86. 逃げ場がねえ
「広くねえじゃねえかッッ!!」
「あれぇ……? パンフより縮んでな~い……?」
「んなわけあるかっ……!」
案内された部屋は、布団を四枚敷いたらいっぱいになりそうな客室と、ありがちな椅子二つと小さなテーブルが置かれた広縁が続く、どうしたって五人では狭い和室であった。
言っちゃなんだが、俺の家よりちょっと広い程度の空間。キッチンが無い以外はほとんど大差ない。
ひと夏の逢瀬にはほど丁度良いが、それ以上は望めないだろう。窓の外に広がる絶景のオーシャンビューも慰めにはならない。
「ふーん……浴室もあるのね。ハルト、良かったじゃない」
「そこで寝泊まりしろと?」
「案外居心地良いかもよ?」
「コイツ……」
集合時のいざこざに纏わるうっ憤を晴らすような雑な扱いである。
いやあ。シンドイ。
これは思っていた以上にシンドイ。
「じゃ、ハルは奥の方ね」
「だと思ったわ」
「陽翔くん、景色独り占めだねえ」
「やめろその屈託のない笑顔。絶対裏があるだろ」
謝るべきは俺ではない。おかしい。
「まっ、気にしてもしゃーねーし、準備しますか」
「誰のせいだと思ってんだテメェ」
お小言を華麗に聞き流し、瑞希はテーブル上のお菓子をさっさと口に放り込む。鞄から冊子のようなものを取り出した。ほっとくと全員分食べそうだなコイツ。後でちゃんと回収しよ。
「……なにそれ」
「ふぁんっ? 合宿のしおりに決まってんだろ!」
「食いながら喋んなよきったねえな」
「心配なさんなって。比奈ちゃん監修だからなっ」
先ほどの失態を見るに、もはや彼女も信用できないのだが。
「とりあえず、晩ご飯が18時で、お風呂は日付変わるまでだよん」
「わーっ、温泉、楽しみだなぁ♪」
「比奈、好きですよね」
「ここの温泉、ちょっと有名だから来てみたかったんだよねえ」
「コートはいつから借りられるの?」
「んー? 9時から17時まで一面借りてるよ」
ほぼ丸一日使えるのか。そりゃ有難いことで。
仮にも合宿だしな。旅行ではない。断じて。
「……9時? てことは、もう使えるのか」
「ん、明日の話ね。今日は借りてないよ」
「あぁ、そういうことか…………あん?」
今日は?
「…………え、なに? 練習しねえの?」
「だって2泊あるんだからさー、練習ばっかとかつまんなくない?」
「いやっ、おま、合宿の意味を履き違えてなっ」
「今日はなっ、海で遊ぶッ! 予定は以上だッ!」
「えぇー……」
準備が無いわけではないが、最終日にちょっと遊ぶ程度なのかと。そういうお遊びはやることやってからの方が……。
「…………おい、なんで誰も反論しねえんだよ」
「いやー……それもまた乙かなぁ……と」
「こんなに近くにあるんだから、沢山遊ばないと損だよねえ」
「比奈がそうするなら、私は着いていくので……」
「この甘ちゃん共めェ……」
総勢、遊ぶ気満々であった。なるほど。これは、あれだ。いつもと変わらない感じか。ふざけろ。
「まーまー、そう怒んなって!」
「怒ってはねえ。けど、そうじゃなくてだな」
「女の子に囲まれて海とか、実は嬉しいんだろ~? んん~?」
「喜ばれるような身体してんのかよ」
「喧嘩だな? 喧嘩売ってるな?」
瑞希は良いよ。
普段から薄着だし。大差ねえわ。多分。
ただ、他の三人が。
火薬庫そのものと言いますか。
「じゃ、用意して行きますかッ! 海っ!!」
「いえーい♪」
「……ちょっと、いつまで突っ立ってんのよ。着替えられないでしょっ!」
「俺がなにしたってんだよ……っ!」
障子で仕切れるような仕組みになっていたのが幸か不幸か、俺が広縁へ荷物を持ち運ぶと同時に視界を遮られる。シャットダウン。
椅子とテーブル退かすくらい手伝ってくれてもいいじゃん。ねえ。
「着替えるから、絶対に開けないでよねッ!」
「いやっ……なら外出るって」
「障子に触れたら罰金なんだからっ!」
「厳しすぎやろ」
* * * *
着替えだけでキャーキャー喧しい女性陣を待つこと数十分。ようやく障子に触れる許可が下りたので開けてみると。
「……え、変わってねえじゃん」
「はぁ? 中に着てるに決まってんでしょ」
「あーあーそうですかッ! 悪かったな経験値低くてよッ!!」
「おぉっ……ハルがキレてる」
「その半分は貴方が原因だと思いますが」
最低限の荷物だけ手に取って、宿を離れる。道路を渡れば、すぐに砂浜へたどり着くこの距離感だけは素晴らしい。
シーズン真っ盛りということもあり、人、人、人でごった返している。いくつか見えるパラソルの下は既にほとんど埋まっているようで。
あ、いいな。あそこバーベキューしてる。先に飯食いてえ。
「比奈。朝からずっと気になってたんだけど」
「これ? テントだよ。お家から持ってきたの」
「お前の差し金だな」
「……てへっ」
「計画通りってわけや……」
「あははっ。流石にお部屋のことは予想外だったけどねえ」
瑞希に余計な入れ知恵したのはコイツで間違いない。クソ。もう誰も信用できねえ。唯一の良心だと思っていたのに。
「ハルト、これ作って」
「は? 手伝えや」
「か弱い女の子に力仕事させるつもり?」
「…………か弱い? 愛莉が?」
「アンタねぇ……」
これぐらいやり返させろ。
カンカン照りの太陽の下、真面目にテントを組み立てる。
意外と簡単だな。まぁ三人も入れない小さなサイズだけど。日焼け止め、塗っといて良かった。暑すぎる。焦げそう。
「ここをこうしってっと……こんなもんか」
「できたー?」
「おう。適当に荷物入れとっ……」
「…………ハルト? どしたの?」
「……いや、別に」
いつの間にか水着姿になっていた愛莉は、露骨に目を逸らしたであろう俺を不思議そうに覗き込む。
こんな情けない態度を取ってしまうのも無理はない話で。朝もそうだが、普段から一緒の奴が見慣れない格好していると。
(…………デカすぎる……ッ!)
彼女のスタイルからして、予想できなかった筈は無い。無いのだが。
各部位がこれでもかと強調されたシンプルな桃色のビキニは、パッと見では下着と勘違いしてもおかしくない代物で。
それだけならまだしも、軽めに羽織った白パーカーの所為で「一応隠している」感が滲み出ているのが、想像以上にダメージだったというか。
なに。なんなのお前。そんな恰好で、男子高校生の前に出てきていいと思ってんの。犯罪だよ。
「おーイイ感じじゃん! お疲れハルー」
「……ッ……あぁ、瑞希か……誰かと思ったわ」
「えぇー? サングラスしてるだけじゃんっ」
「いやっ……お前、女やったなって」
「おぉ? なんだテメェやる気かァ?」
つい暴言を吐いてしまうのにもワケがあり。
いや、まぁ、彼女に言った通りなのだ。そりゃ愛莉と比べれば貧相な出で立ちではあるのだが……。
(なに普通に黒ビキニ着こなしてんのコイツ……)
派手な金髪と相まって、似合い過ぎてもう。
トータルで見て普通に可愛いもんだから、リアクションに困る。
「わー。陽翔くん、腹筋凄いねえ」
「まぁ、多少は鍛えとるし」
「わたしも筋トレとかした方がいいのかなあ?」
「いやっ……比奈はそのままでええ思うけど」
やはり侮れない。間違いなく大穴。
その……どういう構造になってるんだ? ワンピースだけどお腹が少し見えていて……分からん。どうやって着てるのかサッパリ分からん。
ただ、薄いグレーに花柄のデザインはなんとも比奈らしい。それ以上に普段とのギャップが凄まじいんだけど。
どうしたものか。いやホントに。こんな薄着の連中と、一日過ごせと。拷問だろこんなの。
「お疲れさまです。飲み物を買ってきました」
「お前はお前でなんだよッ!!」
「えっ……なっ、なんですか急に……?」
テメェ、その体型でスク水とか。
分からん。分からんわ。釣り合いが取れているようで、取れてねえよ。そこまで豊満に育ったなら、もっと他の選択肢があっただろ……ッ!
「……………………一旦寝ていい?」
「馬鹿言ってんじゃないのっ! ほら、準備できたなら、行くわよっ!」
「日焼け止めはっ!」
「もう塗ったっ!」
「準備運動は!」
「終わった!」
「クソっ、逃げ場がねえッッ!!」
まだ初日の序盤なんだけど。
助けて。心折れそう。
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