70. 広げている途中

 足早に早坂家を後にした。今日はご飯食べないの? と母のアピールが凄かったが、命からがら逃れる。


 なんというか、要因は様々ではあるのだが。早坂家に対してまぁまぁの影響を与えてしまっているなと、僅かな罪悪感。有希だけの話に留まるならまだしも、進学に関してまで事実上しゃしゃり出ているわけだから。



『次はご飯食べていってね! 有希も私も待ってるから!☆(ゝω・)』

「可愛い絵文字使いやがって……」


 もはや早坂母に関しては、気遣いなのか本気で俺を取り込もうとしているのか分からなかった。後者であれば、俺も少しは気楽になれるんだが。



 誰もが存じ上げている通り、俺なんて大した人間ではない。それを自覚するためだけに、何か月費やしたか。


 有希の存在は、凄く、凄く嬉しい。あれだけ懐いてくれる年下がそもそも居なかったし、なんというか、まだ。


 まだ、違うのだ。異性としてあの子を見れるほど、俺という人間のキャパシティーは広くない。


 正確には、広げている途中、である。だから、結論は出せなかった。同性の友達すらいなかった俺が、そう簡単に彼女なんぞ作れるか。



「……やっぱ食べてけばよかったわ」



 いくら理屈を捏ね回したところで、腹は減るのである。下腹部の情けない悲鳴についぞ耐え切れず、道中のコンビニに原付を止める。


 パラパラと雑誌を読んで、適当に弁当とおにぎりをかごに詰めて。


 で、ようやく気付く。

 この流れ、あの時と全く一緒だ。



「よ。研修中」

「げっ。ハルト」

「こんな時間までよう働くわ」

「も、もうすぐ上がりだしっ……アンタ?は」

「俺もバイト終わり」

「嘘くさっ」


 前回よりもだいぶ嫌そうな顔をしている。


 なんだ。つい数時間前まで楽しく過ごしていた仲だろうに。あ、いや、違うわ。名前呼びのくだりで若干ぎこちなくなっていたの、忘れてた。



「……まだバッヂ外れねえの」

「なっ、なによっ。文句ある? 練習でシフト入れなかったんだから、しょうがないじゃない」

「別に、そういうわけじゃ」

「ふんっ。煙草は売らないからねっ」

「いや、それはいいんだけど……あ、じゃあソフトクリームくれ」

「ちょっ、なんでそういう難しいやつ頼むのよっ!? 機械の使い方教えられてないのにぃ……っ」

「研修中だろうが店員だろ。練習台だと思え」

「……マジでムカつくっ!!」


 はっはっは。仕事しろ馬鹿が。


 ぷりぷり怒りながら、長瀬は冷凍アイスを取り出して機械にカポっと嵌め、スイッチを押す。なんだ、出来んじゃねーか。



「……意外と簡単だった」

「んなもんだろ」

「弁当は? あっためる?」

「いや、いい」

「ん。830円ね」

「おい、まだ残ってんだろ」

「えっ……なんかあったっけ?」

「ソフトクリーム」

「あれっ……ちゃんと会計に入れたはずっ……」

「ばーか」



「二つに決まってんだろ」




*    *     *     *




 仕事を終えた制服姿の長瀬を乗せ、原付を走らせる。スピードを出しても、彼女が泣き叫ぶことはなかった。果たして成長と言っていいのかは、微妙なところではあるが。


 相変わらず一つしかないヘルメットを被るのは長瀬の役目で。肝心の俺は、夜風に切り裂かれながら警察の存在に怯えていたと。馬鹿げた話である。



「ほい、到着」

「ありがと……アイス溶けてない?」

「ギリギリセーフ」


 相変わらず周囲一帯を墓で囲まれたこの公園の気色悪さと言ったら。それなりに広さはあるし、深夜と呼ぶにも早いこの時間。学生が集まってもいいものだが。



「待って。払うからっ」

「はぁ? アホ言うな。俺が二つ買ったんだよ。でも多くて食べ切れねえから、たまたまそこにいたお前にあげんの」

「……じゃあ、そういうことにしておくわ」


 ベンチに座った彼女は、容器を外し小さな口でを開け、子供みたいな笑顔でアイスを頬張った。


 その姿は、どうしたって絵になり過ぎで。

 可愛ければなんでもいいのかよ。長瀬だぞ。



「アンタは食べないの?」

「いや、まぁ、ちょっと」


 こうやって着込んでいる分には気持ちの良い気候だ。夜風に当たりながらの一本も、中々に悪くない。



「ねぇ、ちょっと」

「あ?」

「……仮にも未成年なんだから、隠れて吸うくらいの努力してくれない?」

「隠れてって、お前しかおらんだろ」

「だから、私の前で吸うなっつってんの! アイス不味くなるでしょっ!」

「最後の一本や、勘弁しろ。後は峯岸に預けた」

「……本当に止めてよね、もう」


 何故、わざわざ彼女の目の前で法律違反を犯したのか。理由なんて無い。


 でも、どうだろう。色々なことがあって、色々な感情を思い出して。これはこれ。それはそれとでも言えばいいのか。


 俺にとって一番汚い部分も、長瀬なら、まぁ、見せてもいいかなと。ある種の禊に近い何かであったことは、確かなのだ。



「……美味い?」

「びみょー」

「なんや、買って損したわ」

「でも、悪くない。味なんて、どうでもいいし」


 なら、なにを気にしているのか。なんて口に出来たら、俺はもうちょっと真っ当な男子学生だったのだろう。


 二人してベンチに座り、黙々とアイスを食べ続ける。その距離は決して遠くはないのだが、かといって近いとも思わない。



 右手を少し伸ばせば、彼女の華奢な左手に重なる。重ねてどうすんだよ、と一人問答を繰り返している。


 似たようなことを彼女も考えていたら。

 それはそれで、割かし安心してしまいそうで。


 この感情を言葉に出来るものなら、今すぐにでも。そう望んだ。それが叶わないことも、やはり知っていた。



「……なんだろう」

「んっ」

「その……改まってハルトと喋ることない」

「あっそ。じゃ、帰るわ」

「ちょっ……だ、だからぁっ! アンタは、そういうところがダメなのよっ!」

「なら、どこが良いんだよ」

「……えっ」

「アイスくれるなら誰にでも着いてくのかよ。ガキでもそれくらい区別付くで」


 涼しいとも、生暖かいとも言い切れぬ曖昧な風が、立ち上がった彼女の足元を通り過ぎる。


 栗色の長髪が揺れ、その表情は隠されてしまった。



「…………まぁ、その、ね。今更なんだけど」

「おう」

「……ありがとう。試合、来てくれて」

「ホントに今更やな」

「い、いいじゃない別にっ……色々バタバタして、ちゃんと言えてなかったし」

「……それに関しては、俺も言いたいことが山ほどあってだな」

「うんっ。だから、言わなくていい。これでおしまいにしましょっ」


 空っぽの容器を宙に浮かせる。


 右足で豪快に蹴り上げられたそれは、3mほど先の自販機。すぐ脇に設置されたごみ箱のなかへ、見事に収まった。



「……ナイスゴール」

「へへんっ」

「これも頼むわ」


 今度は俺の分を彼女の足元に放り投げる。


 右足を一歩引かせ、軽めの助走。短いスカートから覗く太腿をしならせ、再び容器を蹴り上げた。


 と、思ったんだけど。



「にゃうんっ!?」

「えっ」



 コケた。



「え、なに。どしたの」

「いったぁぁーーっ……! うぅっ、シンプルにバランス崩した……っ」

「ったく……ほら、はよ立て。汚れんぞ」


 それはもう綺麗な空振りで、逆に惚れ惚れするまである。横たわった彼女を起き上がらせようと、手を伸ばすのだが。



「…………はぁ……」

「えっ……な、なにっ?」

「お前さぁ……そんな短いスカート履いて、なんの対策もしねえのかよ」

「たいさっ…………なっ、なに!? また見たのッッ!?」

「見せられたんだよ、馬鹿が!」

「でっでも見たんでしょッ!? 変態ッ! 馬鹿っ! 変態ッッ!!」

「うるせえうるせえうるせえっ! 見られたくねえならどうにかしろ痴女がッ!」

「アアアアァァッッ!?」



 何度目だよこの展開。


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