107. 云うならばファミリー
「ア゛アアアアアアァァァァァ゛ァァァァァ゛ッッッッ!!!!」
深夜0時過ぎ。
真夏の穢れなき漆黒に深々と混じり、獣の如き咆哮を喚き飛ばす、白シャツ短パンのモサイ髪型をした不審者が砂浜を駆け抜けていた。
無論、俺であった。
浴衣の着替え代わりとなる部屋着を一着だけ持って来ていたのが幸か不幸か。部屋に戻った俺は彼女が戻ってくることに酷く焦燥を覚え、身体中の熱気を覚ますように宿から飛び出したのであった。
掌に収まるほどの小石を拾い、走り抜けた勢いのまま、海に向かって思い切りブン投げる。その行方などいら知らず、やはり絶叫と共に、暗闇に呑まれるばかり。
火照った身体を覚ます夜風はあまりに心地良く。
枯れ枯れの喉を貫き、着々と冷静さを取り戻す。
「……嗚呼、終わった……」
割と本気で死にたかった。
明日からどんな顔をして過ごせば良いのだ。
少なくとも、瑞希にどう声を掛ければ。
自らの浅はかな、或いは矮小な姿に苛立ちを覚えると同時に、今まで積み上げてきた何かが音を立てて崩れるような。ある種の喪失感が、小波に揺られ脳内をふらふらと彷徨う。
なにをどうしろと言うのか。
謝れば済む話なのか? そんなわけ。
存在する筈もない、空回りの解決策が頭のなかを堂々巡り。そして、全てを諦め、砂浜に汚れも気にせず座り込む。
ところが、望んだようにやって来た長い沈黙は、思いもしない一声によって破られることとなる。
「……ハルト、なにしてんの?」
振り返った先には、同じように浴衣姿から普段着に着替えた、呆れ顔の愛莉が突っ立っていた。
ショートのデニムから覗く真っ白な素足は、スポーツマンというよりモデルの出で立ちに似通うそれである。
「……いや、別に……」
「別にってことないでしょ……メッチャ聞こえて来たわよ」
もう恥ずかしさの欠片も残っていない。
今更取り繕って何になる。
「目が覚めたらハルトと瑞希がいなくて、アンタだけ戻ってきたと思ったら、着替えてまたどっか行っちゃうから……どうしたのかなって」
気になって着いてきたのか。
有難い。有難いけど、余計な気遣いしよって。
これが真っ当な悩みを持つ若者相手なら、景色も相まって素晴らしい物語の一ページにも成り得る場面だろうが。
「……まぁ、その、ストレス発散、みたいな」
「そんなキャラじゃないでしょ、ハルト」
んなこと言われなくても知っとるわ。
「いや、ホンマになんもねえから、気にすんな」
「もしかして、瑞希が居ないのと関係してる?」
もう黙っててよお願いだから。
図星も良いところなのに、これ以上傷を広げないで。
「え、なに? まさか告白されたとか……っ?」
「いや、そういうのじゃ……まぁ、ちょっと」
「……そっか。なら、いいけど」
その声色は安堵にも似た感情を孕んでいるようにも伺えたが、真意のほどは彼女にしか分からない。体育座りで海を呆然と見渡す俺の横に、並ぶように座り込む。
「……んだよ。帰れよ」
「目、覚めちゃったから」
「……あっそ」
愛莉が体育座りすると、胸にボールでも抱え込んでいるような錯覚に陥る。トリックアートでも見ている気分だ。デカすぎる。いやまぁそれはともかく。
彼女も彼女で、特に話すことがあるわけでもないのか。終始無言のまま、同じように地平線の先を見つめていた。
こんな暗闇で、海の先なんて見える筈もない。
けれど、同じ場所を見つめていた。
「なんか、ハルトと二人きりって、久々かも」
「……そうか?」
「フットサル部にいるときは、みんなも一緒だし」
思い返せば、彼女と二人きりということを意識したのも、あの日の公園以来な気がする。サッカー部戦以降は、圧倒的に5人で過ごす時間が多かった。
だから、どうというわけでもないけど。
彼女が何を言いたいのか、俺には分からない。
「んーっ、涼しくて気持ちいぃー……!」
「ここまで降りて来れば、まぁ涼しいだろ」
「いいなぁ、私もお風呂入ればよかった……」
「入ればええやん。目の前にあるで」
「それ、ただの海水浴だからっ」
真っ当なツッコミも、波に流されさっさと消えていく。
決して愛莉と話がしたいからここに来たわけじゃない。というか勝手に来たし。そもそも俺がここにいる意味もさして良く分からんし。
「……ねえ、ハルトさ」
「あん」
「やっぱり、その…………あのっ」
俯いて目線を合わせようともせず、しどろもどろな愛莉の次なる一言は、どうしたって予想に及ばない。いきなりなんだ。
「ハルトは、フットサル部のなかに……好きな人とか、いるのっ?」
「…………はいぃ?」
「いや、そんな意味不明みたいなリアクションしないでよっ……」
やたら真剣な様子で何を言い出すかと思ったら。
あれなのか? 昨日の唐突に始まった恋バナといい、合宿には恋愛話をしないといけないノルマでも課せられているのか?
「べっ、別にいないなら、それでいいけどさっ?」
「……まぁ、この反応見れば一目瞭然だろ」
「ですよねー……」
愛莉からすれば、いつも通り軽く交わされてしまったとでも思っているのかもしれないが。実のところ、内心焦っている俺がいた。
ここだけの話。
今までの。つまり彼女たちと出会う前の俺は、例え混浴風呂で同世代の女子に局部を露出したところで大して気にもしないし焦りもしないような。極端な例だが。
云うならば、他人の反応とか、自身が取る行動によってどのような影響が現れるのかとか、そういった観点に全く執着の無い人間であった。
合宿前に峯岸と交わしたあの会話が、当時ならともかく、今となっては切実な問題となって表れている。
(そりゃ、嫌いじゃあ、ないけど)
人の信頼に値せず、同時に殴り捨ててきた俺が、初めて居心地の良さを感じた場所。仲間。それがフットサル部であり、あの4人なのだ。
好きか嫌いかで言えば、前者ではある。
だがしかして、恋愛感情とそれはイコールで繋がるのか?
この合宿で各々に見せられた姿。
若しくは、微かに覚えた高揚は。
決してマイナスなイメージではないとはいえ、そう簡単に結び付けられるようなものではない、そんな気もしている。
水着を失くして慌てている比奈は、可愛かった。
同じ布団で琴音が寝ていて、エライ緊張した。
瑞希にしょうもない姿を見られて、心底恥ずかしかった。
そのどれもが、彼女たちでなければどうということはない、ただ過ぎ去っていく日常の、あり触れた光景の一つでしかなかった筈なのだ。
「……今更言うまでもない話やけど」
「うん?」
「俺には、友達がおらん」
「私がいるじゃないっ」
「いや、だから……そう、それなんだよ」
ロクに人間関係を築いて来なかった俺にとって、彼女たちは初めての友達でもあるし、チームメイトでもある。だから、余計に分からなかったのだ。
「幾ら仲良くても、所詮は男女の間柄やろ」
「……それは、まぁ、うん」
「居心地が良すぎるんだよ……少し踏み込んだところで、待っとるのは単純な仲間意識やない。ただの仲間で居られる前に……余計なモンが多すぎる」
早い話、俺は恐れている。
せっかく出来た心から預けられる仲間を。信頼を。自身のしょうもないひと時の欲求や、ちょっとしたミスで壊してしまうのではないかという、とめどない不安。
見惚れることもある。ドキドキさせられる。
その感情は、衝動は、嘘でもなんでもない。
だからこそ、分からない。
彼女たちを、どう認識すべきなのか。
「……ふーん。つまりハルトは、自分がモテモテ過ぎてフットサル部の関係が壊れちゃったらどうしよう、とか思ってるわけ?」
「いや、そういうわけちゃうけど……」
「まっ、ハルトがモテモテなんて万に一つもあり得ないけど!」
えらい失礼なことを抜かし、愛莉は立ち上がる。見下ろされると、妙に大きく見えるその姿。いや、背は高いし、変なこともないのだけれど。
……俺が、小さくなっただけか。
嫌なものだ。勝手に姿勢を崩したのは、自分だけか。
「もし仮に、ハルトがフットサル部の誰かと付き合うようになったって、私たちの関係は変わらない。変わるはずない……私は、そう思ってるよ」
「…………そう、かもな」
「ほら、チームって云うならばファミリーみたいなもんでしょ? その中で、誰かと誰かが、ちょっとだけ仲が良いっていう、それだけよ。うん。分かんないけど」
「分かんないのかよ」
「だって、経験無いんだもんっ」
拗ねたように宿の方へと歩き出す彼女の背中は、言葉とは裏腹に、少し震えているようにも見えた。理由など、知る由もないが。
でも、安心している。
彼女は、強くなった。あの頃よりずっと。
けど、変わらないものも、確かにある。
高慢ちきで、自信だけは溢れているくせに。
一人では、そんな自分を肯定し切れない。
そんな愛莉だから。
いや、お前らだから、俺はここにいるのかもな。
「……なぁ、愛莉」
「んー? なーに?」
「お前は、どうなんだよ」
「…………へ?」
「俺にだけ聞いといて、自分は答えねーのかよ」
それが趣味の悪い質問だと、分かってはいたが。
ただひらすらに、好奇心ばかりであった。
「…………ほんっと、女心の欠片も分かってないんだからっ」
「あ、なに? 波で聞こえねー」
「うるさいっ、ばかっ!」
更に遠ざかって、宿の方角へ駆けていく。
そんな変なこと言ってないだろ。なんだよ。
「――――私だって、分からないわよっ!」
「でもっ、ちょっとだけ、良いかもって思ってるけどっ!!」
……いや、なにを?
質問に答えてなくね?
「アンタなんか……ハルトなんか、まだまだなんだからねっっ!! わたしはそんなっ、軽い女じゃないんだからっっ!!」
よう分からん宣言を残し、暗闇へと消えて行く。
いや、まぁ、宿に帰ったんだろうけど。
「…………なんなんアイツ」
そんな呟きと共に、俺は再び一人、海を見つめた。
ついでに言えば、瑞希との一件と今後に関して何一つ解決していないということに、それから数分経ってようやく気付くのであった。
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