第95話
「クロエ」
「何?」
街の騒ぎを聞いてユージンは目の前を歩くクロエに呼びかける。
「お前……このゴタゴタの解決が出来るまで俺を利用する気か?」
と言うのも、アダーラ教徒によるテロ行為と、これが原因となって発生した戦争の事だろう。
ユージンはなんであれ従わざるを得ない状況である。何せ、頼みの綱は目の前の女性しかいないのだから。
「利用って……。人聞き悪いね」
「うるせぇ。アリエルの事、任せたねとか言いやがって……俺は育児をするつもりはなかったんだぞ」
エンジェルを攫って、後はパスポートを作りアスタゴから出国してしまおうというつもりであったのに、クロエが期間を引き伸ばし続けたせいだ。
「それにしても、さ」
クロエが遠くを見ながらに呟いた。
「最近多いよね、テロリスト」
銃声はサウスストリートから。
溜息も吐きたくなる。戦場から出て、平和な世界を見てきたと言うのに。
「どうせアレだろ? スタジアムの時と同じで」
格好だけ似せた、偽物のアダーラ教徒。顔を隠す黒い布は彼らには扱いやすかったのかもしれない。
「ファントムだか、何だか知らねぇけどな……。目的は分かってんのか」
「多分、目的自体は叶ってる筈なんだよね。戦争を起こしたいって辺りだと思うけど……」
「それ、もうおっぱじめちまってるじゃねぇか」
ただ、もう一歩踏み込んだ答えには中々、辿り着く事は出来ない。
「これは私達にはどうにも出来なかった事だけど。ファントムの暗躍を探って妨害するくらいなら出来ると思う」
「……あー、やんなきゃならねぇんだろ」
拒否権は無かった。
「全く。老人には優しくしろって習わなかったのか」
齢五十を超え、還暦も程近いと言うのに現役軍人並の行動を求められるとは、文句の一つでも吐きたくなる。
「やれやれ……」
息を大きく吐いて、ユージンがサウスストリートの騒ぎの方向に向かおうとした時、黒色の男が隣を抜けて行こうとしたのが目に入った。
「……?」
見覚え、いや、既視感と言うべきか。
過去の記憶と合致する部分がある。老人の記憶容量は大きくはないが、薄ぼんやりと覚えているもの。
例えば、身体の運び方。
「おい、黒づくめ」
例えば、呼びかけた時の反応。
ピタリと足を止めて男、オスカーが振り返ると、次の瞬間には拳が顔面に迫っていた。
──ゴォオオンッ!!!
衝撃に数歩、後ずさる。
「な、何やってるの、ユージン! アリエルの所の隊員だよ!」
「関係ねぇな、それ」
剣呑とした雰囲気も、闘争心も隠す事なく鋭い目付きでユージンはオスカーを睨みつけていた。
「テメェ、あん時のゴキブリ野郎だろ? 生きてやがったか。……本当にゴキブリみてえな奴だ」
確信に至ったのは黒づくめと呼んだ時の反応。他の誰にも分からない。
「俺の顔、覚えてるか?」
忘れる筈もない。
何せ、この男は。
「忘れてる訳ねぇよなぁ?」
オスカーが手も足も出ずに惨敗した男だからだ。
「クロエ! どっかに隠れてろ!」
勝てる、筈だ。
オスカーはパワードスーツを装備していて、目の前のユージンはそんな物を身につけている様には見えないから。
だが。
「なっ……!?」
一瞬にして踏み込まれ、問答無用に鳩尾を殴り飛ばされる。『牙』の衝撃吸収能力の高さは他に類を見ないほど。
だと言うのに。
「ぐっ……!」
ジンジンと痛みを身体が訴える。
どんな拳をしているというのか。並の拳銃を凌ぐ、大砲の様な拳とでも形容すべきか。
思い出す。
蹴りは更に不味い。
雷のような音がオスカーの脳の中でこだまする。
爆発的な身体能力。ユージンはパワードスーツを身につけていないというのに。
「チッ」
ホルスターから銃を抜き出し、構えようとするが目の前にユージンは居ない。
「──何処に」
「流石に銃、使われんのは不味いな」
瞬間、後頭部にスタンガンを当てられた様な痺れを覚える。
ただ、倒れない。
『牙』がなければダメだった。
勝てる筈なのだ。
だと言うのに、どれほど思考を巡らせても敗北が浮かび上がってくる。銃を撃つより早く。銃を構えるより早く。
抜き取った銃は、身体の痺れによって先程取り落としてしまった。
「危ねぇ……」
──バギィッ。
銃を拾おうとした瞬間に、ユージンの右足によって踏み砕かれる。
「──くっ!」
選んだ手段は逃走。
トラウマからの逃走と言うこともあったのだろう。ユージンに対する苦手意識は払拭されないまま。
元々はサウスストリートに一人で当たらせたベルを殺す筈だったと言うのに。
また、失敗だ。
いつだってオスカーの失敗にはあの男が、ユージンが関わってくる。
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