152. 理想という名の悪魔
テレビから流れて来る実況解説と、それに同意したり文句を垂れたりする愛莉。
いちいち反応する自分。四つの声と無数の声援が雨音に混じり、アパート二階の一室はなんとも呼称し難い騒がしさに満ち溢れていた。
窓ガラスに吸い付く水滴は室内の温度をまるで冷やす気が無いようで、あまりの湿っぽさに冷房の温度も気付かぬうちに二度ばかり下がっている。
それが大した打開策にもならない程度に、試合も、彼女の熱気も高まるばかりなのだから困りものだが。
賭けどころか勝負にもならないと思われていた一戦は、予想だにしない終幕となった。
観戦を始めてから数分後、セットプレーから相手のオウンゴールで一点差に詰め寄った代表チームは俄然勢い付き、同点を目指し猛攻を仕掛ける。
のらりくらりと攻撃を躱していた相手チームも、終盤に掛けての疲労の蓄積もあり動きは怠慢に。
そしてアディショナルタイムに突入して数十秒。クロスボールにFWがヘディングで合わせ、見事な同点ドールが生まれた。
試合はそのまま終了。
強豪国相手に、2-2の引き分け。
画面内の観衆も惜しみの無い拍手を送る。
「あとちょっとで逆転だったのに〜……!」
「追い付いただけで十分やろ」
「……アイスぅ……っ!」
「いや、もう食ってええから」
「え、ほんと? やった!」
やたら熱を入れて声を飛ばしていると思ったら。アイスでもなんでもいいから、その暑苦しさ何とかして。
冷蔵庫のアイスを取る前にトイレへ駆け込んだ愛莉を横目に、試合後のインタビューを受ける監督や選手の様子をボンヤリと眺めている。
試合の後なんてさっさと引き上げてリカバリーしたいものだけれど、活躍してしまったばっかりにはああやってインタビューを受けなければならない。当時は酷く苦痛だった。
海外メディア相手ならともかく、日本人のインタビュアーは本当にしょうもないことばかり聞いてくる。それも当時はまだアンダー世代だったわけだから、質問の内容も幼稚なものばかりで。
あまりにも面倒だから、質問全部丸ごと無視して喋りたいことだけ話してすぐに切り上げたり、わざと英語で答えたりするようにしたら、誰もコメント取りに来なくなったな。
いま思えば天邪鬼にも程があるというか、どっちが子どもなのかと一喝してやりたくもなる。
マスメディアの類が嫌いなのは今も変わらないが、当時まだ「期待の若手」程度の扱いだった俺でさえあれだけ邪見にしていたわけだから、代表選手ともなればその苦労も一入であろう。
特に、若くして代表入り。なんてなれば。
青年がたどたどしくインタビューを受けている。
『そうですね……出場できなかったのは残念ですが、この歳で代表のレベルを間近で感じることが出来たのは、今後の自分にとって大きな一歩かなと……もう一度召集されるように、リーグ戦で頑張りたいですね。まずはクラブで試合に出て、結果を残すのが最優先だと思います』
あどけない顔つきだが、受け答えはしっかりしている。だが表情はいま一つ冴えない様子。
そりゃそうだ。出場してもいないのに、いの一番にインタビューとは。地上波中継はこういうところが困る。まずは試合出て、点取った選手に話聞くべきだろ。
『
『まだまだクラブでもレギュラーというわけではありませんからね、しっかり結果を残して、秋からの最終予選メンバーに入れるよう頑張って欲しいところですね』
『あのまま二点差の状態なら、そのままデビューもあるかと思ったんですけどねえ、一点差になって勢いがついてきたところだと、やはり起用しづらいというのも監督してはあったんでしょうか?』
『ドリブルは良いアクセントになったと思いますけどね、他にもいい選手は沢山いますから。代表という枠組みではこれが現状ということでしょう』
『残念ながら内海選手の代表デビューはお預けという形になってしまいましたが……今後が非常に楽しみな選手ですね』
『クラブでも怪我人が多いなかでのデビューで、そこで結果を残して今回の代表入りですから。こういうチャンスをものにできる選手が、世界でも戦えていける選手だと思いま……』
実況と解説のつまらないお喋りが続いたところで、リモコンを手に取りチャンネルを変える。中継もそろそろ終わりが近い、最後まで見てやる義理も無いだろう。
とはいえ、出来ることならこれ以上見たくもない、というちっぽけなプライドの存在を無視するわけにもいかなかった。
試合展開もあってデビューとはならなかったが、それこそ奴がピッチに立とうものなら、俺は冷静に試合を観続けることが出来たのだろうか。そう簡単には、首を縦に振ることはできない。
(…………内海……)
込み上げる僅かばかりの懐かしさと、それを覆い隠せないほどの苛立ち。代表のジャージを身に纏った彼への純粋なる嫉妬か、それとも当時の俺とどこかダブって見えたことへの同情か。
試合を観る気が無かった理由は。
単純な話、奴が出るかもしれなかったからだ。
小学生の頃から選抜チームで共にプレーしていた内海は、サイドを主戦場とする左利きのアタッカー。特徴から背丈まで、俺と丸被りの存在。足は少しだけ、アイツの方が速かった。
レギュラーは俺だった。なんなら俺の方が1000倍は上手かったし、結果も残して来た。主役は、俺の方だった。
俺がユースを退団するまでその力関係はまったく変わらなかった。しかし、今やアイツは若くしてトップデビューを飾り、プロの舞台で結果を残し、代表にも召集される期待の逸材。
トップチームに怪我人が続出し、奴がプロデビューを飾ったこと。少ない出場時間で、17歳としては十分すぎる結果を残しレギュラーに定着しかけていること。
知っていた。知らないわけがなかった。
俺が腐ったと同時に、アイツは輝き始めたのだ。
今となっちゃ、別にどうだっていいのだ。
自分の一番輝ける場所を見つけだのだから。
にも拘らず、アイツの動向を逐一ネットニュースで追い掛けているのは。理由は正直、良く分からない。純粋なる嫉妬なのかもしれないし、或いはただ応援しているだけということかもしれない。
ただ、アイツの成功を「あり得たかもしれない未来」としてどこか重ねて見てしまっているのは、どうしようもない事実であった。
だからなんだというわけでもないのに。
それで何かが救われるわけでもないのに。
もう一度、あの場所に戻りたいなんて思わない。
頭を下げられたって御免だ。
なのにどうして。
何かが心のなかで疼いている。
理想という名の悪魔が、全てを否定しようとしている。
戻りたくもないあの世界に、自分のようで自分ではない何かが無理やりにでも引き戻そうと足を引っ張っている。そんな気がした。
「あれ、変えちゃったんだ」
「……ハイライト見てもな」
「ふーん……ねえ、本当に食べていいの?」
「好きにせえ」
再び隣に座った彼女は、小さな口を動かして法悦の笑みを浮かべる。
正直に言うと、少し食べたかった。どうしようもなくネガティブな頭のなかをリセットするには丁度良かったのだろう。
まぁ、もう、いいんだけど。
コイツを眺めているだけで、腹一杯だ。
「やっぱり、未練みたいなのってあるの?」
「なにが?」
「代表入ってみたいなーとか」
「もう十分や。やり尽くしたわ」
「あーそっか……世代別のワールドカップ出てるんだもんね」
「出ただけちゃうで。ブロンズシューズ賞にアシスト王や」
「自分で言うかなっ……まぁ、フル代表じゃ無理よねえ」
特にこれといった感想も無いのか、黙々とアイスを食べ続ける愛莉。今となっては、こんな適当な態度がむしろ心地よい。
「まっ、自分で言ってたもんね。昔のことなんてどうでもいいって……もしかしたら、試合観て「やっぱりプロ目指す」とか言い出したらどうしようって思ってさ」
「……今更どうしようもねえよ。それに……」
ここにあるものだけで、十分満たされているのだから。余計なことを考えて、またこのチームから離れるようなことになった方が、今の俺からすりゃずっと辛いことだ。
なんて、口には出さないのだけれど。多分、言っといた方が精神衛生上、マシなんだろうけど。
「……なんでもね。アイスちょっとくれ」
「えー、自分で買ってきたら?」
「はあ? 追い出すぞこの野郎」
「ちょっ、この雨はマジ無理っ! あげるからっ!」
「気が変わった。ぜんぶ返せ」
「横暴すぎる!?」
何故か、思ったように口は回らなくて。
どこか恥ずかしくて、彼女に甘えたくなった。
そんな自分の有り様を誰かが笑っているような気がしたけれど。
雨風が窓ガラスを叩く音と聞き間違えたのだろうと、掬った溶けかけのアイスと共に呑み込んだ。
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