163. あー、焦ったー


「瑞希、リターンッ!」

「任したぁ!」


 敵陣中央でパスの出しどころに困っていた瑞希から、斜め後方へのパスを受け取る。前方には相手の男性選手が一人。それぞれ均等にマークが付いている。


 自分を含め、全員が敵陣まで攻め込んでいる状況。これだけ押し込んでいれば一人で仕掛けてみるのも悪くない選択肢だが、余力は残しておく必要がある。


 ハーフウェイラインまで下がって来た比奈までボールを戻し、組み立て直し。左サイドに流れていた愛莉と、最前線に立つ瑞希もラインを下げポゼッションに参加する。



 アウトプレーの時間がかなり少なかったこともあり、前半もそろそろ終わりに近い。リードこそ奪っているが、体力面の消耗を考えればもう一点欲しいところ。


 加えて、2-0というスコアは「危険なスコア」と良く言われる。


 理由としては、もう一点取って試合を決めに行くか、守りに入って勝ちに行くかの判断が各々で曖昧になってしまう点。


 そして、一点差に詰め寄られた場合、冷静さを失い一気に逆転まで持って行かれる展開が散見されるからだ。



(勿論、決めに行くけどな)


 それこそ来夏の大会で、なんとしてでも勝ちを拾わなければいけず、守りに入るような展開は予想されるだろうが。こんなところでシミュレーションしたって役に立つかは分からない。


 下手に勝ち負けを意識するくらいなら、まだ前半なわけだし。少し無理をしてでも追加点を狙いに行って、後半を楽にする方がよっぽどお得だ。失点のリスクも無いわけではないが。


 仕方のないことだ。未だゴールを奪えず、瞳をギラつかせている奴が一人、目に入ってしまったもんだからな。



「ライン下げろッ! 愛莉っ、前張っとけッ!」


 そんな一言を飛ばし、立ち位置をローテーションさせる。スタートと同様、俺がフィクソの位置に入り最後方に立つ形だ。


 比奈と瑞希も自陣に戻り、ゆったりとしたポゼッションが展開される。これをチャンスと見た相手チームは、徐々に守備のスタートラインを上げて来た。


 それでも、上手く立ち位置を入れ替えながらプレスを往なし、暫し単調なボール回しに終始する。



「陽翔くんっ!」

「瑞希ッ、バック!」

「あいあいっ!」


 恐ろしいほどのハイテンポでボールが動いていく。二人ともダイレクトで返してくるから、休む暇も無い。


 少し疲れも見えてくる時間帯だ。シンプルに俺へ預けて、前へ展開したい二人の気持ちも十分に分かるんだけど。俺だって、出来ることならそうしたいし。


 しかし、アッサリと2点を奪ったことで、相手チームのプレッシャーは確実に増している。不用意に攻め込んでボールを失い、リズムを損なうような真似は避けなければならない。


 だから、偶には頼るんだよ。

 うちのフィジカルお化けにな。



「比奈ッ、そのまま戻せっ!」

「りょーかいっ!」


 左サイドの比奈へ斜め前方へのパス。

 そのまま彼女へと近付き追い越す。


 タッチラインスレスレで再び比奈からパスを受け、ワントラップから一閃、一気に前方の愛莉へ、左脚を振り切りロングパス。


 敵陣まで圧力を掛けていた相手チームは、自陣に女性選手一人しか残っていない。このタイミングを待ち望んでいた。


 あとは、愛莉。

 お前が期待に応えるだけだ。



「やり切れッ!! 愛莉ッ!!」


 左足アウトサイドで巧みにトラップした彼女は、そのまま外へとボールを押し出し、シュートモーションへと入る。勿論、相手の女性選手もそれを止めようと足を投げ出すのだが。


 ここは一枚上手。ほぼ直角に切り返す、完璧なキックフェイントが決まる。


 たちまち相手選手は足元を滑らせ、バランスを失い転倒。ゴレイロと一対一になった愛莉は、右脚を豪快に振り切る。



「おっしゃああっ!!」


 前に詰めて来たゴレイロ、慌てて自陣に帰還し足を伸ばして来た選手らの懸命虚しく。ゴールネット右上に突き刺さる、矢のような一撃が決まった。


 待望の初ゴール。

 そして、時間帯含め完璧な追加点。


 滝のような汗をポニーテールに纏めた栗色の髪の毛から浸り落とし、拳を突き上げる。



「ナイスゴールっ、愛莉ちゃん!」

「やんじゃねーか長瀬ッ!」

「あははっ……あー、焦ったー」

「まさか比奈に先越されるとはな」

「どうせ偶にしか枠に飛びませんよーだっ!」


 なんて悪態を付く彼女だが、あくまで言葉だけでその表情は晴れやかなものだ。両腕から流れ出る汗を弾き飛ばすように、少し強めの軽快なハイタッチが決まる。


 なんにせよこの試合は貰ったな。ここからの逆転は、相手チームの消沈し切った顔色を垣間見れば、到底可能性の低いものと考えても良いだろう。少し、順調過ぎるくらいだけど。



 ホッと一息ついたところで、主審が前半終了を告げるホイッスルを鳴らす。コート周辺は、惜しみの無い拍手と盛大な騒めきに包まれていた。


 予想外も良いところだろう。

 5分の4女子のチームが、ここまで圧倒するとは。

 まっ、俺からしちゃ想定内だけどな。


 タッチライン外に置かれた箱型のドリンクホルダーに手を突っ込み、頭に垂れ流しつつ適度に水分補給。飲み過ぎても動きに支障が出るし、案外気を遣う。



「お疲れぇーっ! カンペキだったな!」

「後半は少しペース落とすか。疲れただろ」

「ぜーんぜん! まだ余裕っしょ!」


 とか言いながら滝のように流れる汗をボトルを傾け補給する瑞希であったが、声色を窺う限りまだ余裕はありそうだ。


 勝ってるときは良いんだよ。疲れも感じにくいから。コイツの場合、劣勢で一気に動きの質が落ちそうだから怖いんだよな。信用はしてるけど。なんなら調子に乗らせておいた方が良いのかもしれんが。



「愛莉も比奈も、ええゴールやったな」

「えへへっ、ありがとう。自分でもビックリしちゃったよ」

「全然やれるわね。ていうかむしろ……」

「楽勝ってカンジ?」

「黙れ声デケえアホ」


 瑞希さんな。思ってないこともねえけど。

 口に出すなよ。失礼か。



「しかし、優位であることに違いはありません。そうですよね?」

「……前半、何回ボール触った?」

「二回です。暇です」


 ここまで全く仕事をしていない琴音が、無表情のままそう呟く。チームとしては良いことなんだろうけれど、こうもやることが無いと可哀そう。



「気は抜くなよ。いつ飛んで来るか分からんし」

「当然ですっ。無失点を目指します」


 自信満々で答えるのは結構だが、なんでお前が一番ハイペースで水飲んでるんだろう。そりゃ立ってるだけでも暑くて仕方ない環境とはいえ、お前じゃねえだろその絵面は。



 後半に向けてフィールドプレーヤーの三人が言葉を交わしている間、なんとなく暇になってしまい周囲を見渡す。


 すると、予想だにしない見慣れた顔がコートの外から飛び込んで来た。



「……あれ、有希?」

「お疲れさまですっ! 来ちゃいましたっ!」



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