42. 俺は、俺のために


 結局、今日も練習に顔を出さなかった。正確には、出せなかったのだけれど、そういうことにしておきたかった。



 雨がしきりに降り続けている。


 まさか、試合まで残り一週間ほどとなったとはいえ、こんな日にまで練習することも。そう思って帰り支度をしていたのだけれど。長瀬と倉畑が練習着を持って一緒に教室を後にする場面を見てしまったものだから、尚更。


 自分の浅はかさが、一瞬で曝け出されたような、そんな気がしていた。


 

「よう、廣瀬」


 廊下で俺を呼び止めた、女にしては野太い声。

 立ち塞がるように行く手を阻む彼女の表情は、あの日から何も変わらない。


 峯岸は今日も長い黒髪をポニーテールで纏め、だらしなくスーツを着ている。これで生徒たちからの評判は意外と良いのだというから、分からないものだ。



「……どうも」

「練習、どうしたんだよ。行かねえのか?」

「まぁ、今日はサボり」

「今日も、だろ」


 わざわざ言い訳をする必要も無さそうだった。

 どうせ事情は聞いているのだろう。

 分かっていてこうして絡んでくる辺り、嫌な性格をしている。



「可哀そうになぁ。4人じゃ試合も辛いだろうに。それも女だけ、結果も見えたな」

「……お説教なら間に合っとるわ」

「まさか。そんなつもり欠片も無いよ」

「なら、なんだよ」

「いいだろ別にさあ。教師が生徒に話し掛けて、なんの問題があるよ」


 彼女の言い分はもっともだが、それなら相手は俺でなくても構わないだろう。

 面倒な奴め。

 敵には回したくない。生理的に。



 俺と峯岸のやり取りを、買えり途中の生徒が興味深そうに見つめていた。だが、次の瞬間には興味を失い視線を避ける。そもそも彼らからすれば「峯岸と喋ってるアイツ誰だ」だろう。ホンマ。



「いや、ね。私は良いんだよ。フットサル部、辞めたっていいじゃねえか」

「……は?」

「言っただろぉ? 私は廣瀬陽翔っていう選手が、ちゃんと輝く場所ならどこだっていいんだよ。それがフットサル部じゃなかったっていう、それだけさね」


 屈託のない笑みに裏は感じられない。

 そういえば、俺のファンだったなコイツも。

 誰も彼も、たかが一個人に期待しすぎだ。



「なぁ。どうせ暇だろ。飯行こうぜ飯」

「だから、そう軽々と生徒を飯に誘うなっつうの」

「い~いじゃねえかよ別によぉぉー! 私もそろそろ独り身が寂しい年頃なのよさ、だから、な?」

「なっ、じゃねえわ」


 笑うな。触れるな。肩に手を回すな。


「しゃーねえなぁ。まっ、飯は良いからちょっと付き合えや。面白いモン見してやっからよ」

「……面白い?」

「お前がいない間、どうやって練習してんのか気になんだろ?」



 痛いところ突きやがって。


 軽々しく「ノー」とは言えなかった。そう答えることは、彼女からすればお見通しで、俺が答えられないことも、本当は分かっている。





*     *     *     *




 結論から言うと。

 彼女たちは、雨のなか練習していた。


 午前中ほど大降りでもなくなったが、少なくともそれを気にしているようには見受けられない。


 ガラス越しに見た彼女らの表情は、少なくとも、もう俺の知っている姿ではなかった。

 


 ボールが転がるたびに水滴が飛び散り、4人の端正な顔を濡らす。それを拭いもせず、コートを走り回るから冷や冷やして仕方ない。あんな粗い人工芝、滑りやすくてやってられないだろうに。



「日よけのカーテンだけどね。デカいし分厚いし、隠れるにはピッタリだろ」

「まぁ、な」

「ふーん。2対1でオフェンスの練習ってわけな。あれじゃどうしたって効率悪いだろうけど」


 峯岸の指摘通り、長瀬と倉畑がボールを交換し、金澤が奪いに行く。楠美はゴール前でボールを待ち構えていた。



 倉畑のパスは、前に見たときよりずっと鋭利で、素早い。横の長瀬にボールを渡すと、即座に金澤の裏を取りゴール前へ走り抜ける。


 それを察知した長瀬がダイレクトで、長めのグラウンダーのパス。金澤は着いていけない。


 なんとかトラップに成功すると、ゴールの位置をしっかり確認して、シュート。


 ジャストミートはしなかったが、枠へ飛んだ。楠美の伸ばした手は、辛うじてボールに掠り、枠を逸れていく。その姿に、恐怖心のようなものは感じられない。



「へぇ~。意外と形になってるじゃん。もしかして、廣瀬が居なくても勝てるんじゃね?」

「…………んなわけあっか」

「ハハッ。そりゃそうさ。確かに急造チームにしてはよく頑張ってるけど……相手はサッカー部だ」

「なら、練習場所くらい探してやれって」

「アホ言うな。メンバーも足りない部活動にコート一つやれるかよ」


 小馬鹿にしたように笑う峯岸の声色には、一切の迷いが無い。


 メンバーが足りない、とはつまりフットサルのプレー人数である5人のことを指しているのか。それとも正式な部活動として認定される活動人数のことを言っているのか。或いは、足並みを揃えない俺へのお小言か。

 

 

「で、アンタは俺にどうさせたいんだよ」

「べっつにー? お前がやりたいようにやればいいんじゃないの?」

「嘘こけ。ならわざわざここに連れてこねえだろ」

「この景色を見て、どう思うか。それが問題さね」


 俺が、どう思うかなんて。

 とっくに分かってるだろ。俺だって。


 俺だって、本当は――――



「チャチな問題よ。本当、しょーもない悩み」

「……あ?」

「言っただろ。このチームに、可能性を感じてるって。だから、取りあえずいるってさ。そのなかに、自分自身はいねえのかよ」


 呆れたように眉を顰める峯岸の真意を、俺は分かりかねている。


 俺自身に、可能性があるのかって。

 そんなの、お前、馬鹿なことを聞くな。

 そんなもの、あるわけ。


 むしろ、あの頃からよっぽど退化しているのに。



「こうも言ったな。まだ始めたての二人に、昔の自分を重ねてるとも。で、どうなんだよ。お前、もどかしくねえのかよ。フレッシュレモンなあいつらを見て、なんも思わねえの?」

「レモン?」

「うるせえうるせえ。ボケを拾うな馬鹿が」


 彼女が何を言いたいのか、未だに分からないままだった。仮にもし、その真意に気付いたところで、俺にどうしろと。



「まったく、これだから天才肌は困るのよさ。自分一人でなんでも出来ちまうから、人の助けとか、そういうのに有難みを感じない。むしろ迷惑とさえ思ってる。なぁ世界の廣瀬くんよ」

「…………辞めろ、その言い方」

「悲しいねぇ。大好きな大好きなサッカーが、いつの間にかつまらなくなっていたかい?」


 電車の網棚に放り投げた、事実無根の芸能記事を思い出す。


 あの記事の8割は本当で、2割は誇張だ。

 暴力沙汰なんぞ起こしたことは無い。

 否定できるのは、それだけだけど。



「結局、お前はなんのためにサッカーしてたんよ。金か? 夢か? もしくは名誉?」

「……違うわ」

「じゃあ、なにさ」

「俺は、俺のためにやってたんや。サッカーが好きなんちゃう。ボール使って遊ぶんが好きなだけや」


 どこまでも、一人遊びが好きな。

 ただの、どこにでもいる子どもだったのだ。



 それが、いつからだろう。


 周りからは、常に勝利を求められ。

 活躍を望まれ、誰かの期待に応え。

 それが、当たり前の世界で。


 いつからだろう。勝たなければ生き残れないと、勘違いし始めたのは。


 ボールを蹴るところなんて、いくらでもある。

 こんな小さなコートにさえ。


 一番でなければダメだと、思い込むようになったのは。いったい、いつからだったのだろう。



「しょうもないプライドや、全部。全部な」



 言葉が、溢れる。


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