69. まだまだ青いな


 下校を促すチャイムが鳴り響いた。


 まぁまぁのいい天気だというのに、俺たちは一度もコートに出ず。くだらないお喋りを延々と続け、最初の活動は終わってしまった。


 何を持ってくだらないかは相変わらず分からない。練習着を持ってこなかったのは、怪我で運動できないのが理由のはずだ。そういう風にしておきたかった。



「よっ、お疲れさん」

「あ、初日から顔も出さない顧問だ」

「お前なっ……」


 正門から真っ直ぐ帰ろうしたしたところを、峯岸に捕まる。何故か他の面々がいると声を掛けて来ない。どうでもいいところで気を遣われている。


 口ではそう言うが、自分なりの照れ隠しであることを、どうか見抜いてほしい。


 買い被り過ぎだろうか?

 いや、そんなことはない。彼女に限っては。



「あぁ、そう言えば今日か。例の中学生にアレコレ教えるバイトって」

「人聞きが悪い」

「あれから個人面談でな、あの子に当たったんだよ。真面目で良い子だな」

「それ言うためにわざわざ待ち構えてたのか」

「いつまでも下校しない生徒を追い出すのも私の役目なんだぜ」

「お前が風紀委員の顧問とか誰も信じてねえから。安心しろ」


 仮にも教師に向かって……と呆れ顔でため息をつく峯岸。胸ポケットから煙草を取り出し、火を付ける。



「……学校の駐輪場だろ。控えろよ」

「携帯灰皿持ってっから。一本いる?」

「いらん」

「あれ、禁煙?」

「せっかくここまで漕ぎ着けたのに、俺が問題起こしてどうすんだよ」

「でも、持ってんだろ」


 ニヤニヤしながら俺の胸元を指差す。

 箱を取り出し、乱暴に放り投げた。

 


「生徒指導が私で本当に良かっただろ。なぁ?」

「指導してみろや」

「ほんっと可愛くない奴だな……ほらっ」

「ちょっ……いや、返すなよ。ちゃんと没収しろて」

「心配すんな。一本だけ残したから」

「……あのさぁ」

「こういうのはちょっとずつやるモンさね。一気に減らしたら恋しくなっちまうだろ。ていうか、別に辞めさせる気ないし。喫煙仲間が増えるなら大歓迎」

「高校生相手に求めるなよ」


 これ以上言い返しても峯岸には勝てないと、どこかで諦めていた。ホント、余計な借りを作り過ぎだ。



「……例の件、助かりました」

「おいおい、敬語とかやめろって。気色悪い」

「いやっ……理事長とかなり揉めたって、風の噂で聞いたもんだから」

「お前に噂を運ぶ相手がいるのかよ」

「風が友達や」

「はいはい、上手い上手い」


 煙草を咥えるその姿は、言うところのお友達で靡く黒髪のせいかやたら映える。少しでも外面に気を使ってくれたら、俺も純情な男子学生でいられただろうに。

 


「良い顔はしなかったけどね。サッカー部に勝った話をしたら、流石に折れたわ」

「無駄な試合では無かったってわけな」

「そーいうこと。やっぱ結果を出さなきゃねぇ、評価はされないのよ少年。ちゃんと勉強してんのか?」

「まぁまぁ」

「授業出てないと分からん問題なんて、いくらでもあるんだぜ」

「なんとかなんだろ」

「おう。なんとかしろ」


 空いた左手で俺の頭を小突く。それなりの力が込められた一撃は、存外、痛みも無く。むしろ心地良ささえ。



「……良い顔してんじゃねーか」

「髪型さえ整えれば美形の可能性もある。恐らく」

「馬鹿が。そういう話じゃねーわ……どうだよ、フットサル部は」

「最高」


 なんの気なしに出てきた言葉に、きっと俺自身が一番驚いている。それを撤回する気は、やはり無かった。


 こんなことを本心から言える自分も。

 そして、それをどうとも思わない自分も。


 まぁ、そんなに悪くないなと。

 やはり、心からそう思えた。



「私としては、サッカー部に入ってくれるのが一番嬉しいんだけどな」

「アホ言うな。分かってんだろ」

「はいはいっ……まっ、束の間のハーフタイムを精々謳歌するこった」

「飛びっきり長いハーフタイムになるかもな」

「そんなもんだろ。人生なんてな」



 走り続けて、ようやくたどり着いたのがこの時間、この空間なら。少しくらい、肩の荷を降ろしたっていいだろう。



「じゃ、また来週な」

「んっ」

「んっ、じゃねえ。さようなら先生、だろ」

「ガキかよ」

「ガキだっつうの」


 


*     *     *     *




 週に二度ある、有希の家庭教師のバイト。の筈だったのだが、彼女から思いもよらない言葉を告げられる。



「専願、ね」

「はいっ。お父さんにお話ししたら、ちょっと怒られましたけど。でも、どうしても行きたいならって」

「そりゃ私立一本じゃ良い顔されねえだろ……」

「でも、ちゃんと説得しました! 高校入ったらバイトもしますしっ!」

「ほーん……」


 というわけで、有希の山嵜入学はほぼ決定となってしまった。


 偏差値が60と65の間を上下する私立高校に入学するなど、さして難しいこともない。ただでさえ少子化の時代なのだから、専願ともなれば合格しないわけもないだろう。



「あの試合を見て、どうしてもフットサル部に入りたくなっちゃいましたっ」

「……俺らが卒業したらどうすんだよ」

「そのときは、そのときです!」

「ア、ハイ。そっすか」

「というわけで、今日からは勉強より、面接の練習が必要なんですよ!」


 とんでもねえ言い草だ。


「だからその……家庭教師っていう感じじゃ、なくなっちゃうかもなんですけど」

「ぜってえ違うわ」

「あの、もしかしたらお給料、減っちゃうかもなんですけど……っ!」

「いや、別にええけど」

「…………へっ? 大丈夫なんですか?」

「あんなん形だけだったやろ。そういうことなら、なんも考えず遊びに来るわ。それでええやろ」


 実を言うと、早坂母とは既に話を付けていたりする。元々は、フットサル部の活動が本格化するから頻繁に面倒を見れないという話だったのだけれど。


 母曰く「お金もあんまり使ってないみたいだし、お給料より晩ご飯の方が嬉しいわよね?」と。流石に望外の一言だったが。


 ともかく、結構前の段階で早坂家からの日給は頂いていない。本当に、ただただシンプルに「勉強を教えに来るお兄さん」になっていることを、有希は知らない。


 その分、夜遅くまで引き留められることが多くなった。もう「早く娘を貰ってくれ」オーラが凄い。外堀を埋めるどころか盛りまくりである。



「そういうわけだから、お前が心配することはなんもない。以上」

「でもっ、いきなりお金が無くなったら困りませんかっ?」

「いや、別に。余りまくってたくらいだし」

「それでもっ! 廣瀨さんは何かしらの対価を受け取るべきだと思いますっ!」


 ものすごい剣幕で迫る有希。

 そう言われても、どうすれば良いものか。


 なんなら「女子中学生の部屋に合法的に上がっている」という時点でまぁまぁの対価なんじゃないかと思う。わざわざ言わんけど。



「そういうわけで、今日は廣瀨さんのお願いを、私が一つ聞いちゃいますっ!」

「どういうこっちゃ」

「試合に勝ったご褒美ですよっ、ご褒美っ!」

「えぇ……」


 JCがご褒美をくれるんだって。なにこの展開。


 いや、待て。早まるな。

 確かに可愛い顔をしている。

 だがJCだ。分かりやすく犯罪だ。



「さぁさぁっ! なんでもいいんですよっ!」

「……お前、そういうこと軽々しく言うなよな」

「廣瀨さんだからっ、いいんですっ! さぁっ!」


 飛ばしまくる有希だったが、当人の顔は林檎のように真っ赤に染まっている。


 あぁ。コイツ、無理してんだろうな。

 一気に微笑ましさが。



「……じゃあ、有希。俺のお願いを聞いてくれるか」

「はいっ、どうぞ!」

「中学生なん恋バナばっかしとんやろ。好きな人とかいないのかよ。教えろ。それがお願いや」

「…………はひっ……?」



 あっ、オーバーヒートした。



「なんだよ。なんでも聞いてくれるって」

「ばかぁぁぁぁっっ!!!!」



 まだまだ青いな、うら若き乙女よ。



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