162. そこんとこ、どう思いますか


「すみませんっ! 遅れちゃいましたっ!」

「おー。こっちこっち」


 真っ白なワンピースに負けず劣らずの白い素肌を、日差しでほんのりと焼いた早坂有希が待ち合わせの駐車場へと現れる。顔ごと覆い隠すような麦わら帽子が良く似合っていた。



 建物のすぐ脇に設置されている駐車場からは、緑のネット越しにコート内の様子が伺えるようになっている。


 駐車料金が一切掛からないことと、その広大な敷地を考慮すれば試合観戦にはうってつけの穴場である。コートの管理者がそれを一切咎める気が無いことも、峯岸はやはり知るところであった。


 折り畳み式の小さな椅子にもたれ掛かり、サングラスとサンバイザーで素面を隠した峯岸は、缶ビールを片手に開いた左手で有希を呼び寄せる。



「久しぶりだな。どうよ、受験勉強は」

「はいっ。小論文はもう、バッチリですっ」

「そりゃ結構。あとは学校の試験しっかりな」

「峯岸先生が教えてくれても良いんですよっ?」

「馬鹿言うな。受験生一人にそこまでやれんよ」


 それもそうですね、と申し訳なさそうに相槌を打つ有希。


 先月の学校説明会とサッカー部戦を機に知り合った二人。夏季休暇の間に開かれていた学校説明会に度々参加している有希を、峯岸も「教え子の知り合い」ということでそれなりに気に掛けていた。


 本来なら職務乱用と言われても仕方のない行為ではあるが、説明会で行われている進路相談と銘打った「先行面談」でフットサル部への入部を高らかに明言していた有希に思うところもあり、こっそりと連絡先を交換していたのである。



「お誘い頂いて、ありがとうございますっ」

「そう畏まんな。付き合わせてるだけなんだから」

「でもっ、私も廣瀬さんの試合、久しぶりに見たかったのでっ!」

「それは私も一緒さね」


 受験生と、その受験校の教師。傍から見れば依怙贔屓と断定されても文句は言えない関係性であるが、あくまでも二人の関係は「廣瀬陽翔の知り合いであり、ファンである」というだけで、それ以上でも以下でもない。



「お酒、飲んでるんですね」

「まっ、プライベートだしな」

「あれ? でも、顧問の先生なんですよね?」

「観に行くとは一言も言ってないし」

「そ、そうですかっ……」


 だから、別に良いのだ。

 ファンに年齢差もなんも無い。


 来年から教え子となる中学生の前で、昼間から酒飲んでたって文句は言わせん。と、一人勝手に自らの行いを正当化する峯岸であった。酷く苦笑いの有希へのフォローは一先ず置いといて。



「まだ始まったばっかりですか?」

「ん。でも、もう一点入ったぞ」

「ええっ!?」

「ほら、あの金髪」

「あっ、あの人ですね、覚えてますっ。こないだの試合も、すっごく上手かったですよねっ」


 有希が到着する数十秒前に、試合は既に動いていた。狭いコートのなかを軽快に走り回る面々。



 開始直後からボールをキープするフットサル部。


 陽翔の自陣中央からのスルーパスに反応した瑞希が、そのままダイレクトで愛莉へと折り返しのセンタリングを送る。


 愛莉の右足によるシュートは一度ゴレイロに弾かれたが、零れ球をそのまま瑞希が押し込み、早くも先制に成功していた。



「どうですか? 優勝出来そうですか?」

「さぁ。他のチームのレベル知らないし」

「でも、期待は出来ますよねっ」

「手負いでサッカー部に勝つくらいだしな」


 余談であるが、夏のインターハイで山嵜高校サッカー部は県ベスト4まで進出する快進撃を見せていた。全国大会の出場枠は二校。つまり、あと一歩で全国というところまで勝ち上がったのである。


 その快進撃の裏には、キャプテンでありチームの中心である林の攻撃的ポジションへのコンバート。ストライカーとして覚醒し始めた菊池の活躍など、色々と要因はあるのだが。


 サッカー誌の特集で「大会前の練習試合でとても悔しい敗北を喫して、それからチームの意識も変わりました」と答えていた林の取材記事を読んで峯岸が爆笑していたことを、当人以外知る由も無かった。



「まっ、気楽に眺めてりゃいいさ。よほどのことが無い限り、お前さんにとっても楽しい試合観戦になるだろうよ」


 夏休み中のフットサル部の練習風景を、もはやお決まりとなった新館更衣室のベランダから眺めていた峯岸には、何気ないその一言にも確固たる自信があった。



 ただでさえ、ほとんど個人の力量だけでサッカー部と互角以上の闘いをやってのけた彼らが。


 更に連携を高め、チームとしての完成度をグッと向上させたいま。どんなプレーを見せてくれるのか。


 まさか、地域のアマチュアが集まったこんな大会で。足元を掬われるような未来など、想像するにも難しい。



「しっかり見とけよ。もう初心者がポンと飛び込んで、どうにかなるようなレベルじゃないからな、アイツら」

「はっ、はい! 勉強させて貰いますっ!」


 ふんっ、と鼻息荒くコートを注視する有希。


 左サイドでボールを受けた比奈は、中の状況を確認すると冷静に後ろで待ち構える陽翔へバックパス。それと同時に、流れるようにコート中央へと移動する。


 相手のプレスを難なく往なした陽翔は、ポジションを落とした愛莉に鋭い縦パスを送る。ダイレクトでリターンを受け、左サイドに流れていた瑞希へ展開。


 一気にスピードに乗り、ゴール前へと侵入する瑞希。ワンフェイクでディフェンスを颯爽と交わし、斜め前方へラストパス。受け手となった愛莉は、このパスをスルー。


 右サイドにポジションを移していた比奈へ、ドフリーでボールが渡る。相手の女性選手がシュートを防ごうと飛び込んで来るが、冷静に左脚へと持ち替え中に切り返し、そのままシュート。


 流し込むような丁寧な一発が、ゴール右下へと決まる。トータル3分も経過しないうちに、追加点が生まれた。



「わぁーっ! 決まりましたよっ!」

「おー。良い展開だな」


 まさに練習で何度も試していた、ポジションを入れ替えながらくさびを当て、サイドに展開し反対サイドで決める形だ。


 サッカー部戦では見られなかった、流暢なパス回しに峯岸も満足げに頷く。誰に教えられるわけでもなく、自分たちだけであの領域に到達したのか、と関心も一入であった。



 ゴールを決めた比奈の周りに、メンバー全員が駆け寄り祝福している。


 峯岸の知る限り、彼女も以前の試合では歴然たる初心者であったはずだが、パスを出してからのスペースへの動き出しといい、冷静に相手を交わし枠にシュートを飛ばす技術といい、もはや面影は一つも見えない。


 足元のたどたどしさはまだ残っているが、実力者の三人とコートで混ざってもそん色のない動きをこの数分の間だけで何度も見せていた。



「カッコいいなぁ……っ!」

「廣瀬が?」

「へっ!? あっ、い、いやっ、そのっ! 勿論、廣瀬さんもかっ、カッコいいんですけど! 他の皆さんもっ、すっごく上手でカッコいいなって! それだけですよっ!?」

「慌て過ぎだろ」


 露骨に陽翔の姿を凝視していた有希に、峯岸はおちょくるように声を掛ける。


 素直な子だとは思っていたが、ここまで来ると素直というより単純だな、と彼女には聞こえない音量で一人ごちた。



「まぁ、廣瀬はやっぱり別格だけどね。このゴールも……ほら、今もそうだろ。もう自陣にゴレイロ抜いたらアイツしか残ってない」

「わぁ。本当ですねっ」

「それだけ廣瀬を信頼しているっつうわけさね」


 二人掛かりでプレッシャーを浴びる陽翔であったが、全く意に介さずボールをキープし、両サイドの瑞希、比奈へボールを供給する。


 そして、いよいよボールを取るのは無理だと相手選手が諦め掛けたタイミングで、目にも留まらぬ速さの縦パスが最前線の愛莉へと打ち込まれるのである。


 そのままシュート態勢へと移った愛莉の強烈な一撃はゴレイロに弾かれてしまったが、試合はほぼ一方的にフットサル部が攻め続けている状況であった。



「勿論、廣瀬も他の連中を信頼しているからこそ、この波状攻撃が続いてる。事実、アイツも無理に仕掛けるようなプレーはまだ無いからな。三人のフォローに入る位置も的確だ」

「……皆さん、凄いんですねっ……!」

「んっ。トラップミスもほとんど無いからな……このペースを維持できるなら、これくらいの大会何の苦労も無く優勝でき……」



「それはっ、どうかと思いますけどねっ!」



 水を差すとまでは行かないまでも、二人の穏やかな会話に釘を打つような、甲高い声が響いた。


 振り返ると二人の隣には、いったいいつからそこに居たのか、双眼鏡を目に押し当てコート内を凝視する小柄な女性が立ち尽くしている。


 水色のユニフォームに身を包んだ、薄ゴールドのミディアムヘアと赤色のシュシュ、頭部天辺で揺れるアホ毛が特徴的な彼女は、張り裂けそうな胸元を喧しく主張し。双眼鏡を当てたまま、甘ったるい声を響かせた。



「ほんほんほんっ……なるほど。あれがを負かした物凄いセンパイですねっ。なるほどなるほどっ。確かに、周りの方たちも上手いですけどっ。まぁあれくらいっ、ノノでも全然出来ると思いますけどねっ! うーん! 実に、実に勿体ないっ! 勿体ないですっ! 是非ウチに来て欲しいっ!」


「それにですねっ。たぶんっ、いえ、恐らく、いえ、間違いなくっ! あのセンパイと一番お似合いなのは、ノノだと思うんですけどっ! そこんとこ、どう思いますかお二人はっ!」




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