47. 相応しい末路


 深い眠りから目を覚ましたその瞬間には、もう日付が変わっていた。


 慌てて起こした身体は低血圧のせいか酷く揺れ動くが、どうということはない。それよりも、ひたすらに時間が気になった。



「……12時ッ!?」



 丸一日眠り込んでいたのか。人生でもここまで長い時間寝続けた記憶が無い。そんな自身の怠惰に驚く間もなく、俺は、今日という日を悟った。



「…………いや、無理だろ……」



 今から準備して、シャワーを浴びて、学校に向かっても試合開始には間に合わないだろう。自宅から学校までは、原付でおよそ10分。しかも長い坂を駆け上がらなければならない。


 全身から力が抜けるような感覚と共に、再びベッドに倒れ込んだ。


 馬鹿馬鹿しい。

 あれだけ感傷に浸っても、結局、こんな結末か。



 いや、そうか。こんなものだ。


 ついぞ俺は、最後の最後まで彼女たちの差し伸べた手を、掴もうとすらしなかったのだ。ただその恩恵に肖ろうとした、浅ましい魂胆には相応しい末路。


 シャワーを浴びよう。ゆっくりと。

 それはもう、ゆっくりと。


 なにも気にする必要はない。

 気にしてもしょうがない。そういう頃合いだ。



 ぼさぼさの髪の毛を乾かし終えた頃には、12時20分を過ぎていた。


 普段はもっと、ゆっくり浴びてダラダラと過ごしている筈なのに。どういうわけか、いつもより早く上がってしまった。髪の毛も、やたら乾きが早い。いい加減、切ろうかな。



 昼食は、どうしよう。昨日からロクに食べていなかったから、すっかり腹が減っている。コンビニ弁当の残りを捨て、冷蔵庫の中を漁る。


 ビックリするくらい、なにも入ってなかった。

 調味料と、飲み物しか入っていない。

 どちらにせよ、出掛けないことには仕方ないか。



 確か、学校に行く途中にある例のスーパーが、ちょうど今日、特売日だった筈だ。SNSアプリで友達登録しておくと、クーポンが定期的に送られてきて非常に助かる。この間は峯岸に邪魔されたし、今日はゆっくり買い物でもするか。



 上裸のままスマホを手に取って、スーパーのアイコンを探す。そのとき、もう彼女たちのメッセージは頭にも入ってこなかった。


 諦めれば、こんなにも気にならないなんて。楽なものだ。逃げているとか、そんな言い訳を誰かにする必要も無い。


 変わらない。俺は一人だ。



「……んっ」


 クーポンをなんとなく眺めていると、別のメッセージが届いたという通知が画面上に浮かび上がる。差出人は有希だった。珍しいこともある。



『今日、山嵜高校の学校説明会なんです! もしお暇でしたら、一緒に行きませんか? というか、もう最寄り駅に着いちゃうんですけど!』



 そういえば、学校の掲示板に日程が書いてあったな。今日だったのか。ならちょうどいい。買い物に行くついでに、彼女を拾って一緒に行くとしよう。



「…………って、いやいや、それはダメだろ」



 学校に行く、ということは、彼女らの試合に鉢合わせてしまう可能性もある。

 まぁ、でも、他でもない有希のお願いだし、学校まで案内するくらいのことはしてもいいか。


 学校に向かう途中で合流するよと一言、メッセージを送る。俺みたいな奴じゃなくて、友達でも誘って行けば良いものを。



 ……申し訳なさでいっぱいだ。彼女が憧れていた山嵜も、俺も、フットサル部も。今となっては手遅れもいいところ。可哀そうなことをしている、自覚はある。



「さーてクーポンクーポン……」



 いくらかのやり取りを終え、彼女との会話ページを閉じ、再びスーパーの方に戻ろうとする。



 戻ろうと、した。



「あっ」



 それは、あまりに予想外の出来事だった。



 俺は普段から、スマートフォンを頻繁に使わない。というか、使う機会が無いのだ。それこそこうやって、クーポンを確認するか、有希と連絡を取るかの二つくらいしかない。


 そもそもこれを使い出したのは今年の春になってからで、扱いに慣れていないという点もある。



 だから、本当に、偶然だった。

 そこに俺の意志は一滴たりとも無かった。



 俺は、ずっと見逃していたものを。


 絶対に、今。

 このタイミングでは見たくなかったものを。



 けど、ずっと見たかったものを。

 図らずとも、その手で開いてしまったのだ。




『廣瀬くん、練習おいでよ。みんな待ってるよ』

『今日初めてゴールを決めましたっ! 琴音ちゃん、すっごく落ち込んでたけど!』

『今日はなんと、ヘディングシュートを決めました! 頭がクラクラします!』

『そろそろわたしも寂しいな。教室でも、全然お話してくれないし。わたしのこと、嫌いになっちゃった?』

『最近、雨が凄いね。でも、練習してるよ!』

『みんなでパフェを食べに来ました! 廣瀬くんはこういうの好きなじゃないのかな?』

『廣瀬くーん。無視はダメだよー。女の子に嫌われちゃうよー』

『さっき、ちょっとだけ目が合ったでしょ! 合ったよね!』

『あと、一週間です。廣瀬くん、ずっと待ってるよ』



 言葉を、失った。  



『廣瀬くんへ。さいしゅーつーこくです。


 気まずいのは分かるけど、ここまで女の子からの連絡を無視するなんて、流石に酷いと思います。だから、もうこれが最後だよ? 明日も早い時間から集まって、練習するんだから。


 三週間前まで誰よりも下手っぴだったわたしも、みんなとの練習のおかげで、ちょっとずつだけど、上手くなりました。パスもシュートも、ちゃんと思ったところに蹴れるようになったよ。


 愛莉ちゃんは、守備のセンスがあるって言ってました。パスカット? って言うのかな? それが上手いんだって、いっつも褒めてくれます。きっと、お世辞だと思うけどね』


『あの琴音ちゃんも、最初はあんなに怖がっていたのに、今ではちゃんと目を開けて、シュートを止められるようになりました。


 流石に愛莉ちゃんと瑞希ちゃんのシュートは、まだ怖いみたいであんまり止められないけど……でも、あの頃とは、本当に見違えたんだよ!』



『でも、正直に言うと、やっぱり怖いです。


 サッカー部の練習に偵察に行ったんだけど(偵察ってなんかカッコいい響きだよね)やっぱりみんな上手くて、自信無くなっちゃった。

 相手が凄いってことは分かってたけど、あー、やっぱりわたしってまだまだ下手っぴなんだなーって、思った。


 試合に勝てるかどうかは、分かりません。みんな、この試合がどれだけ大変なものなのか、良く分かってると思う』



『けど、ね。


 やっぱり、思ったんだ。フットサルも大事だし、それが一番の軸なのはわかってるんだけど。練習が終わった後、みんなでご飯食べたり、ちょっと遊びに行く時間も、凄く楽しいんだ。


 だから、きっとわたしが欲しかったのは、こういう時間で、こういう友達だったんだなって。琴音ちゃんと二人だと、いっつも私がお話聞いてばっかで、つまんないんだもん』


『それに、廣瀬くんも。廣瀬くんも、一緒に居て欲しいなって、やっぱり思うんだ』



『廣瀬くんのおかげなんだよ。知ってると思うけど、わたし、基本的に根暗だから。誰かに積極的に声掛けたりとか、出来ないんだよ。


 でも、なんでだろうね。たまたま、教科係が一緒だっただけなのに、廣瀬くんには、最初から普通に話し掛けられたなあ。良く分かんないけど』


『そんな廣瀬くんにフットサル部に誘って貰えて、すっごく嬉しかった。あんなに一匹狼の廣瀬くんが、わたしのことはちゃんとクラスメートだって認識してるんだって思ったら、なんだか嬉しくて。


 男の子とは上手く喋れないし、喋ったことも無いけど、廣瀬くんなら良いかなって、思ったんだ』



『だから、最近の廣瀬くんにはちょっと。いや、とってもガッカリしています。少なくとも、わたしの知っている廣瀬くんは「そういうの」じゃなかったよ。仕方ないから、一人でいる人だったのに。今は、自分から一人になってる』


『でも、分かるんだ。廣瀬くんの気持ちも。わたしもちょっと友達と嫌なことがあったら、次に会うの嫌だなって思うし。きっと廣瀬くん、そういう経験が無いんだよね。友達いないって言ってたし。うん』


『でも、大丈夫。わたしたち、廣瀬くんのこと、嫌いになったりしないよ。だって、最近特に思うけど。やっぱりこのフットサル部は、廣瀬くんが中心だったんだなぁって。廣瀬くんを軸に集まった仲間なんだから、当然だよね』



『勿論、みんな言いたいことはあるけど! わたしだってお小言の一つくらい、言わせて貰いたいけど! でも、それを分かってて、みんな廣瀬くんに戻ってきて欲しいって、本当に思ってるんだよ』


『廣瀬くんだって、同じなんだって思ってる。試合に負けて、壊れるくらいなら、このままみんなでダラッと過ごしたかったんだなって』


『でも、それはダメ! わたしね、いま、すっごく勝ちたいの! 愛莉ちゃん言ってたでしょ! わたしたちがわたしたちだって、証明するための、戦いだよ!』



『だから…………廣瀬くんが、必要なんだよ。わたしも。みんなも。フットサル部のためじゃなくて、ただ、放課後を一緒に過ごす仲良しな友達として、みんな貴方が必要なんです』


『明日の試合、出なくてもいいです。観に来るだけでも、顔を出すだけでもいいです。そうじゃなくても、来週、また学校が始まったら、おはようって。一言、くれるだけでもいいです』



『じゃあ、また学校でね。廣瀬くん』


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