第94話

 自らの雇い主には傭兵を人間だと思う機構は存在していない、傭兵の男はそう結論付けていた。

 死んでも、彼にとっての痛みはなく。どうでもいい金さえあれば動く一つの駒でしかないのだと。


 勿論、彼も金を貰えば基本的には従うのだから、否定をするつもりはない。

 そもそも、雇い入れたエイデンが彼らの事を一人一人、認識しているかどうかすら怪しいが。

 いや、認識はしていないだろう。

 関係は雇用者と労働者。

 金銭によって発生した、どこまで行ってもビジネスを出ない関係だ。


「…………」


 トリガーに指を掛けた。

 狙いは先程現れた黒色の女性の内の一人。


「『牙』か……」


 最高レベルのパワードスーツ。

 通常武装で勝てるか。不可能だろう。並の弾丸は肉を貫く事なく、彼女の身体にあたった瞬間に転がり落ちてしまうだろう。

 では。

 狙いを一般市民に絞ってみるべきか。そんな事をすれば、当然のように隙だらけになってしまうだろう。

 勝ち目はない。


「仕方ねぇよな……本当に」


 呆れ返るほどに。

 運がなかったというべきか、全ての帳尻がここで合わされたというべきか。


「一つ……」


 目の前の女性が肉薄し、男に尋ねる。


「どうして、テロを起こした」


 正直、彼にとっては預かり知らぬ話だ。何せ、テロを起こしたのはアダーラ教徒の過激派で有り、招き入れたのはエイデンで一傭兵にどうしてなどと問われた所で答えなど持っているはずもない。


「…………っ」


 詰められた距離に焦りを見せる。

 だからといって何かが変わる訳でもなく、腹に女の力だとは思えない拳が強くねじ込まれ、数メートルを吹き飛ぶ。


「かっ、は……っ」


 肺から勢いよく空気が漏れて、鈍痛に数秒間呼吸すら忘れてしまう。口から噴き出たのは空気だけではなく、赤い液。


「理由もなく……私の妹は殺されたの?」


 精神的にミアは持ち直したのだろうが、やはり納得を完全にさせる事など出来はしない。聞く意味という物はなかったのかもしれない。


「何の意味もなく……」


 妹の、オリビアの人生は打ち切られてしまったと考えると、許せる訳もなく。


「…………ふ、ぅっ」


 腹を抑えながら男は見上げる。

 顔を隠した女性を。どんな顔をしているのかは全くわからない。ただ漠然と恐怖を感じた。

 人が怒った姿。

 人が殺意を抱いた空気感。

 分かった瞬間に、相手がこちらをどうとでも出来るほどの力があるのなら、恐怖を抱かない訳がない。


 抵抗虚しい子供が、大人に詰め寄られる。傭兵なのだから死への恐怖も薄いはずだと無根拠に論じる者が居るのなら否定しておこう。

 人間である限り、生物である限り恐怖は付いて回る。

 恐怖を認識しない者もごく少数ではあるが存在はしている。ただし、これは例外であって、彼はこの例外には当てはまらなかった。


「ぎっ、ぃあ………ぐっ」


 肋がミシリと鳴った。

 胸の辺りを蹴られたからだ。鋭い一撃だった訳ではない。


「がっは、ごほっ……げぇっ、はぁっ」


 言葉も吐き出せない。

 息と血を吐くだけだ。必死に呼吸をせがむ身体、ぱくぱくと餌を求める魚のように。取り込んだ空気は少なく、浅い呼吸を繰り返す。


「ひゅっ、はぁ……ぅっ」


 近づいてくる足音。

 トン、トン。

 仲間はどうなった。

 眩む視界の中で辺りを最低限に見回せば、鎮圧されてしまっている。

 手詰まりだ。

 視線を直ぐ近くに戻せば、彼女が立っている。


「……お前が、お前らが。何で当たり前に息を吸っているんだ」


 冷たい声にゾワリと一層強い怖気を覚えた。何故テロを起こしたのかは知らなかったなどと言ったところで、彼女は納得するだろうか。

 おそらく、不可能だ。

 関与した時点で、ミアにとっては等しく罪人なのだから。

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