からない。怖い。



「ふぅー…………まぁーっ、致し方ないですねぇ。どちらにせよご挨拶しなければならないのは確定的に明らかと言いますか、ええ、なんといいますか」

「は、はぁ……」

「ではっ、はじめましてっ! 市川イチカワノノですっ!」


 やはり笑いっぱなしで両手を差し出す市川さん。

 握手を求めているのだろうか。

 だとしたら両手って。圧が。


 一応にはという感じで差し出した右手を思いっきり握られる。女性らしい柔らかいもち肌だが、にしたってチカラ強いなコイツ痛い痛い痛い。



「既にご存知かとは思いますが、ノノはエレンシアのメンバーなのですっ。しかもスタメンなのですっ。ドヤっ☆」

「……まぁ、知っとるわ。試合観てたし」



 麻婆豆腐を消化するので精一杯だった節はあるが、彼女の、エレンシアのニ試合目もそれなりに視察しているつもりではあった。


 そして、彼女。市川ノノもスターターとしてコートに立っている。それも、1ゴール1アシストの活躍も。勿論、知っている。


 決して最重要選手というわけではないが、男女混合のチーム編成が義務付けられているこの大会において、うちのチームを除けば女性陣のなかでも際立った技術を持っている彼女は、エレンシアにおいても大きな価値を持つ存在なのだろう。



 だが、それ以上でも以下でもない。


 何より不思議なのは、そんな彼女、市川ノノが何故こうして、わざわざ俺と接点を持とうと近付いてきたのか。


 それだけが分からないのだ。

 ただ、対戦相手という、それだけだろうに。



「ずーーっと気にはなってたんですよ。夏休み前に、いきなり出来たフットサル部。それも「ウチ」に勝って設立が認められたってんですからっ、ビッグニュースでしたねぇ~」


 ウチ、というフレーズを機に、比奈の話していた彼女の素性を少しずつ思い出す。確か、彼女はサッカー部のマネージャーをやっているのだとか。



「マネージャー。だっけ」

「あれっ、ご存知でしたか?」

「いや、話に聞いたって程度やけど……」

「なるほど、なるほどっ。あの試合、ノノは見てないんですよ。Bチームの練習試合に着いて行ってたので。あの試合メインで出てたのは一年生、Cチームですね。で、大会前で調整してたAチームの先輩方が様子を見ると仰っていたので、マネージャー軍団はみんな出払っていたわけですっ」


 まるで推理小説の種明かしでもするような太々しい笑みを浮かべる市川さんであったが、別になんも上手いことも優れたことも言っていない。


 その程度でドヤ顔をするな。

 愛莉でももっと時と場所を選ぶぞ。


 でもまぁそういうことか。確かにあの試合、サッカー部は20人程度しか連れて来てなかったし。Bチームも合わせたら50人くらいはいると。意外と大所帯なんだな。



「そしたらもうっ、帰ってきてビックリですよっ! フットサル部って女子ばっかりって聞いてたんで、まさか負けるなんて思わないじゃないですかっ! いくらCチーム主体と言っても!」

「あぁ、いや、後半はむしろAチー……」


「そんなわけでっ、一年生とはいえ男子相手に勝っちゃうようなフットサル部がどんなもんか、ずーっと気になっていたわけですっ。ノノもお気楽な趣味の一環とはいえプレーする立場ですからねっ! しかもそのなかに一人だけ男子が居ると! そんなのスカウトしないわけにはいかないじゃないですかっ、というわけでサッカー部入りませんかッ! あっ、名前ご存じないんですけどッ、まぁいいですよねっ!」

「それはもう断っ」


「いや~~っ、偶然にしても奇跡的な出会いだと思いませんかっ! まさかノノが個人的に楽しんでいる趣味のチームが趣味で出る大会でカチ合わせるなんてっ、これはもう運命ですよ運命っ! あっ、明日はBチームとCチームの合同練なんでっ、早速顔出しましょうっ! なんせCチームの人よりも上手いってことは既に証明済みですからっ、誰にも文句は言わせませんっ! あっ、学年何年生なんですかっ? 3年生だったらA入りはちょっとアレかもですけどっ、たぶんなんとかなりますっ! さあイエスかハイ、若しくはオーケーノノちゃんと答えましょうっ! さあさあさあさあさあっっ!! さあッッ!!!!」



 握られたままの右手が、酷く軋む。

 待って。なにこの状況。



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