第188話 信仰の片鱗

「……女神ルミス……様、ですか?」


 思わず顔が引きつってしまう。しかし、宿屋の主人は満面の笑みで俺とラティアを見ている。


「えぇ! この街は女神ルミス様のご加護によって常に幸福なのです! ですから、是非、お二人……いえ、冒険者達の皆様にもご加護を享受していただきたいのです!」


 その目は……完全に狂気じみていた。


 ……ちょっと待て。今宿屋の主人はなんと言っていた? 「この街は」と言っていなかった?


「……その……一つ聞いていいですか? アナタは今この街、と言っていましたが……この街の住民は全員……」


 俺が訊ねると、主人は益々嬉しそうな顔をする。


「えぇ! この街の住民は全員! 女神ルミス様の御加護を受けております!ですから、皆様も是非女神ルミス様のご加護を――」


 と、主人がそう言い終わらないうちのことであった。主人は俺の目の前で……いきなり凍りついてしまったのである。


「え……ま、まさか……」


 俺が思わず背後を見ると、ラティアが主人の方向に向かって手のひらを向けていた。


「……もう良いだろう。必要な情報は十分聞いた。今すぐここを出るぞ」


「し、しかし……何も凍らせなくても……」


「いや、急がなければならなかったからな。ほれ、あれを見ろ」


 そう言ってラティアは窓の外を指差す。俺もその指し示す方向を見る。


「え……な、なんだあれ……」


 思わず驚いて言葉が漏れてしまった。道の向こうから大勢の住民達が歩いてくるのである。


 皆手には松明を持っており、炎に照らされた顔は、なぜか一律に全員、満面の笑みだった。それこそ、昼に見たカップルのように、どこか恐ろしい笑顔だった。


「なるほど……どうやらこの街はすでに女神ルミスの信者の街になっていたようだな」


 ラティアがそう言ったと同時に、扉が思い切りよく開く。


「姉上! 大丈夫ですか!? ……って、な、なんだこれは!?」


 リアとミラが部屋に飛び込んできた。と、目の前には氷漬けになった主人が立ち尽くしている。


「……えっと、どうして宿屋の主人を氷漬けにしているのかな?」


「あー……それはですね。どうやらこの街は……来ちゃいけない街だったみたいで」


 俺もラティアと同様に窓の外を指差す。すでに住民の大列は近づいてきていた。


「……えっと、つまり、今すぐメルとサキを起こしてきて……転移魔法でここから離れたほうがいいってことね」


 ミラが理解が早くて助かった。その後、俺達は全員一度部屋に集まり、ミラの転移魔法で街から少し離れた場所に転移した。


「……ちょっとアンタ。なんで先に大事なこと言わないわけ!? この街は女神ルミスの信者の街です、って!?」


 転移した先でメルに怒られていたのはサキだった。確かに、サキは一度この街に来たことがあるようだったので、このことは知らなかったのだろうか。


「……すいません。その……前に来た時はここまでじゃなかったんですよぉ……街の人の何人かがいつもニコニコしているくらいで……他の街の人はそういう人達のこと気味が悪いって言ってたし……」


 サキは涙目になりながらそう謝罪する。おそらく、サキの言っていることは事実なのだろう。


「……つまり、サキが前にこの街を訪れてから今日に至るまでに、あの街の信者が女神ルミスの信者になってしまったということじゃないでしょうか」


 俺がそう言うと先程まで怒っていたメルも少し落ち着きを取り戻す。


「じゃあ……その女神ルミスの教えがとんでもない勢いで信者を獲得しているってこと?」


 メルが信じられないという表情で俺に訊ねる。


「えぇ……おそらく、今は教団の教祖だとしても、それこそ、彼女はいずれ……本物の神として崇められるかも知れません」


 俺がそう言うと皆は黙ってしまった。いや、実際、先程の宿屋の主人は尋常ではなかった。本気で神の素晴らしさを俺達に説いているような表情だった。


「……だとすると、我らは……神になろうとしている女を倒そうとしているということになるな」


 そんな折に、ラティアが不敵な笑みを浮かべてそう言う。その言葉に俺も思わず微笑んでしまった。


「……えぇ。ですから、神になる前に止めるのです。彼女を」


 俺がそう言うと皆も落ち着いてくれたようで、またやる気のある顔になってくれた。


 結局、その日はその場で全員野宿することになってしまった。地面に横たわりながら考えるのは……これから俺達のパーティを待ち受けているのは一体どのような困難なのか……どうしても俺は不安になってしまうのであった。

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