98. ははっ!


「……………………なにが起こった……」



 朝起きたら、横で琴音が寝ていた。


 比奈と二人で言葉を交わし部屋に戻ると、緊張みたいなものがドッと抜けたのかどうかはともかく、急速に睡魔に襲われ眠ってしまった。


 ちゃんと広縁の隔離されたところで。

 万が一にも、連中の眠っていたエリアではない。


 にも拘らず、である。



(……え、なんで? なんで? 怖い怖い)


 目が覚めたら、やったら動きづらいと思って反対側を向いてみると、それはもうスヤスヤと眠りこける琴音が、俺の左腕に抱き着いていた。


 右手でスマホを探し時間を確認すると、まだ6時にも満たぬ早朝。多少は寝たかという程度の経過である。いや、うん。そんなことは割とどうでも良くて。


 見たところ、しっかり閉めたはずの障子は開けられている。ということは、彼女自らここまで移動して来たということか。


 ガチガチに抱き締められる左腕。

 やったら寝心地悪いと思ったわ。



「……んんぅっ……」

「……勘弁してくれよ……ッ!」


 琴音の寝相が良くないことは分かっていたけど。

 それにしたって限度があるだろう限度が。


 つまり、窓側で寝てるんだぜコイツ。寝ぼけていたのかどうかは知らんけど、わざわざ俺の上を通過してこっちまで来てるんだからな。いくらなんでも気付けよ。


 薄っぺらい毛布をもぞもぞと動かす琴音。その度に、絡みついた左腕には豊満なソレの感触が、あざといまでに伝わる。これまで生きてきて感じたことのないタイプのやつやこれ。



 夜になんとなく見た限り、上の肌着は付けていない。浴衣越しでダイレクトに伝わって来る感触。


 そしてこれは、恐らく人生初の危機的状況。

 分からない。どうすればいいんだこの修羅場。



「…………んんっ……むぅ……」


 左腕を動かすと、隣からは艶めかしい吐息が漏れる。


 琴音がチビで本当に良かった。愛莉くらいの背丈だったら、耳が蕩けて死んじゃってたかも分からん。怖いよお。精神が崩壊しちゃうよお……!



(落ち着け、考えろ。最適解はなんだ……ッ!?)


 出会った経緯を考えれば、琴音の被害妄想は結構なモノなので、正直に起こして事情を説明するのはリスキーな選択と言える。


 漏れなく勘違いして濡れ衣を着せに掛かるだろう。そして俺のフットサル部での生活は終了。シャバにもお別れを告げる必要さえある。


 が、果たしてここから抜け出すのもどうか。彼女が俺のテリトリーで寝ているのも動かしようのない事実。とすれば、俺が居なくなったところで大してその後への影響は変わらないのではないか。



(あれ? 詰んだ?)


 どうしようもないなこれ。


 もう狸寝入りするのが一番良い気がしてきた。寝ていれば、彼女も俺に非が無いことを察して自分のエリアに戻ってくれる。期待値としては最も高い選択肢の筈だ。多分。恐らく。



(成るように成るだろ)


 思考も行動も諦めよう。

 まだ朝は早い。考え事とかね。無理。知らん。



 振り返った先に転がる、新雪と見間違う真っ白な肌。

 可愛いというよりか、美しいという表現が的確だろう。



 ホント黙っていれば断トツでタイプなんだよな、コイツ。たまに喋ったと思ったら、琴音だから残念だけど。


 これほど容姿と体型に恵まれていて、男に全く縁がないというのも不思議な話だ。性格関係なしにアタックする奴なんて腐るほどいるだろうに。改めて比奈の偉大さに敬服するばかりである。



 しかし難儀な性格を掘り下げれば、それはそれで魅力に溢れているのもまた事実で。他の三人とはまた違ったところで波長が合うのも、やっぱり本当のことで。


 フットサル部というツールが無ければ、決して出会うことは無かった彼女。でも、全く別のところで出会っていたら、どうなっていたのだろう。


 俺が俺でなかったら、すぐにでも手が出そうな連中ばかり集まっている。それこそ、空いた右腕を数センチ先に伸ばしたら、果たしてどうなるのか。



「むぅ……んん…………っ」


 あ、やっべ。起きるかもこれ。もう喋ることも思い浮かばんし、やはりここは寝たふりで……。


 ギリバレない程度の薄めで、琴音の動向を確認。

 まだ眠そうだが、身体を起き上がらせる彼女。そして。



「…………へッ!? なっ、なんでっ……!?」


 死ぬほどビビって距離を置こうとするが、寝起きで上手く動けないのか、さしてその位置関係に変わりはない。


 俺もビビったので、寝返りを打つふりをして顔を逸らす。さて、大人しく事情を悟ってお帰りになってくれ。



「あぁっ……またやってしまったのですね」


 寝相が悪いのは自覚済みなのか。そりゃあ部屋が一緒じゃ生きてる心地しなかっただろうな。



「やはり抱き枕が無いと……これは流石に想定外でしたが」


 抱き枕常用してるのか。イメージ通り過ぎる。

 想像しただけでさぞ血反吐が出る可愛さに違いない。


 というか、コイツ独り言も敬語なんだな。

 ですます口調の黒髪美少女て。ゲームでもねえよ。



「起こしてしまったら色々ややこしいですねっ……今のうちに戻りましょう。失礼しますっ」


 俺の身体を跨ぎ自分の布団へと戻ろうとする。

 どうやら察してくれたようだ。こういうとき地頭って大事。



「……………………」



 あれ。行かない。

 もう目ェ瞑ったから分からんけど、立ち止まってない?


 一瞬だけ薄めで確認すると、琴音は俺の顔辺りをジッと見つめていた。なんだ。まさか、狸寝入りがバレたか? ここまでの命か……ッ?



「…………似てますね。意外と」

(はい?)


 そんな一言を残して、彼女は自分の布団へと戻っていく……のだが、再びこちらに戻ってきた。片手に、何かを握り締めている。


 確か鞄に付けていた、小さい猫のぬいぐるみだ。

 こないだゲーセンで取った……なんだっけ?



「……なるほど。目ですねっ……肌も案外、色白で……それにこの顔、土下座が良く似合う顔です」


 思い出した。ドゲザねこ。

 現代社会が生み出した悲しきモンスター。


 フリとはいえ寝ている相手に、失礼にも程があるだろ。つうか、一人でよう喋るなお前。ぬいぐるみ相手に話し掛けるタイプだろ絶対に。



「……すごい癖っ毛……言われてみれば猫っぽいのでしょうか……まぁ、この子には敵いませんけど……」


 ドゲザねこより格下かよ。


 ここまで来ると目を開けられないから確認のしようもないが、顔がだいぶ近くにあることだけは気配で分かる。ぬいぐるみと俺の顔を見比べているのだろう。


 そして、ふと湧き出る好奇心。


 朝っぱらから困らせたばかりか、散々コケにしやがって。こちらに一切の非は無いわけだし、ちょっと困らせるか。



「んっ。おはよ、琴音」

「――――――――はっ?」



 いきなり目を開けてみる。

 って、想像の倍は顔近いな。照れるものか。



「なんや、俺の顔じっと見て。そんなに面白いか」

「なっ……おっ、起きてたんですかッ……!?」

「いや、普通にいま起きた。寝起きはええし」


 嘘だけど。


 突然の出来事に、彼女は硬直しその場を離れることもできない。

 もんの凄い近い距離で会話している。

 だから、照れねえよ。絶対に。折れるか。



「なに? いつまで見てんだよ。おはようのキスでもするか?」

「なっ……な、なっ、なな、なっ……ッ!」


 な行の申し子かよ。


 さて、そろそろ可哀そうだし。

 この辺りで辞めておくか。



「……なんてな。悪い悪い、ゴミでも着いてたんだろどうせ……」


 が、しかし。


 そこまで出た言葉は、次の瞬間。

 予想だにしない一言で、無意味なものとなる。



「――――――――やあっ、こんにちわ!」



 えっ。



「僕はドゲザねこっ!」



 はい?



「僕にそっくりだったから、つい見ちゃった! ごめんねっ!」



 はい?



「…………えっ? 琴音? どした?」

「ドゲザねこだよ! ははっ!」


 目を疑う光景が広がる。


 彼女はぬいぐるみを顔の前に差し出し、確かに、裏声でそう言った。


 まさか、いや、そんなはず。

 でも、他に考えようがない。


 まさかコイツ……ッ!



(ドゲザねこに成り切って、この場をやり過ごそうとしている……ッ!?)


 こんな琴音見たことないとか。もうそんな段階を超越している。人間、本当にギリギリまで追い込まれるとこうなるのか。すげえ。



「…………あーー…………そうか。ドゲザねこか」

「断じて琴音ちゃんではないよ! ははっ!」


 ははっ! は不味いだろ。

 それはもう別のキャラやん。


「そうか。なら、仕方ないな。似てたんだもんな」

「じゃあ、僕はこの辺でっ! ばいばいっ!」


 そのまま立ち上がってクルリと背を向け、ドアへと猛ダッシュ。


 部屋から飛び出た琴音。

 呆然としたままの俺が、その場に残される。



「…………後でちゃんと謝ろ……」



 今後の身の振り方を考える、午前6時の誰も知らない話。


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