43. 或いはどうだっていい存在
「…………勝ちてえんだよ。どんな試合も」
「どんな勝負も、全部――――全部やッッ!!」
「だからっ、俺はやったんだよッ! 勝つために一番近い方法をなっ! 俺が一人でやれば、並みの連中は余裕やったッ!」
「でも、それじゃ敵わない奴らもおって、だから、託したんだよッ! でも違ったッ!! あいつらはな、それで満足やったんやッ! いい試合、いいプレーが出来たらそれ十分、それで終わりやッ!」
「それじゃダメなんだよっ! なにがベスト4じゃ、なにが過去最高やっ、ボケが!! 結局、俺らは負けたッ! 4-0や4-0ッ、なんも、なんも出来なかったッ! 悔しい決まっとるやろッ!? なにが「いい経験」じゃクソがッ!!」
掴める筈もないガラスを、力任せに掻き毟る。
こんな顔を見たら、彼女らはどう思うだろう。
などと考える余裕も無かった。
憎たらしい。
自由に、なんの不自由もなくコートを動き回るあのボールが、憎い。
「あぁ、準決勝だよな。ドイツ代表だっけ。確かに、手も足も出ないって感じの試合だったな」
「…………日本で一番上手い奴らが集まった、あそこでさえ、そんなモンや。「ここまで差があったら逆に清々しい」とか、舐めてんのか。アァ!?」
「俺は、勝つためにピッチに立ったんやッ! 思い出作るために、あんなダサいユニフォーム着たんちゃうぞッ! 俺がッ、一番だって証明するために…………結果のために闘ったんやッッ!!」
ただ、証明したかった。
俺が世界で一番上手いんだって。
それをただ、見せたいがために。
自分という存在を、誰かに認めてほしくて。
そのためなら、チームも、監督も、コーチも、サポーターも。なんだってよくて。それだけが俺を、孤独から救ってくれる唯一のモノだと、信じてやまなくて。
「…………分かっとるわ、本当は」
「なにが、さ」
「俺が欲しかったんは、本当は、結果なんかじゃねえよ。ただ…………居場所が欲しかっただけや」
分からなかった。俺とは。
廣瀬陽翔とは、何者なのか。
友達がいないのは、本当のことだった。
目つきが悪く、ドスの効いた地声は同世代から怖がられた。自分から近付こうとしても、みんなが避けていった。
俺に手を差し伸べる奴なんて、誰もいなかった。
学校から帰ってきても、共働きの両親は家に居ることの方が稀で。
俺を可愛がってくれた祖父母も、小学校に上がる頃には他界して。
テストで100点を取っても。運動会の徒競走で一等になっても。作文コンクールで入賞しても。
誰も、俺のことを見てくれない。
気にしてもくれない。
まるで、空気のような自分。
いつも、いつも独りぼっち。
だから、欲しかったのだ。
自分にしかない、俺という価値を。
サッカーは小さい頃からずっと好きだった。
家の近くにたまたまスタジアムがあって。
プロの試合を何度も観に行っていた。
格好良かった。
大勢の人間が、一人の選手に声援を送る。
そして、プレーで応える。
求め、求められる。
そんな関係性が、俺の憧れで、理想だった。
「お前は、認められてたよ。廣瀬陽翔は、小さくない希望だった。日本サッカーにとってな」
「…………なら、もっと優しくしてくれよ」
「期待の裏返しさ」
日に日に増していく、注目と期待。
プロデビューはいつか? 海外からのオファーは? フル代表入りは? そんな文字が雑誌やニュース、SNSで飛び交う。
応えたかった。
少なくとも、俺は誰かの期待を一身に背負っていて。だから、絶対に応えたくて。応えなくてはいけなくて。
誰からも期待されなかった俺が、みんなから期待されて、信頼されて、その活躍を渇望されて。
分からなかったのだ。コップに注がれた水が、とっくに溢れ返っていることにも。気付かずに走り続けていた。
勝利こそが、その手段だと信じていた。
止まるわけには、いかなかった。
ブレーキなどとうに捨ててしまった。
「一緒なんだな。お前を潰したプレッシャーも、フットサル部も」
「…………もう、無理なんだよ。脚が言うこと聞かねえんだよ」
「怪我自体は軽かったんだろ。リハビリは?」
「死ぬほどやったわ。でも戻らなかった。バランスが、全部崩れちまった」
あの日、あの試合、あの瞬間から。
俺のなかの時計は、一向に動かず止まったままだった。
左足前十字靱帯損傷。
人生で、初めての怪我らしい怪我だった。
何かが変わった。
今まで見えていた景色が、見えなくなった。
真っ黒になったのだ。
足がもつれる。
身体が着いてこない。
動きを見切られる。
初めての挫折だった。
その瞬間、俺は俺という説得力を失い。
ただの性悪な高校生に成り下がった。
「あの頃の俺だから、俺は俺だったんだよ。今となっちゃ……ただの抜け殻や」
「一番良かった時期と比べちまうもんだよ、人間ってのは。でも、それはそれなりに向き合って、今を生きてる」
「なら、とっくの昔に死んでるわ」
今、俺に残っているものは、なんだろう。何かあるのだろうか。高校生活をロクな友人も作らず過ごしている、どうしようもない子どもであることは確かだが。
分かっている。
俺からサッカーを取ったら、いよいよ何も残らない。
だから、すべてを遠ざけて、新しいことを始めたくて。別に、始めなくてもいい。余計なことを何も考えず、毎日を過ごしたくて、この街にやって来たのに。
蓋を開ければ、フットサルなんて似通ったものに関わって。気付けば勝手に部員にされて。周りには女子ばっかり集まって。
勝手に期待して。
勝手に期待されて。失望されて。
なにも、なにも変わっていない。
「……分ぁーとるわ。俺が悪い。チームメートにクソみたいな態度を取ったんも、コーチに逆らったのも、馬鹿な子どもの反抗や。んなこと、俺が一番分かってる。それが、結果が出なくなって、痛い目を見るんも、分かり切っとる話や」
「でも、しゃーないやろ。分かんねえよッ、そんなの……………ずっと、自分のためにやってきたんに、誰かのためにとか、チームプレーがどうとか、分かんねえよ……」
「…………どうせ、どうせ一緒や。アイツらに混じったところで、俺はまた同じことを繰り返すだけや。自分一人で、目の前の相手蹴散らすために馬鹿騒ぎして……今となっちゃ、それも無理な話やけどな」
繰り返すのだ。また同じことを。
俺は、俺のためにしか戦えない。
自分と、ボール。その二つしか見えていない。
それしか、見る気が無かった。
見たくもなかった。
「私は、そうは思わんけどね」
峯岸は、悠然と言葉を紡いだ。
「お前が受けていたプレッシャーと、アイツらの、お前に対する思いは、似ているようで、全然違う。共通するところも、無いわけじゃねえけどな」
「……分かったような口、利くんじゃねえよ」
「さぁ、どうかな。これでも私、教師だからね。お前らの考えてることなんぞ、ほとんど想像の範囲さね。例えお前が並みの高校生じゃなかったとしても、それは変わらんさ」
さも自然の摂理とでも称するようにそう言い放ち、彼女はガラス越しの面々に背を向ける。
分からない。俺が、なにをすればいいのか。
或いは何もしなければいいのか。
答えを知っているのなら、さっさと教えてくれ。
分かる筈ないのだ。こんな感情。
生まれて初めての感情は。
「廣瀬陽翔。お前は、お前が思っている以上に、誰かにいろんなものを与えているし、或いはどうだっていい存在だよ」
峯岸は、出会った時から変わらない、尊大な笑みでそう言った。
「廣瀬陽翔の、廣瀬陽翔らしいプレーなんか、誰も望んじゃいねえよ」
「アイツらが望んでいるのは、廣瀬陽翔。お前っていう、ただ一人の、しょーもない身体一つの高校生。ただ、それだけさ」
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