10. 馬っ鹿にしてくれちゃってぇ
前のチームからゼッケンを手渡されコートイン。青色の簡素な代物は汗で微妙に匂う。つうか金澤さん以外名前知らないな。覚える気無いけど。
さて、暫く蚊帳の外だった長瀬。ようやく男たちから解放されたのか、試合前からぐったりとしたご様子。
なんかこっち歩いて来る。
来るなよ。関係性を露呈するな。
俺に飛び火するだろ。
「……随分仲良くなったのね」
「まぁ、普通に」
「そうやってさも当然のように知り合い増やす辺りムカつく。ホントムカつく」
「お前もぎょうさん喋っとったやんけ」
「知らないわよあんなの。二酸化炭素と一緒」
ほとんど意味の無い存在だと。
人前で言うなよ聞こえたらどうすんだお前。
ともかく、お気に入りの奴は見つからなかったようだ。さっさと俺から離れて。
「マジで勝ちに行くから、覚悟しときなさいよっ」
「あ、はい。頑張ってください」
「ちょっとは張り合えっての! ばーかッ!」
持ち寄せた暴言をぶつけ、不機嫌なまま自分のチームの元に帰っていってしまった。俺が何したってんだよ。人と喋ったら罵倒されるて、人生ハードモードすぎるだろ。
「なんか怒ってたけど、どったの?」
「分からん。何かが不満らしいが、アイツが満足した瞬間を知らん」
長瀬が笑っているところをそんなに見たことないし。少なくとも俺に対してロクに好意的な言葉を投げていない。ある意味ブン投げてるけど。
金澤さんは何やら思うところがあったのか、反対サイドの長瀬をジッと見つめている。長瀬は苦手だろうな。彼女みたいなタイプ。美人にも色々とあるものだ。
「ふーん。まっ、いっか。えーっと、ハルト? でいいんだよね?」
「ん」
「おしっ。じゃあキミは今日から「ハル」だ。オーケー?」
「え、なんそれ」
「三文字じゃ呼びづらいだろぉ? あだ名ってやつよ、そういうの無いでしょどうせ」
「馬っ鹿にしてくれちゃってぇ」
なんで会う人間みんなして軽くディスってくるんだふざけんな。
そんなわけで、お手軽にあだ名を頂戴する。
どう考えてもハルって顔じゃないだろ。
多分。いや絶対に。一文字削って何になる。
「10分1本で。ファールは基本取らないので、その辺りよろしくお願いします」
コート担当の控えめな「流してプレーしろ」宣言と共にホイッスルが鳴り響く。
長瀬のチームからキックオフ。俺はなんとなく立っていた左サイドからスタートだ。ボールは遠い。
ボールを回す相手に対し、金澤さんは結構なペースでボールを奪おうと走り回る。
こちらの陣地に入って来たところでパスミスが出て、ボールはこちらのチームへ。どうにか攻めようとボールは回しているのだが、なかなか前に進まない。
というか、俺に回って来ない。
自己紹介サボったからか。
金澤さんとずっと喋っていたからか。
男性陣の嫉妬かどうかはともかく、まったく試合に絡めない。極論を言えば、このまま終わってしまった方が精神的にはだいぶ楽なんだけれど。
「まぁ、それもつまらんな」
せっかくの機会だ。
やれるだけやってみよう。
それが例え、酷い後悔と失望を孕んだ結果になったとしても。仕方のないことだ。足は勝手に動くのだから。
「ハルっ!」
右サイドに張っていた金澤さんからパスが来る。ようやくファーストタッチだ。
陣地内、およそコート中央。相手の寄せは来ない。サイドになんとなく広がる味方と、それをチェックする相手チーム。なるほど、警戒されてないな。
「やるだけやりますか」
そのまま相手ゴールに向かってドリブルを開始。中央から切り込んでくるとは向こうも思っていなかったのか、少し驚いた様子でボールを奪いに来る。
近くの味方に預けても良かったが。
なんとなく、違うと思った。
シンプルに、苛々していたのだ。
こんなに舐められたのはいつ振りか。
なら、証明しなければならない。
「あっ!?」
「仕掛けろっ!」
雑に足を出してきた名も知らぬ相手を、ダブルダッチ(ボールを横に押し出し、反対の足で前に蹴り出すフェイント)でサクッと躱す。素早く右サイドの彼女へ展開。前には若干のスペースが残っている。
パスを受け取った彼女は、今日一の大きな声に少し驚いていたようだった。だが、その意図をくみ取ったかと同時に、表情は一変する。
細やかなボールタッチで、あっという間にゴール近くまで侵入。対面する相手選手が慌ててカバーへ。
だが、それがもはやなんの意味も為さないものであったことが、次の瞬間明らかとなる。
「うわっ、簡単に抜いたぞっ!?」
コートの中か、外で観ている誰かか。出所も分からぬ声が、彼女のプレーを一言で完結させた。
中に切り込むと見せ掛けて、右足の外側。
アウトサイドで相手の股を抜き、大外から回る。
一瞬で抜かれてしまった相手は、バランスを崩しその場に転倒した。あまりの一瞬な出来事に、俺も僅かばかり反応が遅れてしまう。だが、それ以上に相手のマークは遅い。
「ハルっ!」
右サイド深くからボールが折り返される。そのままシュートと行きたいところだったが、思わぬ相手に邪魔をされた。
「長瀬ッ……!?」
「止めるっ!」
強引に体を当てて来る。パスはやや後方。
右足で触った方が圧倒的に近い。
凄まじい圧迫感だ。身長は俺の方が高い筈なのに、ゴールを覆い隠されてしまう。というか、めっちゃ腕におっぱい当たる。ダメだ。気が散る。
(あっ)
おおよそ奪われてしまった僅かな視野の隙間。パスを出したままゴール前に走り込む彼女の姿が飛び込んでくる。
お手本のようなパスアンドゴーだ。
期待には応えないと、な。
(こんな密着して、足元見え辛いやろ)
パスが届くまで数センチ。
今一つ踏ん張りが効かないのは長瀬からの圧力のせいか、それとも体幹の衰えか。どちらにしろトラップして後方の支援を待つ時間は無さそうだった。
なら、答えは一つ。
パスコースはそこしか無い。
「うそっ!?」
踵で押し出したボールは、長瀬の股下をキレイに抜けていく。その先には、待ってましたとばかりにスペースへ走り込む、金澤さんの姿。
パスと同時に反転して長瀬のマークを振り切る。崩れたバランスを持ち直す合間に、彼女はあっさりとゴール右隅にシュートを流し込んだ。
均衡が破れる。場内は静寂に包まれていた。それもそうだ。明らかに運動部感の無い男と身軽な女が個人技で一点もぎ取ったのだから。
「おっしゃーナーイスハルぅーっ! 今のラストパス、めっちゃお洒落じゃんっ!」
「ええ突破やったな」
満面の笑みを浮かべる彼女とハイタッチを交わす。柄ではないが、思わず応対してしまうくらいには完璧なオフェンスであった。
「やっぱ、思ってた通りだわ。ハル、最高だね」
「お前も期待以上やな」
「さんきゅー♪」
嫌味の無い本心だった。
スピードに乗ってもコントロールを失わない確かなドリブルの技術。いとも簡単に相手のデッドスペースを見つけ、的確に突いて来る視野の広さ。
ただドリブルで抜くだけでなく、ゴールに繋がる動きを続ける連動性。なによりも、男相手に単身突っ込んで、見事に躱し切る度胸。
こんな一級品のドリブラー、早々お目に掛かれない。
金澤瑞希か。名前と顔は覚えておこう。
「さて、お株を奪われた長瀬さん。これからどうしますかな」
「……良いわ、やってやろうじゃない」
呆然としていた長瀬も、俺の調子づいた一言に再び闘志の火を燃やす。
あぁ、いいね。忘れていた。これだから面白いんだ、フットボールというやつは。どれだけ出来るかなんて関係ないね。何をしたかが一番大事なんだよ。
「好きな選手、教えてあげるわ。ガブリエル・バティストゥータ」
「俺はサビオラの方が好きやけどな」
見せて貰おうか。
お前のプレー、存分にな。
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