87. シンプルに超楽しい


「…………あ゛ー……」


 海水の塩っけと直射日光にドップリ浸かりながら、もう何時間経過しただろうか。瑞希の持って来た浮き輪に挟まり、浅瀬で波に揺られている。サングラスも一緒に借りて良かった。快適過ぎて顔がふにゃふにゃ。



「行くわよーーっ! それっ!」

「ないすぱーすっ! えいっ!」

「はいどっこいしょぉっ!」

「やあっ!」

(一人おかしくね?)


 美少女たちの笑い声が水面に反射した光のようにキラキラと飛び散る。


 ビーチボールを投げて遊んでいるようだ。普段から絶対にやらないようなことも、海では楽しく感じる謎。少なくとも、日常生活で砂遊びに熱中すること無いだろ。ホント謎。



「ハルぅーっ! 一緒にやろーよー!」

「…………ふわァ…………え、なんて」

「あっ、てめー寝てやがったな! ぶっ殺してやるっ!」


 バシャバシャ波を打つ音がこちらに近づいてくる。

 小さな影が、陽の光を遮った。



「ラリアットおぉぉぉぉォォォォっっ!!!!」

「グホオォ゛ォォォッッ!?」

 

 思いっきり飛び乗られて浮き輪からひっくり落ちる。


 落ちたのはいい。許容範囲。

 お腹に肘入ってんだよ。ここで呼吸困難は洒落になんねえ。



「ブヘアァァっっ! ペッ! 海水まっず!」

「あっはっはっは! 日頃の恨みだばぁーかっ!」

「はっはーん……死にたいようだな貴様ッ……!」

「掛かってこいやッ!」

「相手になってやらァァッ!!」


 そのまま取っ組み合いが始まる。

 お互い肩を掴んでぶん投げようと必死の抵抗。

 足元が動かないので、純粋な腕力勝負である。


 勿論、背丈も力も強いのは俺なので。



「うぉらああああアアアアッッッッ!!!!」

「ブホァァァ゛ァッッ!!」


 はい、リベンジ。

 地味に浅瀬だからな。痛いぞ。知らんけど。



「女の子に対して容赦なさすぎでしょっ……」

「はっ。うるせえな、瑞希だからいいんだよ」

「微妙に納得してしまう自分がいる……」


 呆れ顔の愛莉の横から、水死体のようにぷかぷか浮き上がってくる瑞希。ウケ狙いか。よし、スルー決めよ。コイツはこういう奴だからいいんだ。いいんだよ。



「ねーねー陽翔くんっ。今の見てて思い付いたんだけどっ」

「あん? なんや?」

「抱えて、投げられてばしゃーんってやつ! あれやりたいっ!」

「何故その発想に至るのか心底疑問や」


 可哀そうという感想がちっとも出てこない辺り、お前も変わっちまったよ。嫌いじゃない。


 投げられてばしゃーん……って、つまり、比奈を抱えて投げ飛ばせと。忍びないんだけど。俺にも良心というものが。



「琴音ちゃん、眼鏡持ってて」

「だっ、大丈夫なんですか……?」

「平気へーき。やってみたかったんだよねえ」

「チャレンジャーね比奈ちゃんっ……」


 波音を立てて歩み寄ってくる。どうしよう、すっごいニコニコしてる。期待値が上限突破。


 シンプルに女の子を抱えるのが辛いんだよ。

 体重の話ではない。分かってくれよ。



「……マジで?」

「まじでっ!」

「……分ぁーったよ。やりゃいいんだ、ろっ!」

「きゃっ!」


 浮力のおかげで、持ち上げることに一切の苦労は無い。

 水の中でなくても容易だろう。軽すぎる。


 つうか、うわあ。なに。太もも柔らかっ。



「わーっ。陽翔くん、力持ち♪」

「いや、これぐらいはまぁ……」

「愛莉さん。あれは恐らく、世に言うお姫様抱っこなのでは」

「……そーなるわね」

「そこに関しては抵抗が無いんですね、あの人」

「ハルトだからなぁ……」


 傍観者の二人がグチグチ言っているが、良く聞こえなかった。取りあえずこのままだとただの変質者なので、さっさと投げよう。



「ほれっ」

「ひゃああああっ!」


 珍しく甲高い悲鳴を上げ、勢いよく着水。

 結構飛ばしたな。まぁその辺ちょっと深いから大丈夫だろ。



「二人ともっ、これすっごい楽しいよっ!」

「えっ!? みんなやる流れっ!?」

「わ、私はお断りさせていただければと……」


 ……どうしよう。暑さで頭がやられ始めたのか。それともようやく、この非日常に脳が適応してきたのか。理由のほどは定かではないが。



「楽しくなってきた」

「……はい?」

「琴音、眼鏡貸せ。俺が掛けとくから」

「は、はぁ」

「あらよっと!」

「ひっ、ひゃぁっっ!!」


 油断していた琴音を一気に持ち上げる。彼女から飛び出たとは思えない素っ頓狂な声。比奈よりちょっとだけ重い。原因はとやかく言わないが。



「なっ、なんですかっ! やらないと言いまっ」

「いや。なんとなく飛ばしたくなった」

「そんな理由が許されっ…」

「いってこーい」

「ひゃああっっ!!」


 シンプルに超楽しい。


 裏返った叫び声が破裂音と共に、水のなかへと消えて行った。

 凄い凄い。今の俺は無敵だ。なにも恐れぬ。



「……ち、ちょっと……こっち来んなっ!」

「んだよ。そんなに嫌か」

「嫌っていうか、そのっ……なんで急に元気になってるのよ!?」

「元気だからだよっ!」

「ちょっ……やめなさいってばああぁぁっっ!!」


 持ち上げた勢いでそのまま放り投げる。他の連中より断トツで筋力を要したことは、黙っておこう。永遠に。



「おーい、みずきー。そろそろつまらんでー」

「……ぷはぁっ! おいツッコめや関西人ッ!」

「知らねえよ」

「…………あれ、みんなどこ行った?」

「え。殺しといた」

「ほー……つまり、後ろの人たちはオンリョーってわけだなっ」

「……えっ」



 後ろ?



「自分はやられないなんて、思ってないよね。陽翔くん?」

「……こんな辱めに遭うとは……っ!」

「分かってるわよねぇ、ハルト……っ!」

「知らんけど、ハルぶっ殺せばいいんだなっ?」



 ごめんて。


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