106. メッチャ早口じゃん。ウケる


「部屋にいねえからさー、もしかしたらーって思ったらホントにいたわっ。へー、ハルも温泉とか結構好きなカンジ?」

「……いや、おまっ……ええ」

「昨日も言ったじゃーん。この時間、混浴だよ?」


 さも当然のように露天風呂へ現れた金髪ショートの小悪魔……もとい、悪魔こと金澤瑞希は、張り付いた小さなバスタオルのみを纏い、こちらに近づいていくる。


 そう言えば言ってたな、そんなこと。いやしかし、俺とてわざとこの時間に来たわけではない。単純に、忘れていただけなのだ。



 というか、瑞希は瑞希でなんなんだよ。分かってて入って来るし、恥ずかしがりもしないし。


 タオルっつっても、あれだからな。身体拭いたりするための小っちゃいやつだぞ。ギリギリ胸から局部まで隠せる程度のサイズなんだぞ。


 一瞬で視線外したから何も見えなかったけど。

 もしくは外さない方が良かったのか? うん?


 なんなのコイツ。なんなのなの?


 仮に俺じゃない男がいたらどうするつもりだったの? いつも通りのテンションで混浴でもする気だったの? お前ヤバいよ? 



「うわーっ、メッチャ星きれーじゃん! いやー、このタイミング狙ってたんだよねえ。たぶん人もいないし、景色超さいこーだしさっ」

「さ、さいですか……っ」


 なんの躊躇いも無くタオルを外し入浴する瑞希。

 マナー的に当然の行為ではあるのだが。


 幸いなことに、露天風呂のお湯はまぁまぁ白く濁っていてその先を目視することは極めて難しい。身体ごと浸かってしまえばあまり気を遣う必要は無いが……。


 それにしたって、この状況はいかんだろ。

 いくら端と端レベルで距離置いているとはいえ。



「……え、なに。なんなのオマエ」

「はぇ? なにがっ?」

「いや……抵抗無さすぎやろ、普通に考えて」

「えー、混浴ってこーいうもんっしょ?」

「だから、俺の存在を認識していながら当たり前のように入って来る、そのメンタリティーを問いているということは事の流れからだいたい察しろッ!」

「え、メッチャ早口じゃん。ウケるっ」


 心が折れそう。


「あ~ん? なに、恥ずかしいの? ハル」

「分かれやッ! 共有すべきものやこれはッ!」

「あっはは! これだから童貞は困るわ~っ」


 ケラケラと他人事のように笑う彼女が、恐ろしくて仕方なかった。ホンマなんなのコイツ。貞操観念とか皆無なの?



「そりゃーさすがにっ? おもっきし見せるのはあたしも恥ずかしいけどさー。別にエロいことするわけじゃないしー、せっかくの機会なんだからっ、もっとラフになろーよー」


 ラフっつうか裸婦やろお前の場合は。


「あたしなりに信頼してるんだからさー、遠く行かんでもっとこっち寄りなって、男見せろよっ!」


 だから、下半身的な意味で男を見せることを最も警戒しているのだ。分かってよ。お願いだから。ちょっとだけ察してくれよこの居た堪れない気持ちを。



「……取りあえず、前には来るな。横や、横」

「はいはいっ。ったく、ヘタレだな~っ」


 悪戯に微笑む彼女と共に、少しずつ。

 少しずつではあるが、距離を詰めていく。


 ……分かったよ。やってやろうじゃねえか。

 少なくとも童貞扱いだけは許さん。ブッ殺す。



「んん~……気持ちいぃー……!」

「恥っつう感覚は無えのかテメーよぉ」

「んー? まぁハルだからいいかなーって」


 よう分からん信用のされ方である。

 そんな身体伸ばすな。嫌でも視界に入るから。



「……………なんや、こっち見んな」

「んー。ハルって綺麗な切れ目だよなーって」


 真横からマジマジとガン見してくる。良いもんだ男は。見られたくない部分一個しかねえから。



「髪の毛、切って正解だね。そっちの方がいーよ」

「あ、はい。そっすか」

「むぅーっ。連れねーな! 褒めてんだぞ!」

「場所を選んでくれればもっと嬉しかったけどな」


 不貞腐れた瑞希は、暫く無言のままであった。

 こっちの方が有難いとはいえ、そうだけど。


 夜の静寂を打ち破る、僅かに顔の傍を通り抜けたそよ風。そして水の流れる音と、彼女の息遣いが、耳の内側辺りを優しく撫でた。


 一番煩いのは、心臓の鼓動で間違いはないが。ダメだ。風情もクソもない。のぼせるわ、こんなん。



「……お前の方がよっぽどマシな顔しとるやろ」

「…………へっ?」

「いや、別にっ。ただの感想」


 沈黙を嫌って自ら破ったは良いものの、割と意味の分からないことを抜かしてしまう。彼女よりも、俺の方がよっぽど困惑した表情をしていた。


 ただ、そこに嘘偽りは無く。

 ひたすらに本心だったから、更に困りもので。



「お前、あれだろ。俺が普段から、貧乳弄りしてるからなんも気にされてねえとか思って、敢えて入って来てるんだろ」

「へっ……いや、そういうわけでもっ……」

「ズルいんだよ。お前に限らず、愛莉も、比奈も、琴音も……なんか、普段と違い過ぎて、接し方が分からんなる。だから、まぁ、手っ取り早く瑞希に当たってるだけっつうか」


 なに言ってんだろ俺。

 自爆かよ。いや、まだだ。まだ折れん。



「まぁ、その、なんだ……女の価値は胸だけじゃ決まらんから、その、あれだ。諦めずに頑張れ。お前くらいスレンダーな方が好きな奴も、世の中には仰山おるから、うん」

「……なにそれ、慰めてるの?」

「……分からん」

「もっと意味分かんないって、それ」


 呆れたように息を漏らした彼女の表情は、割かし酷いことを言っている分には、そこまで嫌悪さを滲ませるわけでもなく。むしろ微笑ましいものでも見たかのような。


 俺だってなにがしたいのかは分からない。口から勝手に出ただけ。本当に、それだけなのだ。



「別にあたし、コンプレックスとか無いよ?」

「……え、ホンマに?」

「貧乳はステータス、ってな! まっ、それは冗談として」


 白桃の水面をジッと見つめている。

 反射しない分、言葉ごと吸い込まれていきそうで。



「んー、なんつーかさ……あたしはあたしで、みんなより良いところとか、勝ってるところとかあるし? だから、気にすること無いかなーって。そりゃ、ある方が良かったけど!」

「……そっか」

「ほら、もしあたしがメチャおっぱいデカくて、好きな人が貧乳好きだったら、もうどうしよーもないじゃんっ? だから余力を残してるってワケよ。な、あんだーすたんっ?」

「別にこれからデカくなると決まったわけじゃ」

「うっせーっ!! 分かんねーだろそんなのっ!」


 手を払ってお湯を飛ばしてくる。


 ダメージは無いが、暴れられても困る。

 心に傷を負いかねない。俺が。

 が、ウザイものはウザイので。



「あっちいなテメっ、こんにゃろ!」

「わっぷ! お、てめー! やるかァ!?」

「…………あ、いや、待て。やめよう。自分の格好思い出した」

「……あ。うんっ。おー、それもそっか」


 海での微笑ましい水の掛け合いではない。

 全裸だぞ。全裸。あぶねえ。踏み止まったわ。



 それからまた暫く、二人の間に会話は無かった。


 俺が余計なことを話してしまったせいか、瑞希も変に意識し出してしまったのか。先ほどよりも、僅かに距離が開いているのは、気のせいではない。


 しかし、先に口を開いたのは彼女の方であった。



「……ちなみに、ハルはさ」

「……おう」

「おっぱいおっきいのと、小さいの、どっちが好き?」

「…………ここで聞くかよそれ」

「いいからっ、言え!」


 いきなりそんなこと言われても。


 考えたこともない。割とどっちでもいい気が。いやでも、深層ではきっと好みはあるんだろうな。わざわざ公言しないけど。ましてやコイツの前で。



「……まぁ、あれや。デカければ良いってもんでもないだろ」

「じゃあ、あたしくらいド貧乳でも?」

「別にお前、言うほど小さく無いやろ」

「えーっ! ハルが言ってんじゃんいっつも!」

「いや、だから相対的にというか……」


 比奈でさえ同世代のなかではまぁまぁある方だというのに、あの二人は比較するのも烏滸がましいレベルである。瑞希のサイズで混じったらそんな扱いにもなるというか。



「……まぁ、その、いっつも言ってるのは悪かったから……あんま気にすんなよ。昨日の水着も、普通に似合っとったし。あれはあれで、アリちゃうん」


 また余計なことを口走っている。

 こういうとこだよな、コイツに弄られるの。


 しかし、俺が思っていたような反応が、瑞希から帰ってくることは無かった。彼女は虚を突かれたように目を丸くすると、視線を外して小さく蹲ってしまう。



「…………可愛かった?」

「ん、まぁ、せやな。可愛かったんちゃうの」

「……おー。さんきゅー」


 囁くように答えた彼女は、少し照れたように顔を水面に潜らせる。なに、その、意外性たっぷりというか、いかにも乙女チックな態度。


 いつもと違うから困ると、俺から言い出しているのに。自らそんな姿を引き出してしまっている。余計なことは言わんとこう。調子狂う。



「…………じゃーさ。ハルはどうなんよ」

「はっ……え、なにが」

「その…………サイズっていうか」

「…………ア?」


 俺のサイズ? なんの話してるの?

 いや、ていうか、あれしか無いと思うけど。


 えっ? なに?



「……あ、アレだろっ! 自分のが小さいから、あたしのことああやって弄って、ジソンシン? てやつ保ってるんだ! そうだそれだっ! チョー納得したっ!」

「いやっ……え、なに急に、ちげえよ」

「いーや嘘だ絶対嘘だねっ! ちんちん小っちゃいんだろっ!」

「ばっ、女の子がそういうこと言うなアホッ!」

「オラっ! 小っちゃい同士仲良くしようぜっ!」

「だから、小さくねえわッ!!」



 水面が揺れ、波を打ち、溢れ返る。


 図星を突かれたというわけでもない。

 ただ、根拠も無しにそんな扱いをされたのが気に障って。


 つい、勢い任せで。

 自身の置かれている状況など、まるで無視して。


 徐に、立ち上がってしまったのだ。



「――――――――ふえっ?」

「あ」



 真横に座っていたのだから、俺と彼女の間に、遮るものなど何もない。その場で立ち上がれば、勿論マナー上、タオルをお湯のなかに入れているわけでもなく。


 あるものが、ただ、そこにあるという。

 それだけの光景が、彼女のすぐ目の前で広がる。


 本当に、それだけのことで。


 もはや思考回路は、正常に作動していなかった。

 だから、出てくる言葉も。



「これ見ても小せえ言えんのかッ! アァ!?」

「…………あっ、あ、ぁぅ……っ」

「先上がるから、じゃーなッ!」



 こういうのを逆ギレというのだろうが。


 そんな自分さえまともに客観視できていない俺は、傍のタオルを手に取って風呂から上がり、乱暴な手つきでドアに手を掛け、その場を後にするのであった。






「……………………やっばぁ…………」



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