99. しょーもな


「琴音ちゃん、ご飯食べ辛くない? 首痛めるよ?」

「問題ありません」

「いやいや。窓ばっかり見てどうしたのさ」

「問題ありません」

「……ご飯粒、ほっぺに付いてるわよ?」

「問題ありませっ……」


 鏡に映っていた自分の醜態に気が付いたのか。

 或いは鏡越しに俺と目が逢ったのか原因か。


 それはもうあからさまに顔を真っ赤にして、人差し指で瞬時に米粒を掬い取り口に含むと、またも窓側にそっぽを向いて白米を掻っ込む琴音。



 皆が起床してから朝食を取っている現在に至るまで、琴音の言動は一貫していた。徹底的に俺と視線を合わせようとしない。


 いや、理由分かってるんだけどね。

 みんな不思議そうにしてるけど。俺が悪い。


 でも喋ったところでどうしろと。そもそもアイツが余計な行動を取ったのが……いや、五分五分、7対3ってところか。せめて謝る機会は欲しい。俺が辛い。逆に。



「……アンタ、琴音ちゃんになにしたの?」

「えっ」


 無駄に鋭い愛莉が、横からぼそりと一言。

 クソ。誰が隣でも避けられぬ疑惑か。



「琴音ちゃんがおかしくなるときは、だいたいハルトが何かしたときって相場は決まってんのよ。正直に白状しなさいっ」


 間違ってないけど間違ってる。色々。


「まぁまぁ、そのうち元に戻るから、ねっ?」

「くすみんだからね~」


 前者はともかく、後者はどんな根拠があってほざいているのか。いや、まぁ、言わんとしていることが分からんでもないのが悲しいところだけど。



 琴音がこんな調子だったので、その他三人はともかく当事者二人はせっかくのバイキングもさして楽しむこともできず朝食を終える。


 別に楽しみにしていたとかそういうのちゃうけど。お互い視線を気にして、席を立つのも一苦労。真っ二つに綺麗に割れる納豆のパックが、何故だか腹立たしい。



(切り替えや、切り替え)


 いつまでも失点を悔やんでいても仕方ない。

 同点に向け集中を入れ直すことが大切だ。


 いやしかし。

 確かに俺のミスから始まった失点だけど。


 なんなら俺がミスった後に、思いっきり自陣のゴールマウスに蹴り込んだのは琴音の方なんじゃないかと。俺が言いたいのはそういうことなんじゃないかと。



 あれこれ考えているあいだに時間は過ぎる。


 身支度を終えた俺たちは、宿のすぐ傍に併設されている屋外のフットサルコートへと足を運んだ。計4面、ボールも、マーカーも、ビブスも用意されているようで。


 サッカー部との試合前に近所のコートを借りたが、あそこよりも芝生の管理状態が良いのか、足に良く馴染む。新しいシューズの調子も悪くない。


 何より丸一日使えるのが本当に有難い。初めてフットサル部で練習らしい練習が出来る気がする。



「んんーっ……! 風気持ちいぃー……!」

「ほんとっ、涼しいよねえ」

「おしっ、関節バッチシ! 今日は動けるっ!」

「判断基準オッサンかよ」


 やはり瑞希だけ妙にズレている。


 だが愛莉と比奈の言う通り、海からほど近いこのコートには浜風が緑色のネットを通して流れ込み。真夏の暑さを忘れさせてくれるほどには快適なコンディションが演出されている。


 カラフルな練習着を纏った美少女と芝生の青は、視覚的なソレだけで無駄に充実感を伴う。なんだったら、もう割と満足。



「……琴音。靴紐結べてないぞ」

「へっ……あっ、は、はい、お、お構いなくっ」


 コートの端で居心地悪そうにしていた琴音は、俺から声を掛けるなり慌てふためき、ポニーテールに纏められた黒髪を靡かせその場にしゃがみ込む。


 これは流石に練習へ影響出るだろ……俺だって恥ずかしいのは一緒だっつの。



「……悪かったって。だから機嫌直せよ」

「あ、貴方が悪いというわけでもっ」

「ああっ、だから結べって」


 小さな悲鳴と共に、彼女は芝生の上ですっ転ぶ。


 俺だけが気付いたのは、不幸か幸いか。駆け寄って足元に跪き、しっかり結べていなかった靴紐に手を掛ける。


 両足とも雑にやりやがって。

 怪我するぞホントに……心配させるなよ。



「そ、それくらいやりますからっ!」

「できてねーからやってんだろ」

「ぁ……いや、でも」

「いいから黙ってろ。あと足動かすな」


 黙々と靴紐を結び直す俺のことを、彼女は上からジッと見下ろしていた。多分な、多分。確認できないからなんとなくだけど。



「…………本当に、忘れてください。あれは」

「ああ。なんかあったっけ」

「あれは私でなく、本当に、ドゲザねこがっ」

「憑依したんだろ。分かってる分かってる」

「ですからっ、喋ったのも私じゃないのでっ!」

「わぁーった、分かったから、動かすなって」


 人の靴紐を結ぶの意外と大変なんだぞ。

 お前の相手するよりかだいぶ楽な作業だけどな。



「言わねえよ、誰にも。墓場まで持ってっから」

「…………なら、いいんです」

「貸し一や。今度アイスでも奢れ」

「……まぁ、それくらいなら」

「それとも、お前も語尾ににゃーとか……」

「ぜったいに嫌です!!」


 おーっとどうしよう。

 瑞希の貧乳弄りより新鮮で楽しいわこれ。


 でも、いつかやってくれねえかなあ。

 割と本気で見たいんだけどなあ。



「はい、おっけ。怪我すんなよ」

「……あ、ありがとうございますっ……」

「ほれ、手ェ貸しな」


 右手を掴んで、せーので立ち上がらせる。

 なんとまあ柔らかい肌だこと。気が散るわ。



「じゃっ、始めましょっか。まずはアップからね」


 なんとなく愛莉が音頭を取り、本格的に練習がスタート。初めて部長らしいところ見た気がする。



 そういやこのチーム、キャプテンとか決まっているのだろうか。なんとなく、なんとなくなんだけど、俺なんだろうな。言われるまでは引き受けて堪るものか。


 名門校仕込みのウォーミングアップで身体をほぐし、ボールを投入。まずは二人一組になってパス交換だ。え、誰が余ったのかって。俺に決まってんだろ。



「行くよぉー」

「へ、へーい!」


 史上かつてない、たどたどしい掛け声やな。

 まぁ声を出すようになっただけ成長か。


 ヒョロヒョロの声を挙げた琴音の左腕に従った、比奈のパス。約40mの長さのコート、半分ほどを綺麗に直進。


 センターラインからゴール前までなら、もうソツなくパスも出せるようになったようだ。左足のキックも遜色ないし、あとはパワーだな。女子には酷な課題だが。



「えいっ!」


 琴音もパワー、コントロール共にまだまだとは言え、初心者のような軸の定まっていないキックではなく、しっかりパスを届ける相手を見据えたもの。


 比奈共々、初めのうちにキックフォームをしっかり教え込んだのは正解だった。後はこれを、試合中に発揮できるかがポイントだろう。



「……で、あっちはなーにやってん」


「くたばれオラ長瀬エエェェェ゛ェッッ!!!!」

「うぉりゃア゛アアアッッッ゛ッ!!!!」



 悪魔の叫び。



 簡単に説明すれば、お互いコートの端に立ってボールを蹴り返している。それもノートラップで、弾丸ライナーを撃ち合っているのだ。


 一球撃つごとに女性が出していいレベルじゃない怒号を孕ませ、傍から見れば喧嘩と勘違いしても何ら不思議ではない攻防が繰り広げられていた。


 身体暖めるんじゃなかったのかよ。

 他の利用客来る前に辞めろよなホンマ。



「……なんか、二人とも……」

「段々近づいていませんか……?」


 事の重大さに気付いた二人も、彼女たちの攻防を見守る。

 その通り、奴らは段々と距離を詰め、最終的には。



「こんのバカ瑞希ィィィィッッ!!」

「うるせえええええ゛ェェェェ!!!!」

「うぉりゃあああ゛あああああッッ!!!!」

「ブホェ゛ァッッ!!!!」



 ……………………



「フゥー…………さっきの仕返しよ、ふんっ」

「……瑞希になんかされたん?」

「練習着にホッカイロ仕込まれた」

「しょーもな」

「あと靴に冷えピタ」

「しょーもな」



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