113. ふんっ
「は~いこっち見てくださ~いっ!」
満面の笑みでスマートフォンを向ける女性店員。
合間にはハート形のグラスと二本のストロー。
二つっつっても、口先が枝分かれしているだけでグラスのなかでは血管みたいにグルグル巻かれているタイプの奴なんだけど。つまり結構な距離を近付かないと、これは成し遂げられない。
一向に彼女が足を引っ張っていた。
それが悪意の塊だと、分かっていても尚。
果たしなく幸福な空間が広がっていることに一切の疑いの余地は無い筈なのだが、どうしたってこの状況を一番楽しんでいるのは店員の女性であり。
なんならある一点においては、氷河期をも凌駕する冷風が顔面を横切り彼女の表情は分かりやすくガチガチに凍り付いていた。
「いいですねぇー! もっと寄りましょうっ!」
「だってよ」
「ぃゃっ、あのっ……こ、これ以上は……ッ!」
一人だけ随分と寒そうなこって。
カップル専用と銘打つだけあって、同じ個体にストローを二本ブッ指しただけでは店側の気も収まらないのか。ほぼ強制的にテーブルの隣に座らせられ、写真を撮られている。
店中の客が、あからさまに震えあがっている琴音の様子を見て「可愛いー」だ「恥ずかしがってる~」だと口々に感想を述べているわけだが、この事態の深刻さに気付かないとでも言うのか。
いや、まぁ、誰よりも知らんぷりして楽しんでいる極悪人が、隣に約一名いらっしゃるんですけれどね。誰なんだろうね。ホンマに。
「はいっ、一緒に咥えてっ! さあ!」
「はやふひろよ」
「どっ、どうしてこんなことにっ……!」
周囲の期待値マックスの視線を一身に浴びた琴音は、ついぞ観念した様子で顔を真っ赤にしながら空いたもう片方のストローをパクリと咥える。
でも、やるんだよな。この人。
断れよ。自分をしっかり持て。
「は~~いありがとうございま~~すっ! それではごゆっくり~~っ!」
「どーもー」
スマートフォンを回収。店員が去っていく。同時に素早くストローを外し、視線どころか顔ごと逸らす彼女。
あー。癒し。
生きててよかった。
「おい、露骨に嫌がるなよ。そういう体だろ」
「いやっ、ですからっ……それは、その、良いんですけど……」
良いのかよ、と単純すぎる突っ込みを回避する余裕も無い。
俺って人を辱める才能があったんだなぁ。
或いはネジが外れてるのかなぁ。どっちもかな。
「……本当に、気にされないんですね」
「あっ? なにが?」
「いえっ……もう、いいです……」
「んだよ、気になるやろ」
「本当にっ、良いですからっ……!」
相変わらず顔は真っ赤なままだが、少しばかり落ち着きを取り戻したようで残りのブルーハワイをちろちろと飲み始める。
もう俺にはくれないのだろうか。
いや別にいらんけど。
それから暫くの間、彼女は一切の視線をこちらに寄越さず背を向けてしまうのであった。こういうところも含めて可愛い奴なんだけど、この際黙っておこう。
「……誰にも言わないでください」
「なにを?」
「ですからっ……今日、ここに貴方と二人で来たことを、ですっ」
なにを言い出すのかと思ったら。
そんなの今更だろ。
スマホケースどう言い訳すんねん。
「貴方といると、退屈はしませんが……どうにも自分のペースが狂ってしまいます。それを良しとするか、恥と取るか……もはや分かり兼ねます」
「別にええやんけ、言い触らすわけちゃうし」
「そういう問題じゃっ……本当に、貴方は」
そりゃ嫌いな男にカフェ一緒に入ろうなんて言い出すほど調子の良い奴ではないことは知っているが、一応肯定的には捉えてくれているのか。
相変わらず好意なのか敵意なのかハッキリしねえなあ。向こうからすりゃ俺の方がよっぽど未知の生命体か。
「まぁ、これで限定グッズも手に入ったことですし……その点に関しては、感謝します。でも、ホントにそれだけですから。勘違いしないでくださいねっ」
「あいあい。分かってる分かってる」
「てっ、適当に返さないでくださいっ……」
「俺はお前と飯食えただけで満足や。それでしまい。なっ」
「…………ふんっ」
いや、可愛いな。
なに「ふんっ」って。萌えの集大成かよ。
ついぞ最後まで機嫌を直してくれそうになかったので、残りのブルーハワイを強引に奪い飲み干して、会計に向かう。
結構な量のオリジナルグッズを紙袋に入れて貰った彼女は、そのときだけ当初の無垢な笑顔を取り戻したわけである。
が、気付かぬうちに会計を済まされてしまったのと、半分の代金も受け取ろうとしない俺に思うところがあったのか。またも気に食わなそうな顔で、そっぽを向くのであった。
「……悪かったって」
「そう思うなら、少しくらい受け取ってください」
「それは断る」
「これ以上、恥をかかせるなと言っているのです」
「男の甲斐性ってモンや」
「自分で言うと頗る性質が悪いですね」
「はいはい、どうせ性悪な男ですよっと」
「そんなことはとっくに知っています」
「なら言うな、アホ」
二つの紙袋を片手にこさえた俺たちは、偉くファンシーな見てくれと関係性に反して軽口を叩き合う。
真夏のカンカン照りを避けながら、駅を出てすぐの大通りを並んで歩いていた。
すぐ近くにコインロッカーがあって、そこに荷物をブチ込むらしい。
いや、何がどうしてという話だろう。それもこれも、現状に満足できずこのままでは負け戦だなんだと宣った彼女の暴走によるところが大きい。
「なぁ、ホンマに行くん」
「なんですか。文句ありますか」
「いや、そういうワケちゃうけど」
「私も運動不足は日ごろから感じていますから。いい機会です」
「……意地張んなって」
「誰が、いつ、どこで張りましたか?」
「睨むな睨むな、可愛い顔が台無しやで」
「だからっ、そういうところがですね……っ!」
往来でまぁまぁのボリュームを出すものだから、誰も彼も彼女に向かって視線を飛ばしている。或いは美少女を侍らせている俺への死線か。それはええけど。
恥ずかしそうに辺りをあちこち見まわし、前のめりでツカツカと先を歩いていく琴音。その先には、例のプールが併設されたジムが。そう、彼女も行きたいと言い出したのだ。
割と真面目に、何に対してそこまで意地を張っているのか本気で理解不能なのだが。仮に何かしらのトレーニングで俺より高い数値を出したとして、それで彼女の自尊心は回復するのだろうか。
いや、止める理由も無いから、良いんだけど。
ただ、こんな短いスパンでまた「アレ」かと。
「早く行きますよっ、陽翔さん」
「おー、分かった分かった」
「そんな猫背で言われても、説得力無いですっ」
「え。猫やで」
「猫なら何でも靡くと思ったら大間違いですよ」
デートにしては波長が合わなすぎる、琴音との不思議な休日は、もう少し続く。
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