153. ごめん、助かる


 雨が一向にやまない。


 朝方まで降り続けることは既に知るところであったが、その勢いは夕方から更に増しているようで。屋根と窓ガラスも喧しく警戒を続けている。



 こんな調子じゃ外に出るのも億劫だと、付けっぱなしのテレビから流れて来る特番のお笑い番組を惰性で眺めながら、二人肩を並べてボンヤリと過ごしていた。


 壁に沿って置かれているベッドに足を伸ばして座り、だらしなくもたれ掛かる。せっかくだからと滅多に食べないポテトチップスまで取り出して、いよいよ怠惰の極み。



 バラエティ番組とか興味無さそうだな、という俺の一方的な推測はどうやら大外れのようで、意外にも彼女がテレビっ子であることはこの数時間の間でも容易に伺い知れた。


 名も知らぬ芸人のネタに声を上げて笑い続ける愛莉の姿は、少なくともフットサル部ではまず見られない光景で。


 そんな姿を見ている分にはちっとも退屈しなかったわけだから、俺とて「いい加減帰れよ」と空気の読めない一言を挟む余地も無く、テレビと彼女の笑顔を交互に眺めていたという話である。



 さて。番組が終わりニュースが始まったところで、画面の上部に大雨・暴風警報が出たというニュースが流れて来る。


 いくつかの対象地域のあとに、見知った地名が。

 見事にこの一帯だ。そんなに降ってるのか。



「うわー……これ電車止まらないかな?」

「帰れねえってことは無えだろ」

「うち駅から結構歩くんだよねー」

「尚更もう帰った方がええやろ」

「そうねー…………もう11時半だし」


 いつの間にかそんな時間になっていたか。まぁ試合観て、バラエティ番組もしっかり最後まで完走したらそれくらいにはなるか。


 夏休みもまだ中盤、フットサル部の集合も無いとなれば多少の夜更かしは許容範囲だろうが、だからといって彼女を泊めるわけにもいかない。


 単純に部屋のキャパシティー的な問題もあるが……いくら気の知れた仲とはいえ、年頃の男女二人で寝泊まりというのはちょっと不味い気がする。というか俺が辛い。


 合宿という前例はあるっちゃあるが、一応あれは障子で分断されているからギリセーフみたいなところあったし……ほとんど意味を成していなかったという事実は俺だけが知っている。



「えーっと、終電は……」


 スマートフォンを滑らせ電車の時間を調べる愛莉。もうちょっと早めに調べるとかそういうことしないのか。もし仮に止まってたらどうするつもりだったんだよ。


 でもまぁ、取りあえず帰る気でいるのは助かった。そもそも晩飯作ってもらうだけの予定だったのに、どうしてこんなことに。


 いや、まず前提からしてだいぶトチ狂ってるのはもう言及しないから。



「46分……結構ギリギリねっ……」

「え、そんな早かったっけ?」

「上りの電車だから、こんなもんじゃない?」


 方向としては東京本面だから、終電も少し早いのか。ならすぐにでも出た方が良さそうだな。この大雨のなか、スムーズに歩いたって10分は掛かるだろうし。



「……まぁ、その、なんだ。ありがとな」

「へ? なにが?」

「その、晩飯と……試合誘ってくれたの」

「ううん、全然。すっかり忘れちゃってた」

「おい、仮にもメインイベントだろ」

「この一時間くらいが一番楽しかったかも」


 ポテチ食いながらテレビ見てるあの時間がか。

 本格的にやることない奴らの象徴だっただろ。



「……なんか、それっぽいなーって」

「は? なにが?」

「……とにかく、満足だからいいのっ!」


 急に怒んなよ怖いな。


 なにをどう見繕って「ぽい」のか俺にはサッパリ分からなかったが。ともかく当人が満足ならそれは良いことだ。


 いや、でも、本当に馴染んだなコイツ。

 普段この部屋に俺だけなんだよなあ。


 コイツが帰った後、どうやって過ごせばいいんだろう。いつもの光景なのに、どうにも想像し難い。



 荷物を整え、というほど大荷物でもなかったが、帰りの身支度を済ませ玄関の扉を開ける。足を一歩踏み出しただけで身体がまぁまぁ濡れてしまうほどの、中々に強烈な雨風だ。



「うわぁー……帰る気無くなるなー……」

「馬鹿言うな、行くぞ」

「……雷とか落ちないよね?」

「よほどのことが無い限り死にゃしねえよ」


 そう簡単に死んでたまるか、くらいのツッコミが欲しいところであったが、どういうわけか愛莉はその言葉を最後に黙りこくってしまった。なんだ、連れないな。


 まぁいい。とにかく先を急ごう。いくら駅近アパートとはいえ、最低5分は掛かるのだから。



 愛莉の持っている折り畳み傘はほとんど意味を成していないようで、結局は俺の大きな傘に丸ごと覆い被さるような形となる。しかし、横から飛んで来る雨粒の前には無力な存在だ。


 少し早歩きで駅を目指す。言うてこの橋を渡ってデパートを過ぎればもう目の前……。



「通行止めでーす! 左から回ってくださーい!」


「えぇ……!? 左って……結構な回り道だぞ……」



 警備員が橋の前に看板を立てて赤い棒を振っている。


 まさか氾濫するわけでもあるまいに……って、あぁ、原付が横転しているな。歩道を突っ切って柵のところに激突してしまったようだ。なんてタイミングの悪い……こんな天候でバイクなんか運転するなよ! 馬鹿かよ!


 ともかく、一番の近道にして王道である橋が通行止めになっている以上、他のルートを探すしかない。といっても、向こうの道に出る方法を他に知らないんだけど……。



「愛莉っ、こっちだ! 急ぐぞ!」

「う、うんっ……!」


 半ば強引に手を引いて歩道を駆け抜ける。

 この短時間で靴の中までビチャビチャだ。クソ。


 なんとか迂回ルートを発見し、駅前のバスターミナルの前までやって来る。結構な遠回りになってしまった。あと5分で終電車が出てしまう。でもなんとか間に合いそうだ。


 と、思いきやここに来て再びトラップ。


 唯一にして最後の信号待ちだが、この道、メチャクチャ交通量が多い。すぐ近くに高速道路があるせいか、朝から晩まで車の行き来が絶えない箇所でもあるのだ。


 無視して渡ろうにも、往来が途絶えないのでどうにもならない現状。しかも横断歩道が見えた瞬間に赤に変わりやがったものだから、結構なタイムロスとなる。



「……か、変わんないね……っ」

「この辺ちょっと複雑だからな……」


 一度変わるといつも2分は待たされている気がする。となると、走って駅に飛び込んで、階段を上がって、改札を潜って再び階段を下りて……いや、これ間に合うか?



「……………………よし、行くぞっ!」


 青に変わったと同時に横断歩道を駆け出す。ギリギリの攻防だが、愛莉の脚力ならなんとか行ける筈だ。もう濡れ具合は気にしない。とにかくノンストップで突っ走れば。



 ところが。


 横断歩道を渡り切ったところで、一際大きな雷の音が周囲に響き渡る。空が光ってからほんの数秒後の

出来事だったから、かなり近い位置に落ちているようだろう。最も、気にするほどのことでないが。


 しかし、気になっていなかったのは俺だけのようで。隣を走っていた愛莉が、着いて来ない。


 何事かと思い振り返ると、彼女は。



「愛莉っ!?」

「…………ごめん、むりっ……!」

「いや、なにが!? ホンマに間に合わんて!」

「むりぃ…………ほんとにむりなのぉ……っ!」


 道路ド真ん中で力無くしゃがみ込んでしまった彼女の元に駆け寄る。酷く怯えているような様子の愛莉は、そのまま立ち上がることさえ覚束ない。


 まさか、コイツ。

 さっきから反応が鈍かったのは。



「……雷、苦手なんか」

「…………うん…………っ」

「……立てるか」

「……手、貸して……っ」


 右手を取る、そのまま元居たところに引き返す。

 信号は再び赤に変わった。



「……ごめん、ほんとに小っちゃい頃から苦手でさ…………別にそれで怪我したとか、そういうのじゃないんだけど……なんか、身体がビビって動かなくなっちゃうの……」

「別に謝らんでも……苦手なモンくらいあるやろ」

「…………あ、電車……っ」


 遠目に捉えた最終電車が、駅に到着した。

 今から走っても、間に合うことは無い。



「コンビニ、行くか。買うもの色々あるだろ」

「……そう、だね。結構濡れちゃったし」

「金なら出すから、心配すんな」

「あははっ……ごめん、助かる……っ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る