57. やってみろや


 コートに戻ってきた俺たちは、予想外の大歓声で迎えられた。先ほどまでの覇気が嘘のように、怯えた様子の長瀬がトテトテと歩み寄ってくる。



「ねぇハルト、いま気付いたんだけどさ……なんか、お客さんメッチャいない?」


 分かり易く視線が泳ぐ長瀬に釣られ、周囲を見渡す。コートの外では、サッカー部以外にも何人かの生徒が観戦していた。


 割合としては、うちの運動部の連中が半分で、もう半分は他校の制服や私服姿の見知らぬ層。


 皆、説明会に合わせた催し物程度にしか考えていないんだろう。それにしたって、最初から観ている奴らにはサプライズだろうが。


 耳を澄ますと、聞こえてくるのは「サッカー部が負けそう」というフレーズが大半であった。あとちょっとだけ俺の話題。多分「アレ誰だよ」とか言ってんだろ。癪だ。



「今日説明会やろ。中学生とうちの運動部じゃね」

「うわぁー、微妙にやりづら……」

「アピールしとけば新入部員増えっかもよ」

「あっ……うん。まぁ、それは、そうなんだけど……」


 いまいち歯切れが悪い長瀬の思うところは、よく分からなかった。

 フットサル部にとっては、これだけ「証人」が居てくれて大助かりだけど。



「……別に、今だけでも十分だし」

「え、なんて」

「いいからっ! ほら、もう始まるわよッ!」


 なんで怒るんだよこえーよ。



 コートチェンジを行い、反対サイドへ。試合開始前のダラけた様子とは打って変わり、頻りに言葉を交わすサッカー部たち。


 もはやフットサル部を格下扱いはできないだろう。何よりも、スコアが証明している。



「よう、お前!」

「あ。なんだよ」

「いやぁ、さっきは悪かったな! お前、超上手いじゃんッ! こっからは俺らも本気で行くからさ!」


 え、なに急に。キモ。


 わざとらしいまでの笑みを浮かべ、こちらに歩み寄ってくる甘栗。

 どう考えたって、態度を改めたわけではないことくらい分かる。



「俺も必死でさぁ! あんな思いっきりタックルしたの久々だわっ! だから勘弁してくれよッ!」

「…………テメェ」

「くれぐれも怪我には気をつけろよっ! なっ!」

「…………わざわざご丁寧にどうも」

「ちっとはしてくれよ、な?」


 やっぱり、か。

 あからさまに遅れて飛び込んできたとは思ったが。



「おい、菊池。無駄口叩いてる暇あったら身体動かせよ」

「悪い悪いっ」


 キャプテンに諭された甘栗は、小馬鹿にしたような冷めた視線を俺に飛ばし、自陣に戻る。

 

 舐められたものだ。

 でも、もうお前の相手はしないんだよ。

 一人で踊ってろ。



「……お前、名前は?」

「田中太郎だけど」

「嘘つけ。お前、廣瀬陽翔だろ。セレゾン大阪ユースで、世代別代表の……ッ」

「あぁ、ちゃうな。元って付けといてくれ」

「……ありえねえ。なんでこんなとこにいんだよ。意味分かんねえ」


 流石にバレた。ちょっと嬉しい。

 至って真剣な表情のキャプテンは、大きなため息を挟んで言葉を続けた。



「顔、変わったな。全然気付かなかった。もっと人相悪くて、今にも人殺しそうな目してただろ」

「忘れたわ、んなの。なに、知り合い?」

「……中学の頃、試合したよ。横浜ブランコスのジュニアユースだったからな」


 横浜ブランコス、と言うと関東では屈指の人気を誇るチームだ。下部組織も充実しており、プロを何人も輩出している名門。肝心のトップチームはもう何年もタイトルを取れていないが。



「俺は忘れねえよ。何点取られたと思ってんだ。8点だぞ8点」

「…………あー、はいはい、あれか。思い出した。8-2の試合な。クラブユースの」

「忘れられるわけねえ。前半2-1で勝ってたんだぞ。1年生一人出てきた途端……」

「そりゃ悪いことしたな」

「まさかこんなところでリベンジできるとは思ってなかったぜ」

「返り討ち、の間違いだろ」

「…………詳しい事情とか、今はいい。聞きたくもねえ」


 少し見下ろして、俺の瞳をブレ一つなく、真っ直ぐ捉える。あぁ、いいねえ。こういう目をした奴と、バチバチにやりたかったんだよ。


 んでもって、俺が勝つまでがお決まりの流れ。



「女子ばっかだろうと関係ねえ。必ず勝たなきゃいけねえ理由が一つ出来た」

「俺ばっかじゃ痛い目見るぜ。スコアが証拠や」

「ひっくり返すさ」

「やってみろや。森さんよ」

「林だっつうの。絶対分かってやってるだろ」

「バレた?」


 1秒にすら満たない。

 形だけの握手を交わし、背を向け合う。


 なるほど。痛みを忘れるにはちょうどいい。

 俺たちにも。そして、俺にも。

 勝たなければいけない理由がありそうだ。



 短すぎる芝生が、少しずつ。だが確実に。

 コートを滑らせていくことに、まだ誰も気付いていなかった。




*     *     *     *




 フットサル部のボールでキックオフ。まずは自陣を中心にパスを回すが、連中は早くも動き出した。



 出足が早い。

 

 こちらと同じく、ダイヤモンド型のシステムを組んだ来たサッカー部。サイドの二人と甘栗がボールへ詰め寄る。一番後ろの倉畑に負担が掛からないよう、俺もパス交換に参加するのだが。



「やっば!」


 長瀬の露骨な一声と共に、ボールを掻っ攫われる。瑞希からのパスが前方にズレ、縺れ合いの末にポゼッションを失った。


 だが、俺の予想が正しければ。



「ヘイパスッ!」


 ボールは最後方の林に戻る。その間に他の選手は適正位置に着き、今度はサッカー部のパス回しがスタート。


 やはり、林を中心としたポゼッションでリズムを作り、前線の甘栗に預けるやり方か。



(さて、こっからどうするか見物やな)


 宣言通り、俺が林を追い掛ける。


 無論、この程度で動揺するほど彼も腐ってはいない。冷静にサイドへボールを散らし、受け直して、反対のサイドへ。


 こんな流れを数回繰り返して、既に1分は経過しただろうか。



(…………いってえな、クソがッ!」)


 右足首の痺れは、依然として収まらないままだった。なんの用意も無いわけで、勿論テーピングやアイシングも出来ない。


 だが俺がここで踏ん張らなければ、どうしたって守備に綻びは出る。まずは林を中心としたスタイルにヒビを入れなければ、残り9分はあまりにもシンドイ闘いだ。


 …………いや、違う。本当は。

 いざというときのに過ぎないと。

 きっと、みんな分かっていた。



「長瀬、チェック!」

「任されたッ!」


 少し深い位置までボールが入って、左サイドで長瀬が相手と一対一になる。


 いくら女子のなかでは恵まれた体格とはいえ、男子と対峙すれば相対的には小さくなる彼女。身体を寄せるが、なかなか奪い切れない。


 我慢、我慢しろ。俺。


 安易に距離を詰めれば、ふとした拍子に林までボールが戻って、数的優位を作られてしまう。真っ当なフィジカルコンタクトが期待出来ない今、無理に奪いに行くのは愚策だ。

 


 だが、状況は思いもよらない事故で動き始める。中に切り返した相手に着いていこうと長瀬が身体を揺らした、その瞬間だった。



「きゃっ!」


 芝生に足を取られ、バランスを崩す。

 その隙を突かれ、ボールは甘栗の足元へ。


 倉畑が後ろから着いていたが、いとも簡単にマークを外され、シュートモーションに入る。


 不味い、これは一点モノだ――――



「あっっっっぶなァッッ!!」



 シュートが、枠を捉えることは無かった。


 間一髪のところでゴール前に戻ってきた瑞希のスライディングが、僅かに軌道を変え、ボールはクロスバー上空を通過する。



「ごめんっ、助かった……っ!」

「足元っ、気をつけろよなっ! まだ強くなりそうだしっ」


 彼女の頬を伝うのは、汗か、或いは雨か。恐らく後者だろう。気付けば自分の髪の毛も、まぁまぁの具合に濡れている。


 すっかり失念していた。今日、雨の予報じゃないか。彼女たちの技術を信用していないわけではないが……。



「ハルっ!」


 未だに馴染まないそのあだ名で、彼女は切れるような声で叫んだ。



「余計なこと考えんなッ! やることやれよっ! あたしたちも、やるだけやってんだからさッ!」

「……ナイスカバー」

「これくらいがスライディングしやすいんだよっ!」


 交わしたハイタッチは、水滴で僅かばかりの鈍い音をコートに響かせた。


 そうだ。まずは、やることを。

 やれることを、やらなければならない。


 もう一度、見つめ直せ。

 誰が。この俺が。

 わざわざ作戦まで考えたんだろう。


 目に見えているものは、ちゃんと信頼しろ。

 見えないものは、任せておけばいい。



「長瀬はニア、瑞希はファーのカバー。倉畑はポストの横! 集中切らすなよッ!」



 木霊した掛け声を合図に、雨脚は一層強くなる。こんな些細なことでも、どうか、雨すら味方につける力になれと。強く願った。


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