117. 気になって仕方がなかった
鼻先の絆創膏が胡散臭いレベルで似合わない彼女は、その後もバーベルやバイクなど一通りのウェイトマシーンを体験。
流石に疲労の色が濃くなってきたところで、受付に申請を出した利用時間いっぱいとなり、初めてのスポーツジムを後にするのであった。
売店でアイスクリームを購入し、館内のベンチに並んで座った俺たちは、特に見たところのそれらしい会話も無く、安くも無いバニラの塊を頬張る。
どこか浮かない様子のまま暫く過ごしていた琴音であったが、甘いものの魔力には勝てないのか。火照った身体にエッセンス丸々と染み渡らせ、少しずつ頬を緩ませていく。
案外甘いもの好きの彼女は、こうして食べ物を前にするといつもに増して無防備な姿になる。だからなんだという話だけど、それがよりによって琴音なのだから、不思議な感覚で。
「……もう、夕方ですね」
「えっ、あぁ、せやな」
「結局、丸一日、貴方と過ごしてしまいました」
「なんや。ご不満か」
「まさか」
その一言に一切の澱みは無い。
裏に隠れているモノなど、それこそ。
「……中々に新鮮な一日でした」
「そりゃあ、良かった」
「また、来ることにします。家からも近いですし」
「それ、俺も着いてってええか」
「……構いませんけど、どうしてですか?」
首をコテンと傾げた先には、どんな顔をした俺が映っているのだろうか。あまり想像したくはない。彼女たちと比べれば、グロ画像にも劣る無味無臭の劇薬だ。
「プールで何があったか忘れたとは言わせん」
「……まぁ、視線は感じましたけど」
「お前みたいなん、一人でほっぽり出せるか」
「そう言われても……今までも一人でしたし」
だとしたら、今まで一体どうやって身の危険を回避してきたのだというのだ。ありとあらゆる魔の手がこの宝石をみすみす見逃して来たとは到底思えない。
……高嶺の花、というやつか。或いは。初見に対してはまぁまぁ冷たいからなコイツ。力でゴリ押しならともかく、冷静にあしらわれたら立ち直れない。
「……ただ」
その瞳は純白のアイスクリームのみを捉えている筈だが、包み込むような温かい眼差しに当てられ、今にも溶け出してしまいそうであった。
その熱源がコーンをギュッと握る、掌の汗によるものか。知れずに滲み出る左胸の鼓動か。
俺は勿論、彼女でさえ分からないまま。
「一人で来たところで、何も分かりませんから。また来るというのであれば……貴方を誘うことにします。構いませんよ、ね」
アイスなのか俺なのか、ぶつける視線はハッキリしてほしいものだが。なんとも不安げな所作一つひとつが、彼女の持ちうる精一杯の表現であった。
「……泳ぎにくかったろ。今度はスク水でな」
「……はい。受けて立ちます」
満足げに頷き、くすぐったさを抑えるように微笑む。曇りは無く、真夏の晴天にも劣らない。
真っ白な素肌に一滴の雫が浸り落ち、やがて吸い込まれるように消えて無くなった。一切の憂いすら、この時間には必要無いとでも言うように。
* * * *
上大塚駅から歩いて数分の住宅街に暮らしているという、彼女のような美少女にとって最高峰のプライバシーを探るつもりも無かったが。
やたら重たい紙袋を抱え帰路に着く為、俺の両腕両足は必要不可欠であった。歩くペースはカタツムリに劣らず鈍い。
いつもの練習より疲れてるって。
普段なにやってんだろ。俺ら。
「もう陽が落ちるのも早いもんやな」
「これから早まる一方ですね」
「なんで夏至なんに6月なんやろな」
「この時期に暑い日本のほうが世界的に見れば特殊なのです。夏至とは本来……」
「ああ、ええわ。あとで調べっから」
とは言いつつも荷物を抱えてアスファルトを進む過程に深刻さを覚えないわけでもなかったので、適当に返事を返し先を進む。
なんとなく長くなりそうだし。
というかそんなに興味無いし。
科学的解説とかいらんし。
少しムッとした様子の彼女は、せっかく教えてあげようと思ったのに。と俺に聞こえないであろう距離と声量でボソッと呟き、そっぽを向いた。
ごめん。聞こえてる。愛おしいわ。
「……ここです」
「でっけー家やな」
「そうですか? 普通だと思いますけど」
少なくとも、俺の実家の倍はありそうな高級住宅が立ち並ぶその街に、彼女の住処もやはり、さも当然といった出で立ちで君臨していた。
妙に社会常識に疎い一面を除き、学力的な話も含め常日頃の所作から滲み出る育ちの良さを考えれば、彼女がどのような家庭環境で育ってきたか想像にも容易い。
「荷物、中まで運ぶわ」
「あっ、良いですそれはっ……自分でやります」
「いや、重いやろこんなに」
「本当に、大丈夫ですからっ」
少し待っていてください。と一言、と彼女は手に持っていた紙袋を先に玄関先へ運ぶため、扉を開け一瞬姿を消してしまう。
すぐに出て来たと思ったら、やや強引なほどに俺の持っていた荷物を奪い去る。なんだ、そんなに家に上げたくないのか。急に悲しくなってきたわ。
「……今日は、ありがとうございました」
「ん。悪いな色々と付き合わさせて」
「いえっ……楽しかったですから。わたしも」
「おぉっ……琴音が素直になってる……」
「普段の私をなんだと思ってるんですかっ……」
ため息交じりのツッコみは、いつも通りの彼女。俺にだけ向けられているという事実が、無性にこそばゆい。
「あっ」
ふと何か思い出したのか、彼女は受け取った紙袋を地面に置いてからなにやらゴソゴソと中身を物色し始める。
待ったというほどの時間も掛からず、琴音の右手には包装ケースに囲われた例のヤツが握られていた。
「これは、陽翔さんのですから」
「……忘れとったわ」
「使ってくださいね。この子が泣いてしまいます」
「もうとっくに涙で溢れ返ってんだろコイツ」
これ以上どんな気持ちでコイツらを甚振れと。
そこまで鬼じゃねえよ俺はお前と違って。
或いはなんだ。「お願いですから使ってください」という意味での渾身の土下座か。だとしたら尚更や。毎日綺麗に磨いてやっからな。
「…………おー。それっぽいな」
「中々お似合いですよ」
「あっ? 俺に土下座が似合うとでも?」
「自ら好き好んで頭を下げたことをお忘れで?」
「……もうええわ」
一本取ってやったぞとでも言いたげに顔を綻ばせ、俺と合わせるようにケースを取り出し自身のスマートフォンに取り付ける。黒と白、真逆の二色が、憎たらしいほど映えて見えてしまう。
「アイツらの前で一緒にスマホ触らんようにな」
「はいっ。そういうのみたいですから」
「……なんでそんな楽しそうなんだよお前は」
「そんなこと、ないですよっ」
バレたら絶対に面倒なことになる。
そこんとこ分かってんのか。どうなんだおら。
今日だけでも散々褒めちぎってやっただろうに。
分かってて言ってるなら、もう、敵わんけどな。
「では、またフットサル部で」
「ん。またな」
「あとでカフェの写真、送りますから」
「いらねえよ……あ、でも、俺も送るわ」
「撮っていたんですか? 気付きませんでした」
まさか。
好き好んで写真なんか撮らねえよ。
俺のフォルダに入っているのは。
ただ、本物の恋人同士のように写真に写る、そこそこに楽しそうな自分と。誰よりも魅力的な、お前の姿だけ。
送られてきたその写真に、どんな反応を示すのか。気になって仕方がなかった。
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