155. 苦手なモノばっかり


「ハルト、そういうのあんまり興味無いのかなって思ってたしっ、だから、ちょっと意外だったっていうか…………べっ、別にっ、私が興味あるとか、そういうのじゃないけど!? ただ、そのっ、純粋な好奇心というか!? とにかくっ、違うからッ! 全然違うんだからッ!!」


 鼓動の速さを表面化させたようにほんのり赤く染まった頬は、湯あたりを主張するには時間が経ち過ぎている。


 目ん玉をグルグル回して声を荒げるその姿は、言葉通りの言い訳として機能しているのか実に危うい。



「……いや、うん。分かってるから。声デケえよ」

「あっ……ご、ごめんっ……」


 彼女の言わんとする心は口に出さずとも把握できる代物に違いないが、一つだけ提言するのであれば、興味と好奇心はほぼ同義だ。隠し通せていない。なんも。


 加えるのであれば、俺とて彼女を追求できる立場にはない。本当に不要なモノであればさっさと比奈に返却するなりすれば良かった話で。


 お互いに非があることも。

 自身に問題があることも。


 十二分に分かっていた二人だったから。それから先の言葉が簡単に続かないことも、やはり自明の理であった。気まずい沈黙が部屋を漂う。



「…………まぁ、寝ようぜ。もう遅いしさ」

「……そう、ね……日付変わっちゃったし……」


 ここまで来てしまっては、この状況を解決する手立てが見つかるわけも無かった。沈黙と時間が何かしらの効果を発揮すると、朝方の二人に願うほかない。


 合宿最終日の再現を狙えたら理想的だった。

 寝たら色々と忘れて、それでおしまい。


 ドライヤーから放たれる温風は、無言の空間を穴埋めするには少々五月蠅すぎる。しきりに降り続ける雨音と重ねれば騒音にも等しいが、もはや気になりもしなかった。


 髪の毛を乾かしている間に、彼女は歯を磨きすっかり就寝の準備を整えたようであった。同じような流れを繰り返し、後は電気を消して薄っぺらいブランケットを被るだけ。



「……え、床?」

「そりゃお前……同じベッドじゃ寝れへんやろ」

「あっ、そ、そっか……そうだよねっ……」


 ベッドに腰掛けた愛莉は少し驚いたように惚けた顔をしていたが、想定していた姿が思っていたより堪えたのか、また顔を真っ赤にしてそのまま俯く。


 彼女がこんな様子であるように、俺だって辛い。

 それこそベッドに並んで寝るとか考えも出来ん。



「いっ、いいよ……私が床で寝るからっ」

「んなわけにもいかねえだろ。仮にも客人やし」

「仮にもって……いや、そうだけど」


 当時は折り畳み式の簡易ベッドなんて考え無しに買ってしまったけど、そもそも実家ではずっと布団で寝ていたし、どちらかと言えば雑魚寝の方が性に合っているのだ。


 大して彼女は、それこそ仮にと言えば失礼だが立派な女子なんだから、その辺で適当に寝ておけとほったらかすわけにもいかない。



「いやっ、その……わたしもさ、ベッドじゃちょっと寝つき悪いっていうか……寝相悪いから落っこちるのも怖いし……」

「なら、布団降ろしてベッド畳むわ」

「そ、そこまでさせるのはちょっと……っ」


 ならどうすりゃいいんだよ。

 と、言葉を挟む前に、ひと際大きな雷が轟いた。


 さっきから隙間を縫うように鳴り続けていたが、いよいよ距離も近いのか、中々の大迫力だ。だからといって怖がるような子ども染みた反応は取りやしないが。



「……うぅぅ……っ!」

「……ホンマに苦手なんやな」

「しょうがないでしょぉ……っ!」


 ベッドで縮こまってシロイルカを窮屈そうに抱き抱える。そんなに強く抱き締めてやるな。明日から俺が使うんやぞ。



「…………まさかとは思うけど」


 すっげえ嫌な想像をしてしまった。

 あくまでも、俺にとっては。


 或いは幸運な出来事と、捉えようによっては間違っていないが。今の俺にはそんな要素を楽しむだけの余裕がない。あっても困る。



「雷怖くて寝れねえとか言わねえよな」

「…………寝るまででいいから、お願いっ……!」

「マジかよ……」


 そんなことってあるの。


 先ほどまでエロ本どうこうで言い合っていた間柄とは思えない縋りっぷりである。なんならちょっと涙目になっている愛莉は、もう相手が俺でもお構いなしという感じで必死の懇願を瞳に募らせていた。


 こうも辛そうな顔をされてしまっては、冷たくあしらうにも憚れる。でも、彼女と出会うまではきっとそうしていたんだろうな。まぁ生まれてこの方、こんな状況初めてだけど。


 なんというか、俺も愛莉に甘すぎる。


 だからこうやって付け込まれるのだ。彼女にその気が無くても。いつの間にか、こうやって懐にまで潜り込んで来る。


 それを甘んじて受け入れている自分もどうにも嫌いになれないものだから、尚のこと困っているのである。結局、俺が取るべき行動は一つしかなくなってしまう。



「……明かりは? 全部消すか?」

「……ちょっとだけ付けて」


 一番小さな蛍光に切り替える。なるべく彼女の方を見ないよう、ベッドに倒れ込む。


 望むべくして壁側に押し込まれた愛莉も。

 同じように考えていたのか、すぐに背を向けた。



 薄手のブランケットは、二人の身体を覆い隠すには不十分過ぎて。これなら無い方がマシかと思う程度には、あまりに頼りない。


 背を向け合って並んでいても大した障壁にはならないと、今しがた知ることとなる。体温も息遣いも、鼓動の速さも。全てを曝け出しているような生々しい感覚。



 意図せずに生まれる状況と、自らの意思で作り上げた空間で、こうも違うのか。合宿で琴音と添い寝する羽目になったときは、起きた瞬間こうなっていたから諦めも付いたけれど。


 早く寝ようと言い出したは良いが、そんな気にもならない。寝れるわけがない。心も身体も、不要に熱を帯びるばかり。


 雨音と秒針がほのかに混ざり合い、耳に障る。偶の風音と雷がこうにも心地よく感じるこの感覚は、この先一生訪れないことを感覚的に理解していた。


 雷鳴と共振するように、身体を震わせる愛莉。

 本当に苦手なんだな。台風の時期は一苦労だ。



「……ハルトは……」

「……んっ」

「ハルトは、平気なのね」

「まぁ、この歳で男が雷なん怖がってもな」

「……私は、苦手なモノばっかり」


 寝るんじゃなかったのかよ。

 なんて、気の利かない言葉は必要無いか。



「大きな音も怖いし、お化けも怖いし、暗いところもっ…………小さい頃も苦手だったけど、なんだろ……最近、もっと酷くなってる……」

「……まぁ、ええやん、別に」

「良くないわよっ……」

「嫌なら、克服するしかないわな」

「…………分かんないもん……っ」


 そんな呟きは、雨風が屋根を叩く音に掻き消される。


 彼女もそんなつもりは無いのだろうが、本当に一日でコロコロと表情が良く変わるものだ。今は見えてないけどな。でも、どんな顔をしているかくらいは。


 けれど、こうして不安を募らせる彼女を見ていると、普段のフットサル部での立ち振る舞いがいかに無理をしているのかも良く分かるのだ。


 それが全て虚像というわけではないだろうが。少なくとも、長瀬愛莉という人間を構成する大半は、こうした臆病なところにあることを。



 甘いんだよな。俺も。本当に。


 いつも、少しやり過ぎなくらい気を張っている彼女を半端に知っているものだから。こうして弱弱しく震える彼女のことを、ちょっとでも穏やかにさせてやりたいとか、考えてしまうんだから。


 分かっている。とっくの前から。

 俺みたいな人間が、彼女に何をしてやれるか。

 出来ることなんて、こうやって隣にいるくらいで。


 俺と愛莉の関係は、チームメイトで、友達で。

 けれど根底は、傷の舐め合いに過ぎない。


 あの日、夜の公園で言葉を交わしたときから。

 ずっと。ずっと知っていること。



 それでも、俺が彼女に支えられているように。

 大事なものを教えてくれたように。


 俺が、こんな俺みたいな奴が。

 彼女にとって少しでも支えになるのであれば。


 手を差し伸べ合うだけの関係が、いつの間にか共に支え合うような関係になっているのだとしたら。それを彼女も望んでいるのだとしたら。


 拒絶は出来ない。する理由も無い。もしかしたら、ただ隣にいるだけでなくて、もっと出来ることが他にもあるかもしれない。


 きっとそれは、自分自身が望んだ姿だ。



「…………そっち、向いてもいい?」

「…………俺もそっち向くわ」

「……へっ?」

「普段こっち向きなんだよ」


 驚いて目を見開く彼女が、横たわっていた。

 んだよ。もう向いてるならわざわざ許可取るな。


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