151. 世界は見せ掛け
「…………彼氏やん」
「だから違うっての!」
「なら誰だよ」
「分かるでしょだいたいっ!」
呆れたようにスマホを下げベッドに座り直す愛莉。そこまで頑なに否定しなくても。逆に怪しく見える。
しかし、初耳も良いところである。彼女のプライベートなんぞ考えたことも無かったし、それこそ部員共の家族構成なんて気にも留めていなかった。
特段不思議なことでもないが。
そうか、弟なんておったのか。
「いくつ下?」
「二つ。来年から高校生」
「髪色変えたらまんまお前やな」
「そう? 似てないってよく言われるのよね」
まぁ男と女じゃ多少の差はあるだろうけど。となると、コイツ、姉なのか。ぽくねえなあ。
絶対一人っ子だと思ってた。性格的に。
決して悪口ではない。
遠目に眺めれば、確かに女子と見間違えてもおかしくないほど透き通った肌が印象的であった。長瀬家の強烈なDNAの賜物といったところか。いよいよ母親がどんな顔をしているのか気になる。
「
「飛び級か」
「うん。背は小さいけど、私より才能あると思う」
仮にも名門校でプレー経験のある愛莉が言うのだから、身内びいきというわけでもないのだろう。
嬉々として弟の話を始める彼女の姿は、どうしたって新鮮で妙に可愛げがあった。普段が可愛くないとかそんな意味じゃない。たぶん。
が、話のなかで気になった点が一つ。
サッカーを`やってて`ということは。
「今はどうしてん。やっぱジュニアユースとか」
「あー……普通に中学でやってるよ? けど……」
「けど?」
「ちょっと浮いてるらしいっていうか……どうしても、やりづらいところはあるし。最近、特に調子悪いらしいし。気にしないでって言ってるけどね」
歯切れの悪い彼女の言葉から弟氏の現状は今一つ垣間見えてこない。やりづらいとは一体どういうことなのだろう。単純にレベルの問題ということだろうか。
「……本当はさ。真琴も常盤森のセレクション受ける予定だったんだけど。でも、わたしが向こうでダメダメって知ってから、なんか自信失くしちゃったらしくて。全然、真琴ならやれると思ったけど。でも、やっぱり駄目なんだって。それを今も引き摺ってるって考えたら、ちょっと申し訳なくてさ……」
フローリングの床をジッと見つめながら、彼女は自嘲気味に口角を無理くりに釣り上げた。一抹のやり切れなさを見出すブラウンの瞳にはその真意が色濃く映る。
俺の知る限り、長瀬家の貧困事情はまぁまぁレベルにある。少なくとも、真っ当な女子高生としての生活を送るうえでの最低ラインを彼女はクリア出来ていない箇所が多々見受けられる。
ともすれば、ただでさえ私学の入学金も馬鹿にならないというのに、姉弟揃ってスポーツ入学ともなれば家計への負担は決して無視できない。
弟氏の取った行動には、きっとそんな思惑も動いていたのだろう。そして愛莉も、その隠された事実に薄々気づいているのだ。
金銭的な事情を顧みず夢を追い掛けて、最終的に地元へ戻ってきた。そんな過去が彼女を苦しめているのは、フットサル部として充実期を迎えた今でも変わらない。
こうなっては、俺が気持ちの問題どういう言う話でもなくなってくる。アリーナで彼女に送った言葉を後悔しているわけではないが。
「あ、でもね? 勘違いしないで欲しいのは、別に仲が悪いとか、そういうのじゃないの。ただ、私に引け目がある分、真琴もちょっと距離を置くようになっちゃったっていうか……」
「自分だけ良い思いしてるんじゃないか、ってことか」
「そんな感じっ……私がフットサル部で楽しく過ごしてるだけ、真琴は今も辛い思いしてるんじゃないかって、やっぱり考えちゃうんだよね」
深いため息が様になっているようで、全く似合わない。
ただ、良く知っている愛莉がそこにいた。
まともな慰めの一つでも掛けてやればまだマシな空間になるのだろうが、生憎、俺にそんな力は無い。そうでなければ、ここまで情けない姿をさらすことも無かっただろうに。
ただ、なんとなく、寂しくは思う。
別にお前のそんな顔が見たくて、この部屋に招き入れたつもりでもないし。いや、そもそもコイツが勝手に来たんだけど。
「お前、笑わねえよな」
「……へっ?」
「いや、なんか……不機嫌なお前見てると、こっちもムカムカしてくるんだよ。似た者同士っつったってな、鏡ばっか見てるみたいで、俺もシンドいんだわ。だから、もうちょっと笑え」
「……どーいうこと?」
多分、俺自身に向けた言葉でもある。
やろうと思ったって、出来ねえものは出来ない。
だから人にやらせようとしている、それだけだ。
誰かも似たようなこと言ってたなあ。ホント、都合よく集まるものだ。自分のことより、他人のことばっか考えるような奴らばっかで。
だからこその、このチームなのかもしれない。なんて、キザな台詞は胸のうちにしまい込んだが。
「お前が辛気臭い顔で過ごしとったら、あー……真琴やっけ? アイツもよ、無駄に影響受けんだろ。別にええやん帰りたくて帰って来たんやから、堂々としてろよ」
「……ハルトには分かんないわよ」
「分かるわけねえだろ。あのな、そのまま俺に置き換えてみろ。別にお前の人生相談聞くために飯作って貰ったわけちゃうぞ。笑え、もっと。愛想振り撒け」
「ハルトの分際で良く言えるわよね」
「うっせえな。んなこと分かって言ってんだよ」
もっと上手い言い方があるだろうに。
どうしてこう、喧嘩腰になるんだろう。
人のこと言えなさ過ぎる。生きるの下手くそか。
けれど、一欠けらくらいは通じてくれたようで。
呆れた顔を浮かべながら、しかし、確実に。
「……もう、分かったわよ。笑えば良いんでしょ」
「おー、もっと歯茎剥き出しで、ほら」
「それは絶対バカにしてるッ!」
ほんの少しだけ、いつもの愛莉に戻ってくれたようで。柄でもなく、胸が空くような思いであった。
なにをここまで必死になってるのか、本当に。
自分でも何がしたいのかサッパリ分からん。
まぁ、でも、いいか。
お前が笑っとらんとつまらんのは、本当だ。
結局、人間なんて自分勝手な生き物で。例え無作為に手を取り合ったとしても、その目的は自身のバランスを取るため。上手く立っているためだけに過ぎないとか、どこにでもある話。
けれど、そのおかげで隣にいる奴もしっかり自分の足で立てるようになるとか、それこそ立ち上がれたりするもんで。
少なくとも、俺がお前に求めたのはそういうところだし、弟も同じように手を取ってくれるお前が必要なんだろう。きっと、そうやって世界は見せ掛けで、上手いこと廻っている。
「なんか、逢いたくなってきちゃった」
「おー。帰れ帰れ。デカい傘なら貸すで」
「ちょっ、もうちょっと言い方あるでしょっ!」
……相変わらず手を取る気が無い自分のことは、取りあえず棚に上げておこう。なにをもって素直になるのかさえ、俺には分からんのだ。今は、まだ、ええわ。
さて。帰れとは言ったものの、大粒の雨は一向に止む気配を見せない。朝まで晴れ間が見えないのはニュースでも知るところだが、それにしたって外が五月蠅すぎる。
電車、止まったらどうするんだろう。考えるのやめとこ。出来れば帰って欲しいし。いや本当に。なにが起きるか分かったもんじゃない。怖い。
「……あれ、今日って何日だっけ?」
「15やなかったっけ」
「……そうだっ、今日じゃん試合っ!」
「は? なにが?」
「代表戦! めっちゃ忘れてたっ!」
すぐさま立ち上がってリモコンの在り処を問い質した愛莉は、慌てた様子で電源のスイッチを押す。映し出されたのは、ネイビーブルーのユニフォームと一面に広がるグリーンの色模様。
「あっ、負けてるっ。なーんだ、ダメダメね」
「……そういや今日か」
サッカー代表の親善試合が行われていた。小さい頃は、というかつい最近まで必ず代表の試合はチェックしていたのに、すっかり忘れていたな。最近じゃ他人の試合なんて滅多に見なくなっていた。
試合は0-2。対戦相手は、中南米の強豪か。実力的に適う相手ではないが、ホームで見せるには少し退屈な展開だな。残り時間も10分くらいしか無いし、逆転は難しいだろう。
「ねぇねぇ、こっから逆転できると思う?」
「いや、無理やろ」
「わたし逆転に賭けるから、ハルトは負けね」
「なんで賭けなあかんねん、何させるつもりや」
「もちろんっ、冷蔵庫に入ってたアイス!」
「十中八九俺の勝ちやろそんなん」
「元々アンタのだからちょうどいいでしょっ!」
少し強引な持って行き方だけど。
彼女からすれば、これが正攻法なのだろう。
やっぱお前、俺なんかよりよっぽど強いわ。
そういうところ、憧れるよ。
ほんのちょっとだけどな。
あーあ。これだから、本当に俺って奴は。
情けない。なにを偉そうに講釈垂れてるのか。
わざと、見ないようにしてたのに。
素直になれないのは、どっちなんだか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます