第121話 握ったその手を

 しばらくの間、俺は何も言うことができなかった。


 ミラはそれでもなぜか俺のことを見ないようにしながら顔を背けている。


「……それって……本当なんですか?」


 思わずそう確認してしまうと、ミラはゆっくりと頷いてしまった。ミラは確かに普段はヘラヘラしているが、こういう時に冗談を言うタイプではないだろう。


「……今のウチを見てみなよ。どうして、こんな……情けない状態なのか、わかるだろう?」


「え……じゃあ、もしかして、ミラは……」


「そうだよ……さっきの食事……まさかとは思ったけど、ヤト姉はウチの食事に薬を混ぜていた……しかも、かなり強力なヤツをね」


「それって……まさか……毒!?」


 俺が思わず慌てて聞いてしまうと、ミラは半笑いで首を横にふる。


「……毒ならウチだって察知して食べたりしなかったさ。でも、察知できなかった……ある意味毒よりも厄介なものだよ。無効化する方法をウチは知らないし……だから、耐えるしかない……」


「え……毒じゃないって……じゃあ……」


「……そういう気分にさせる薬……簡単に言えば媚薬だよ」


 ミラはそう言いながら俺のことをチラリと見ようとする。しかし、なぜかすぐに顔をそむけてしまった。


「媚薬って……え? そんな……」


「あはは……侮れないよ? 暗殺者は結構媚薬を使うんだ。食事なんかに混ぜれば、対象が見境なくとんでもないことを始めるからね……でも、まさか実の姉に媚薬を盛られるとは思わなかったよ……」


「それは……どういうものなんです?」


「……この薬は、自身の欲望を抑えれば抑えるほど……苦痛が長引くんだ。だから、今ウチは……ちょっとでも油断すると、おそらく、アスト君のことを押し倒しちゃうと思う……だから、ホントはこの部屋に来るのも駄目なんだけど……どうにも限界だったんだ……」


 そう言って辛そうに顔を歪めているミラ。あのミラがここまで苦しんでいるのを見ると、相当効果の強いものだということが理解できる。


「お、俺は……どうすればいいんです?」


「……ウチに近づかずに、黙って、じっとしてくれてればいいよ。あと、なるべくウチと目を合わせないで……」


「え? それは……どうして?」


「……アスト君の顔を見ると、我慢できなくなっちゃいそうだから」


 ミラは申し訳無さそうに俯きながら、小さく呟いた。俺には何も出来ることがない……俺もそれは理解することができた。


 それから、何時間経っただろうか……ミラは椅子にしがみつくようにしながら苦しんでいた。俺も何度か助けに行こうかと思ったがその度にミラが「来ないで」と叫ぶので、俺は仲間が苦しんでいるのを見ていることしかできなかった。


「……アスト君は……どう思っているの……?」


 明らかに限界そうなミラは俺に話しかけてきた。流石に俺もこのままミラを放置しておくなんてこと、できなかった。


「え……どう思っているって……」


「……ウチは……ずっと、パーティに所属しても、誰のことも仲間なんて思ってこなかっただから、簡単に壊すことができた……でも……アスト君や、勇者サマ、ヒーラーさんは……違う。こんなウチでも……壊したくない……」


「ミラ……」


「だから……ウチは……こんな形で今のアスト君との関係を壊したくない……アスト君は……どう?」


 俺はそのまま立ち上がった。そして、そのままミラの座っている椅子に近付いていく。


「……来ないで、って……言っているでしょ……」


 ミラの全身は汗だくだった。白い綺麗な手が暗い部屋の中でひどく弱々しく見える。


 俺は……思わずその手を握ってしまった。


「え……な、何して……!?」


 ミラが思わず俺のことを見てしまう。しかし、あまりにも驚いたのか目を丸くして俺のことを見るだけである。


「……俺の同じです。だから……ミラ。大丈夫、俺が近くにいるから……ミラは、きっと大丈夫です」


 自分でも不味いかと思ったが……ミラは先程までの強張った表情から、ふっと、優しく俺に微笑みかける。


「……一度握ったんだから、効果が切れるまで……手、握っていてよ」


 そして、俺とミラは夜が明けるまで手を握ったままで、薬の効果が切れるのを待ったのであった。

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