56. 唐突な癒し


 勢いのままコートに倒れ込む。割れんばかりの歓声と共に、ホイッスルの音色が鳴り響いた。


 前半終了。2点のリードを持って、試合の半分を終えたこととなる。さっさと起き上がろうとするが、身体ごと無理やり押し倒されて、身動きが取れない。



「やりやがったなコイツぅぅっっ!! マジ、サイコー! ハルサイコーだわッ!」

「ばっ、乗んな乗んな重てぇ重てぇッ!」

「こんなこと出来るなら早くやれっつうのッ! 死ねっ! 死ねっ!」

「殴んなボケッ!」


 美少女二人からの手荒い祝福に、浮かれていないと言えば嘘になる。


 先に覆い被さったのが瑞希で良かった。長瀬が先だったら、圧迫感通り越し非業の死を遂げるところである。



「遊んでる時間ねえぞッ! 散れ散れっ!」

「もぉぉーん、ハルったら抱き着かれてニヤニヤしちゃってぇぇ~!」

「うるせぇ壁、喋んな」

「オオオオオオォォォォォンッッ!?」


 少し弾みのある壁だ。これでも褒めている。

 笑うな。長瀬。

 その笑顔は誰がどう見ても意地汚い。



 しかし、時間が無いのは本当のことで。

 ハーフタイムは3分しかない。


 その間に体力を回復させ、作戦を立てる。

 あって無いようなモノだ。大事に使いたい。



「ほら、立てる? どっか痛めてないでしょうね」

「あぁ、大丈夫……」



 差し出された長瀬の右手を掴み、起き上がろうとした。

 まさに、その瞬間だった。



「…………ッ……つっ……!」

「え……なにっ? 本当に痛めたの?」

「あ、いやっ…………なんでもねえ。ただの……打撲だろ」


 

 冷汗が止まらない。


 右足首に走った電撃のようなこの感覚は、身に覚えがあった。恐らく、甘栗のタックルを躱した際に少しだけ捻ってしまったのが原因だろう。


 歩けないほどではないが、一歩、一歩と進むたびに、ズキズキと脳天にまで響く。



(……捻挫……いや、じん帯少し逝ったか……?)



 プレーは続けられるだろう。

 だが、正直、全力疾走は苦しい。

 やらなくとも分かる。


 あぁ、不味い。不味すぎる。

 これは――――響くぞ。




「廣瀬くんっ。はいっ、お水」

「ん、サンキュ……大丈夫か、ちゃんと木陰で座って休めよ」

「あっ……じゃあ、そうさせてもらうね」



 新館の窓ガラスに身体を預け、ぺたりと座り込む倉畑。彼女を筆頭に、みな額の汗を短い袖でふき取りながら、暫し無言で水分を取る。


 俺は、座らなかった。

 なんというか、やせ我慢である。


 水を首回りと、足首に掛けてそれとなくカモフラージュ。弱みは見せたくなかった。彼女たちへの影響もそうだが。


 俺自身の闘志が、吹かれて消えてしまいそうで。



「なんでお前が一番疲れてんだよ」

「いえっ……緊張の糸が切れたと言いますか……」


 元々壊滅的なスタミナなのは知っていたが、楠美が一番グッタリしている。気持ちは分からないでもないけど。



「助かったよ楠美。お前が一回止めてくれたおかげで、だいぶ有利だ」

「……そうなのですか?」

「雑に打っても止められるって思われただけで、すごい収穫よ。ねっ」

「そっ。つうわけで、後半も頑張れ」

「……分かりました……やれるだけやります」


 そっぽを向く楠美の顔は、分かりやすく真っ赤になっていた。ガラスに映ってるからな、全部。唐突な癒し。



「比奈ちゃんも、パスミスもほとんど無いし……初心者だなんてもう誰も信じないんじゃないかしら」

「えへへっ……どういたしまして」

「まっ、問題はこっからだねぇ。なんせ後半は……」


 含みのある瑞希の一言と共に、フットサル部の視線は反対サイドへと移る。



「キャプテンッ、俺ら、まだやれますッ!」

「そうですよっ! 明日も公式戦じゃないすか! 俺らが出ますよッ!」

「馬鹿言うな。5人掛かりでアイツ一人止められないんだぞ……菊池、お前は残れ」

「たりめぇだろっ、クソがッ……!」

「……とにかく、後半は俺が出る。おい、キーパーは本職がやれ。あとの二人も交代だ」



「……いよいよお出ましってわけや」

「うわあ……本気のサッカー部さんを引き摺り出しちゃったんだねえ……」


 恐れをなしたような声で倉畑が呟く。


 林だか森だか木だが忘れたが、キャプテンがアップを始める。それに続いて、コートから試合を見ていたほかのメンバーも身体を動かし始めた。


 こっちは5人ギリギリだってのに、交代枠も贅沢に使ってくるのか。ついに必死になったな。これだけでも試合した甲斐があったわ。



 …………こうして見ると、甘栗以外は背も高い。なんならキャプテンが背丈的には一番デカいし。あれで確か、中盤の選手なんだよな。



「いーんじゃない。分かりやすくって。これで勝って「本気じゃなかった」とか言われるよりさ」

「そうね。ハルト、もっかい作戦立て直しよ」

「おう。それで、一つ提案なんだけど」


 いきなりなんだと言わんばかりに、視線が俺へ集中する。美少女4人に見つめられるこの感覚は、ハーフタイムじゃなかったら最高に良かったけどな。



「お前ら、サッカー部の偵察に行ったんだろ。倉畑から聞いた」

「あっ、うん……それが?」

「どういう印象だった。あの、キャプテン様は」


 そういう俺も、一度だけ見たことがある。彼らの紅白戦を。俺たちの意見がここで揃うのであれば、試してみる価値はある。


 口を開いたのは、随一のテクニシャンにして、鋭い観察眼を持つ、彼女だった。



「あれだよ、レジスタってやつだよね」

「……と、言いますと」

「自分は動かないけど、パスを散らして周りを走らせる……晩年のアンドレア・ピルロみたいな?」

「選手で例えられても困るんですが……」

 

 瑞希の解説に頭を抱える楠美。

 ごめんな。試合終わったら勉強しような。



「長瀬は、どう思った?」

「どうって……まぁ、視野は広いなって。あとミドルシュートも警戒しないとね」


 なるほど。概ね似たような意識は持っているようだ。


 デカくて、上手くて、強い。

 一見、隙の無いようにも見えるが。



「前半の通り、あの甘栗野郎は……典型的なワンタッチゴーラーや。ボールを引き出すのは上手いがシュートまで持ち込めないと、そこから先……発展性が無い」

「あー。しょーもないフェイントしてたよね」

「聞こえるわよっ」

「あのキャプテンと組むことで、良さが最大限に生きる。相性抜群ってわけや」

「じゃあ、どうすれば止められるの?」


 素朴な疑問をぶつける倉畑ら彼女たち瞳を捉え、高らかに宣言する。


「だからお前や」

「…………へ?」

「倉畑。これから後半の間、あの甘栗だけを見ろ。常に後ろから着いてけ」

「……いっ、いやいやいやっ! なに言ってんのよ!? 前半だって、アンタが付きっきりだったからなんとか抑えられたんでしょ!?」


 驚きの声を挙げる長瀬。


 確かに、前半はそうだった。露骨にゴール前をうろつくものだから、ふとした拍子で簡単にやられてしまう。だから俺が見た。


 だが、これからは違う。

 前半以上に、このコートで「空気」になってもらおうじゃないか。



「キャプテンから甘栗への縦パスは奴らの生命線や。とにもかくにもそこを断つ」

「まー、言ってることは分かっけどさ。出来んの? そんなこと」

「こっちから仕掛けなきゃ、いつかはヤラれる運命だろ。ポジション変えるぞ、開始4分まで倉畑がフィクソ、長瀬が左アラ、俺がピヴォだ」

「……すっごい不安なんだけど」


 長瀬の煮え切らない表情も、今は飲み込んでもらうしかない。


 前半の間だけで、十分に分かった。このチームは、あのキャプテンが全ての軸であり、基点であり、強みだ。



「よく考えろ。いくらハイプレス敷かれたからって、女子中心の相手に、あそこまで雑になるか?」

「それはっ……そうかもだけど」

「俺の予想が正しければ……この試合の結果は、最初の3分で決まる」



 博打ではない。

 俺の経験則に基づいた立派な作戦だ。


 決して有利な状況とは言えない。体力は確実に奪われている。それこそ身体をぶつけられたら、勝てるはずもないだろう。


 ならば他に方法はない。

 躱して、躱して、逃げ続けて。

 死ぬまで逃げ続ければ、俺たちの勝ちだ。


 すべてが上手く行くとは思っていない。

 出来る限りの策を施し、全力で立ち向かうだけ。



 だから、さっさと引け。

 さっきから痛んでしょうがないんだよ――――



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