71. 少なくとも、この瞬間だけは


「…………見て、ごめんなさい」

「無防備で、すみませんでした」

「はい、これで終いや…………ったく、アホちゃうか、ホンマに。何十分言い争ってんだよ」

「警察呼ばれなくて良かったわね……」


 まぁまぁ続いた言い争いは、通り掛かったおじさんの「うるせえ何時だと思ってんだ黙れクソガキ」的な自転車のベルでついぞ決着の時を迎えたのであった。


 解せない。途中までいい話だったのに。パンツ一枚でなんでここまでヒートアップするんだ。相性最悪かよ。



「……ハルトってさぁ」

「あん」

「なんていうか……女子に囲まれてるって感じ、あんましないよね」

「そうか?」

「だって、私の……そ、そういうの見ても、平然としてるっていうかっ……」



 思い出して恥ずかしがるくらいなら話題に出すな。会話下手くそか。


 女子ばっかり、か。俺もよく分からんけど、そういう方向に向かないんだよな。何度も言うが、そもそも同性の友達すらいなかったのだから。


 人並みに性欲はあるんだろうけど、こう、なんか、うん。フットサル部の連中に対しては、女子を相手にしているって感じではなくなってしまうのだ。



「……いや、違うんだよ」

「なにが?」

「お前らがめちゃ可愛いのは知っとるけど、俺がまだそのラインに達してないというか。その、な」

「……なにそれ」

「分からん。分からんけど、まぁなんだ。気にすんな」


 必死の弁明はどうやら彼女には伝わらなかったようで、微笑ましい何かでも見たように笑う。

 俺が知りたいわ。こんな感情。特にお前だよ長瀬。俺がお前のことをどう思ってるのか、さっさと知りたい。


 この際、恋でも、友情でも。

 憧れでも、なんでもいい。


 名前を付けてほしい。

 そうすれば、この微妙な距離だって躊躇わず埋めてやる。



「……やっぱ、面白いね。ハルト」

「なにがやねん。関西人全員おもろい思うたら大間違いやぞ」

「そうじゃなくってさ…………すっごいダサいのに、すっごくカッコいいの」

「ダサいもんはダサいやろ」

「……私だって、よく分かんないけどさ」



 愁いを帯びたその笑みに、どんな意図が隠されているのか。興味深かった。けれど、全てを知りたいわけでもない。


 完成された絵画に過ぎないのだ。

 一筆加えたいとは思わない。


 ただ、ずっと見ていたい。秘められた謎なんて、どうでもいい。目に見えたその美しさだけで、あまりに十分だった。



「似た者同士だって、言ってたでしょ」

「……言ったな」

「ちょっと嬉しかったんだ……ううん、すっごく。すっごく嬉しかったっ……」


 彼女は今にも泣きそうだった。けれど、涙を流すことはなかった。それが後悔でも、絶望でもないことを、彼女自身がよく知っていたからだ。

 


「……ハルトのこと、よく分からなかった。授業出ないし、変な関西弁喋るし。顔怖いし。基本ウザいし」

「全部どうしようもないやろ」

「顔以外なんとかなるでしょ、ばか」


 そこまで不細工ではないつもりなんだけど。

 まっ、あの四人に紛れたらどうしようもないわ。



「……でも、一緒なんだよね。私たち」

「おう。多分な」

「不器用で、お喋り下手くそで、プライドだけ高くってさ……うん、そうね。同じだわ、ぜんぶ」

「否定はしねえわ。悲しくも」

「だからかも、ね。ハルト見てると、面白いけど、たまにイライラするの」

「ひっでえ」

「でも、ハルトもそうじゃない?」

「よう知っとるな」


 暫しの沈黙を挟み、顔を見合わせた俺たちは噴き出すように笑った。爆笑だ。こんなの。性別の違う生き写しが、目の前に立ってやがる。



「あの日出会ったのが、ハルトで良かった」

「偶々やろ」

「それでもいい。ハルトじゃ無かったら、変われなかったから」

「……そりゃええことで」

「ハルトは?」

「馬鹿言え。変わり過ぎたよ」


 言っただろう。

 お前に伝えなきゃいけないことは山ほどあるんだよ。



「あの日の質問、答えてなかったな」

「……どれだっけ」

「俺が好きなのは、俺だけや。だけ、だった」



 心の底からサッカーが好きだと言えなかったのは。今になって語るまでもない。俺が俺であるための、手段に過ぎなかったからだ。


 けれど、もう違う。

 俺がいま、こうして再びボールを蹴り出したのは。



「初めてだったわ。チームのために走ろうなんて、生まれて初めて思った」

「それはそれでどうなんだろう」

「似たようなモンだろ」

「……まぁね」



 このチームを。フットサル部を。お前と、みんなとの絆を守れるなら。左足なんぞいくら潰れても構わない。自分より大切なものがあると、教えてくれた。


 そのきっかけをくれたのは。

 他でもない。長瀬、お前なんだよ。



「ありがとな、長瀬。お前のおかげで…………ちょっとだけ、自分が好きになれた気がするんだわ」

「……なんだ、やっぱりナルシじゃん」

「ちゃうわ。まぁ確かに元代表の廣瀬陽翔は、10年に一人の天才だったけどな」

「じゃあ、どういうこと?」

「俺自身のことが、な」


 ユニフォームなんか着ていない、等身大の廣瀬陽翔を。

 お前が。お前らが認めてくれたから。


 だから、ちょっとだけ認めてやれたんだ――――。




「……足の調子はどう?」

「まぁまぁ。パスくらいなら出来る」

「ってことは、練習以外でも蹴ってるのね」

「リハビリも兼ねてな」

「じゃ、やりましょっか。そこにあるでしょ?」

「当然っ」


 草むらに駆け出す彼女をわざわざ追い掛けるようなことはしない。


 そこにあるのは分かり切っている。あの日以来、ここで顔を合わせたことは無い筈なのに。なんで知ってんだろうな、コイツ。不思議なこともあるものだ。



「ちょっと、空気ベコベコじゃないっ! 入れときなさいよっ!」

「んで俺がやんなきゃいけねえんだよ」

「こういうのは副部長が気を遣うのっ!」

「あー。お前、部長やったっけ」

「わっ、私だってそういうの柄じゃないけど! 書類にも書いちゃったし!」

「不信任決議により、部長の解任を要求します」

「支持率低ッ!?」


 軽口を叩き合っている間に、ボールは転がってくる。左足で突いて浮かせると、想像よりずっと空気が入っていないそれに驚く暇もなく。



(……あぁ。この街って、こんな綺麗に星が見えるんやな)



 雲一つない夜空に、点々と広がる無数の塵屑。


 なんとか座だとか、大三角だとか。

 そういうのは知らないけれど。


 こうして眺めている分には、悪くない景色だった。プラネタリウムよりもずっと安上がりでまともだとは思う。



 地元の空と、よく似ている。


 こんな世界を、俺は一人で見つめていた。隣に誰か欲しいなんて考えたことも無かったけれど。この世の連中は「一人じゃ寂しい」なんて言って、手頃な奴に電話を掛けるのだろうか。


 それがダメだとも、間違っているとも思わない。でも俺には必要の無いもの。喜びも。哀しみも。胸のうちで終わらせれば、十分に心地の良い世界だった。



 だった、けれど。



「……どうかしたの?」

「いや、別に。星が、綺麗やなって」

「ハルト、そういうセリフ全然似合わないわね」

「うっせ」

「あっ、でも…………ホント、すっごい綺麗に見える」



 この世界を。この夜空を。

 俺と、他でも無い長瀬が。


 少なくとも、この瞬間だけは。

 同じように眺めている。


 そんなどうでも良すぎる事実が、なにか意味のあるものなのか。聞かれても困るけれど。


 でも、無駄ではないと。

 思えるようになった。



「ハルト、パスっ!」

「あいよっ」


 軽快に交わされるコミュニケーション。本当の会話もこれくらいシンプルで簡単ならどれだけ良いものか。


 少しだけ。少しだけでいい。

 視野を変えてみれば良いのだ。


 そうすれば分かるだろう。俺という、乱雑なパスを受け取る彼女が、笑っているのか。或いは怒っているのか。


 今なら、見える。

 今だから、分かる。


 この世界は、想像していたより。

 ずっと、ずっと美しい。




「こっちだ、愛莉っっ!!」

「――――――――へっ?」




 俺じゃない声が、俺みたいに叫んだ。

 でも、やっぱり俺だった。


 鉄棒を狙おう。今ならどんなボールだって、完璧に当ててみせる自信があった。勿論、心配なんかしていない。お前なら、いつ、どんなときだって。


 最高のボールをくれるって、信じているから。





「…………あれ」

「うわっ、ちょ、ちょっ、わふっ!?」

「…………愛莉さーん……?」



 筈だったんだけれど。


 露骨にバランスを崩した彼女は、辛うじてリフティングこそ続けているが。今にも転びそうで、なんなら先ほどの再現を予感させ。



「お、おいっ、キツいなら一回戻――――」

「うぉりゃぁっ!!」

「えっ」






 ボールが飛んでくる。



 けど、そんな。えっ。


 思いっきりゴールマウスにブチ込むみたいな、えげつない速度で来られても。






「あっ」




 真っ暗な公園に広がる痛々しい破裂音。その身体はあまりの衝撃にコンマ僅か、夜風に揺られ宙を舞った。



 あぁ。忘れてた。

 こんな風に出会ったんだっけ。俺たち。


 なんも――――変わってねえじゃねえか。




「…………ハルト、生きてる?」

「……死にそう」

「顔?」

「思いっきり顔」

「……なんか欲しいものある?」

「謝罪」






 前言撤回。

 辞めてやるこんな部活。




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