124. 壊れちゃったんだけど


「わたしのことはもう忘れてください」

「無茶言うな」


 テーブルに突っ伏した比奈がどんな顔をして前に座っているのか、もはや確認する術は見当たらなかった。かれこれ数十分このまま動いていない。


 ぶっちゃけアニメショップからどうやって一階の喫茶店まで降りて来たのか、クソほども覚えていなかった。たぶん本気で記憶から抹殺しようとしているけど。彼女だけ。



 彼女の足元に鎮座する、小さな紙袋。

 おおよそ一般向けとは言えない小説の数々。


 いや、うん。小説なのかなこれ。

 官能小説にしてももうちょっと品があるだろ。



「違うの……違うの陽翔くん聞いて…………っ」

「あっ、はい」


 そんな呪詛を唱えるような声で。


「違うの……本当に違うのっ……わたしただこういうのが好きなんじゃないのちょっと可愛い女の子のイラストが好きなだけでわたしが地味な顔立ちだからこういう派手な顔っていうか格好っていうかそういうのが好きなだけでそれ以上でも以下でもないしただそれだけだからほんとにむしろどっちかっていうとこういう可愛い女の子になりたいなっていう願望込みっていうかわたしの理想みたいなところがあるっていうか偶然好みにジャストっていうかこういう服が好きなのも二次元の女の子みたいになれるのが良いからっていうそれだけでわたし自身が腐女子とかそういうじゃないってことだけたまたまこういうイラスト描いてる人がこういう小説の扉絵とか書いてるだけでほんとうにそれだけでほんとにほんとにそれだけだからっ……」



 息継ぎしないでよう言い切ったな。



 唯一の救いだったのは、その本の内容が「男同士」とか「女同士」とか、そういう特殊性の高いものでは無く、極めてノーマルな男女の営みを軸とする作品群が中心だったことだ。


 シンプルに、二次モノのエロ本。

 それはそれで非常に扱いに困っているわけだが。


 なにがイカレてるって、俺がその場を離れて戻って来たら、ちゃんと購入してるんだからなこの人。せめてこの瞬間だけでも抗うという選択肢は無かったのかよ。


 つうか犯罪だからな。年齢達してないからな。未だに煙草のストックが消えない俺が言えた口じゃねえけどよ。



「…………ええ加減機嫌直せって」

「むり……本当にむり……っ」


 時折見せる年相応のラフな言葉遣いは彼女の魅力でもあるのだけれど、今に限っては瑞希にも劣らないレベルで語彙力が低下している。


 さっきのファッション趣味がバレたときの比じゃない。本気でこの世の終わりを確信しているような消沈ぶりであった。一人ノストラダムス状態。


 ツッコんであげた方が優しい気がする。

 フットサル部に顔出せんだろコイツ。



「……まぁ、別に引いたりせんで」

「うそ」

「いや、ほんとにっ」

「うそ」


 んな顔も上げず嘘つき呼ばわりすんな。


 まぁ嘘だけど。

 ちゃんと引いてるけど。



「そりゃあ、その、な。比奈にああいう趣味があったのは意外どころの話ちゃうけど、だからって友達辞めようとか、軽蔑するとか、そういうのはねえから。本当に。なっ」


 今まで生きて来たなかで一番優しい言葉を掛けている自覚はある。俺にも他人を気遣うメンタリティーが備わっていたのか。こんなところで知りたくなかったわ。



「…………いいよ、ほんとに。そーいうの」

「いや、だからな」

「そうだよっ……わたしっ、普通の……タダの痛いオタクだもんっ……二次元と三次元の区別付いてない痛い子だもん……笑ってよ……っ!」



 重すぎる。



 別に比奈が二次元オタクだろうと俺としちゃどうでもいいというか、ああそんな趣味もあるんだなって程度に収まることに違いは無いのだけれど。


 当の本人が気にし過ぎである。

 そりゃキャラ崩壊どころの話じゃないけど。



(……そうでもないのか、実は)


 案外、伏線は張られていたのかもしれない。思い返せば、比奈は自身の趣味やプライベートな部分を全くと言っていいほど語らない奴であった。


 だが、随所に見受けられた違和感。


 見た目にそぐわず、上大塚のアミューズメント施設に代表されるような遊び場をしっかり知っていて、クレーンゲームの景品でやたら興奮していて。


 そういや語尾変更罰ゲームもめっちゃすぐに適応したし。極めつけは、浮世絵離れしたこの可愛らしいファッションに代表される各々。


 なんとなく「なんか隠してんなコイツ」とは思っていたけれど。これは、まぁ、人には言えないよな。秘密主義なのもちょっとだけ納得したわ。



「……ちなみに、琴音は知ってんのこれ」

「そんなわけっ……言えないよ、こんなのっ……」


 足元の小説は彼女のトップシークレットと。

 優越感を覚えるには感動が圧倒的に足りんが。



「…………別にええやんけ。そりゃ、比奈にしちゃ意外な趣味かもしれんけど……今時コスプレとかアニメ好きの女だってそう珍しくないだろ」

「……でも、わたしだよ」



 あぁ、やっぱりそこなのか。


 趣味そのものを知られてしまったことより、彼女にはもっと大事なことがある。それはこの18禁小説にしても、ファッションにしても、実際のところ大差無いのかもしれないな。



「……わたし、地味子だもんっ……こういうの似合わないって……おかしいって分かってるっ……!」


「でも……興味あるし、それも、本当に嫌なの……! だって、わたしっ、真面目な優等生なんだもん……っ!」


「陽翔くんには……陽翔くんだけには、知られたくなかったのに……っ!」


 顔を上げようとしなかった理由が、ようやく分かった。外した眼鏡は内側から曇ってしまっている。



 どうしよう。

 メッチャ泣かせてしまった。



 言いたいことはおおよそ理解できる。


 きっと、彼女なりに作り上げた「理想の自分」が生活の基盤にあって。それはつまるところ、俺たちが学校やフットサル部で目にしている「真面目だけどちょっと小悪魔な、優等生の倉畑比奈」で。


 この服装も、エロ小説好きも、そういう理想の自分とはかけ離れているから、人には見せたくないんだろう。


 でも、本当に好きなのは事実だから。

 抗い切れないのだ。



(ちょっと前の俺かよ)


 本当に、なんでこう、俺に似たような奴ばっかなんだろうな。このしょうもない意地の張り方。あのときとソックリで、全然笑えねえよ。



(…………笑ってやった方がいいのか。むしろ)



 少なくとも、お前はそうしてくれた。


 理由はシンプル。

 これ以上、俺の前で泣かれても困る。

 それは世間体としての問題もそうだけど。


 仮にも、デートだろ。

 そんな辛そうな顔すんなよな。



「えーっと、なになに」

「…………はえっっ!?」


 紙袋に手を伸ばしテーブルに引き上げた一連の行動に、その表情は驚愕に染まる。死んだと思っていたものが急に蘇ったような、そんな顔。



「ほーん、これは『気になる幼馴染はツンデレ奴隷メイド ~ご奉仕したい? それともされたい?~』ね。すっげえタイトルだな。よう店頭で買えるよなこんなの。性欲芽生え出した男子中学生かよ」

「ちょっ……まっ、ま、待ってッッ!?」

「で、こっちが『生徒会の淫らなカンケイ お仕置きしちゃうぞ♡』か。へーー。比奈ってこーいうのが……」

「読み上げないでよぉっ!!」


 居ても立っても居られないといったように、絶叫と共に立ち上がる。


 店中の注目に辛うじて気付いたのか。また違った系統で顔を真っ赤にした彼女は、勢いよく俺の手から本を奪い返し、胸に抱え込む。



「なッ、なに考えてるの陽翔くん……ッ!?」

「いや、そういう顔が見たくて」

「信じらんないっ! セクハラだよっ!」

「どの口が言うとんねんお前」

「そっ、それはぁっ……ッ!」


 涙目で反論しようにも一向に言葉が出てこないその姿は、どことなく先日の琴音を思い起こさせるようで。根っこは似た者同士なんだな。この二人。



「俺に知られたんは、もうどうしようもねえだろ。だから、比奈。良いか。これは、秘密の共有だ」

「…………へっ……?」

「俺にだけ、教えろ。アイツらには隠しとくから」



 要するに、人に言えない類の趣味だから、ここまで露見するのに躊躇っているのだ。だったら、同じような趣味を持っている奴とか、ある程度事情を話せる人間が一人居た方が良いだろ。



「なぁ、それ貸してくれよ。俺も読むから」

「…………な、なんで……っ?」

「いちいち言わせんな。興味あんだよそういうの」


 心の底から出た言葉ではなかった。

 半分くらいな。全肯定はしない。


 けれど、これが彼女にとっては一番楽だと思う。

 ついでに言えば、俺も楽なんだ。



「…………お節介なら、いいよ」

「じゃあ、俺も買ってくるわ。待ってろ」

「そっ……それはだめっ!」

「なんでだよ。俺もエロ本欲しい」

「…………とにかくっ、だめなのっ!」



 徐に立ち上がった彼女は。


 ここまで完全にその存在をスルーされていた冷たいコーヒーを一気に飲み干し。ヒビでも入るんじゃないかというほどの勢いで、グラスをテーブルに叩き付け。




「――――――陽翔くんはっっ!!!! ぜったいコスプレの方がハマると思うからっっ!!!!」




 ……………………




「…………は……?」



 どうしよう。

 比奈が壊れちゃったんだけど。



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