116. 顔
何本かの勝負の結果、勝ち負けはほぼイーブン。お互いあまりに熱中したせいか。何回勝って、何回負けたかなど覚えていなかった。
一つ確実に言えることは、琴音のアドバイスの結果、俺の泳ぎは確実に速くなったということだ。
ただ前に進むためだけでなく、いかに効率良く水の抵抗を減らすことが出来るか。という点に着目してあれこれ試行錯誤していると、確かに最初の一本より、スムーズに前進していることが分かった。
思いもよらぬ収穫を、やはり思いもしない相手から得るとは。分からないものだ。教えを乞うのも、たまには悪くない。
流石に琴音が疲れてしまったので、一時間と少しほどでプールを後にする。
というのは少し建前もあり、明らかに彼女の着ている水着がズレ始めていて、人様に見せられない部分がふとした拍子に飛び出しかねない状態になっていたのだ。
そろそろ頃合いだな、と適当に言葉を侍らせ、水中から引き上げた。その後、やはり恥ずかしそうにプールサイドを軽く駆け足で去っていく姿を見るに、彼女も気付いたようで。
多分、勝敗を覚えていないのはその辺もある。
最後の方、明らかに集中できていなかった。
だから言っただろ。
見るなって方が無理なんだっつうの。
「お待たせしました」
「……なんか悪いな。色々買わせて」
「まぁ、ちょうどいい機会ですし」
ペラペラのシャツとトレーニングパンツを履いた琴音が、ウェイトルームに現れる。やはり、サイズは合っていない。
今日着て来た私服ではさすがに運動できないので、売店に売ってあったトレーニングウェアを適当に購入し、現在に至る。練習も合宿も体操着だったし、この辺で買っといてむしろ好都合だろう。
で、また同じ現象が起こっている。こんな男ばっかりの場所に琴音を連れ込んだらどうなるか。
分かり切っていた話であるが、彼女への好奇の視線があちこち散在すると共に、俺への怨念めいた何かもさらに増して飛び交っている。
場違いなのは今更なので、もう何も言わぬ。
「んー。どれやろっかねぇ」
「……どれがどれだかサッパリなんですが」
「あぁ、そりゃ分からんか」
様々な機材が並ぶトレーニングルームは彼女にとって未知のゾーンのようで、あちこちキョロキョロ見渡しながらどうにも落ち着かない様子である。
俺とて本格的なジムは久しぶりだ。高校にもこういう施設は無いことも無いが、たいていは他の運動部が使っていてどうにも気乗りしないし、見られるのも恥ずかしいし。知り合いなんぞおらんが。
「まっ、分かりやすくランニングマシーンやな」
「地面が動く、あれですね」
「んっ。それ」
丁度空いていたマシーン二台。
隣同士、並んで乗り込む。
ところで、有酸素運動系となると。
俺としては物凄く不安な。
或いは不思議な点が一つ。
「……お前、確か体力全然無かったよな?」
「そうですね。自信はありません」
んな自信が無いことを自信気に言うな。
「……泳ぐのは速いってどういうことやねん」
「さぁ……水中は疲れを感じにくいのでしょうか」
言われてみれば、といった感じで首を傾げる。
その仕草さえ絵になるのだから、もう尚更分からん。
そう。俺の知る限りこの女は、素振りを数十回しただけでぶっ倒れるような、ゴミみたいな体力しか持ち合わせていない筈なのである。
むしろその図体なら、水中では動きにくいのでは……という最大級の疑問は、ついぞ墓場に行き着くまで解決されないと思われる。聞く勇気が無い。殺される。
「適当に走りますか」
「途中で切り上げてしまうかもしれませんがっ」
「構へんわ」
操作方法を雑に説明。
お互いほぼ同時にスイッチを押す。
いきなり滑り出した地面に琴音は大いに慌てていたが、何分久しぶりに使うのでこちらも余裕綽々というわけにはいかない。が、流石に身体が覚えていたのか。すぐに体制も安定。ロングランに備えたフォームで走り出す。
「おー。行けるやん」
「なんとなくっ、コツが分かってきましたっ」
初めはドタバタしていた彼女も、既に安定したフォームで走ることが出来ている。相変わらず、胸元だけは落ち着きなくドタバタしているけれど。
(…………え、会話がねえ)
トレーニング中にベラベラ喋るタイプでもない。気にしなければいいだけの話なのだが、隣に琴音がいると考えると、どうにもいつも通りというわけにもいかない。
いや、無理して会話をする必要性なんぞ皆無なのだが。カフェからプールまでダラダラとお喋りしていたせいか。回転するロールをギシギシ踏むだけの空間が、嫌に寂しく感じる。
「……悪いな、付き合わせて」
「着いて来たのは私ですから」
分かっていたことをまた穿り返すだけの会話。
ホンマ、意味なさ過ぎて笑う。アホかと。
こういうときこそコミュニケーション能力が試されるのだというのに、この辺りちっとも変わらんなあ。俺という奴は。
「…………あの、陽翔さん」
「ん、どした」
「……大した話では無いのですが」
勿体ぶるように言葉を切り、地面を見つめている。
なんだ告白か。違うな。うん。
「先ほどから、その、やたら私のことを、褒めちぎっていますけど」
「おー。それがなんや」
「……本当に、冗談じゃないんですよね……?」
「だから、そう言ってるやんけ」
「……そう、ですかっ……」
俯き気味だった身体が更に猫背になる。
顔を見られないようにしているのか。
可愛いな。おい。
「……その、まぁ、どうでもいい話ですが」
「んっ」
「物凄く、戸惑っているわけです。わたしは」
「おー、そうか」
「……ぐっ、具体的に、ですねっ」
「あんっ?」
頬が真っ赤に染まっていることに変わりはないが。それでも、意を決したように視線を上げ、キッと表情筋に力を入れる。
「私の、どっ、どこがタイプなんですかっ……?」
「…………顔」
「かっ、顔……っ!?」
「俺が見てきたなかで一番可愛い思っとるで」
「…………そう、ですか……っ」
意地でも視線は下げない。
どこをボーダーラインに設定しているんだ。分からん。
まぁ、本当のことではある。
可愛い、綺麗、美人と一口に纏めても色々あるわけだが、一目見て「可愛いな」と感じたのは後にも先にも琴音だけである。
愛莉はまず、顔を確認するより先にボールを撃ち込まれて、目が覚めたときには背中しか見えていなかったわけで。容姿を評価する以前の問題である。その後がそれはそれで問題だったけど。
比奈は割かし、というかこの街に来て初めてまともに喋った相手だったから。良い奴だな、とは思いつつもその可愛らしさに気付くまでは結構な時間が掛かっている。節穴とでも何とでも言えばいい。
瑞希は……まぁ、綺麗な顔してるな、とは思ったけど。初めて会った日は愛莉の状態を確認するので精一杯だった節はあるし、先に「ヤバい奴」という印象が残ってしまったというか。
ただ出会い方だけならコイツが一番エキセントリックなんだよな。なんつったって、俺のこと完全に敵視していたわけだし。飛んでもねえ奴だとは思ったけど。
けど、それと同じくらい「性格さえまともなら」と思っていたのも事実である。俺の異性に対する感受性がイマイチ定まっていないうちは、明確な答えが出ることは今後も無いのだろう。
「……悪い気は、しませんけど」
「おー、そりゃ良かった」
「勉強さえ、褒められたこと無いので」
「……琴音?」
「フットサル部に入って、初めてです」
なんだろう。この違和感は。
その瞳に映っているものは。
先ほどまでのものと、全く違う。
彼女は良く似たようなことを口にする。
勉強以外に取り柄が無い。といった風に。
無論そんなことはないと思うし、彼女にしてもフットサル部で過ごした時間がそういった固定観念をある程度和らげているのだと、当人が口にしているのだから。
気にするようなことじゃ、無いんだけど。
寂しそうな、目をしている。
「…………なんや、全然行けるやんけ」
「……はい?」
「スピード、もう少し上げたら」
「……いや、もう限界っ……」
「ちょっ――――琴音ェェッッ!!!!」
足元が絡まり、そのままロール上にブッ倒れる。
そのまま流れるように後方へ。
いや、ギャグかよ。普通に痛いだろそれ。
「おいおいっ、大丈夫かよっ」
「……けっ、怪我は無いのでご心配なく……っ」
「やせ我慢すんなって」
「でも、本当に疲れすぎとかじゃ無いので……っ」
「いや、鼻。赤くなってるから」
走り過ぎか、恥ずかしがり過ぎか。
どっちにしたって、別に構わないが。
そのどちらでもない理由で、バランスを崩してしまったのだとしたら。少し、気になる。今の俺にはどうしようも出来ないことだと、勿論知っているのだけれど。
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