第78話

 

 ニタリ。

 悪どい笑み。

 大人が子供を揶揄うような、悪魔が人間をたぶらかす様な残酷さの滲む笑み。

 時刻も分からない空白の中に彼の口元の三日月だけがあって、それはゆっくりと口を広げて音を発した。


「──どうやら、君の先輩のライトくんが死んでしまったようだ」


 精神を揺さぶる言葉の攻撃。


「嘘だ」


 信じない。


「本当だとも。君が信じなくとも現実は変わらない。さて、何度でも問おう。私は意地汚い大人だからね」


 くつくつと。

 何をどう考えればこの男を正義だなどと思えたのか。この男はどこまでも軽薄で酷薄で、利己的な人間でしかないというのに。


「君が迷う間に、君の大切な仲間、彼ら風に言えば家族か……それが死ぬ。君の決断一つで救えたかもしれないというのに」


 歯噛みしてしまう。

 今すぐにでも噛み殺してしまいたい。獣のように獰猛に牙を立てて、躊躇もなく首筋へと噛み付いて。

 エイデン・ヘイズという男は悪だ。

 何よりも許されざる大悪だ。

 野放しになど出来るものか。

 ヒーロー願望、悪を憎む心。どこか幼い彼女の心に宿る善性がエイデンを否定しろと叫び続ける。


「私は貴方を許さない……!」


 眼光鋭く睨みつける。

 もし目だけで人を殺せてしまうならばエイデンは何度も殺されている。そんな現実はあり得ないのだが。


「首輪をつけられ繋ぎ止められたなら、狂犬であっても恐ろしくはないな」


 馬鹿にするように言って。


「……まあ、君が私を許さずとも世界は私を許すさ」


 アリエルの数歩前、大凡三メートルほどの距離で立ち止まり淡々と話す。


「そもそも、私は語り部でしかない。物語が始まって仕舞えば、大きく本筋に関わるつもりもない。言うなれば君という神の誕生と活躍を描く聖書を、客観的な立ち位置から吟遊詩人が如く紡ぐだけだ。神が誕生してしまい、世界を統べたなら誰も私を悪だと蔑むことはないさ」


 世界はそう回っている。

 勝ったものの意見が罷り通り、負けたものは勝者を見上げ何もかもを奪われる。この盤上、最早エイデンの勝利は揺るがぬものになっていると彼は確信している。


「私が貴方を止められなくても、他の誰かが貴方を殺してでも止める」


 世界を知らぬ蛙が、井の中で鳴くだけだとエイデンは本気にもしない。


「警察は私の掌中……ならば、誰が正義となるのかね?」


 嗅ぎ回れば殺す。

 揉み消す。

 ここまで、全て消してきた。

 不都合なものは全て。

 Project:Aの関係者も、正義感を拗らせた愚かな若き警察官も。

 鉄の心で。

 誰からかの連絡が入ったようでアリエルからエイデンの視線が外れた。


「──何……? 私と話をしたい警察が来ただと?」


 まさか、勘付かれたか。


「チッ」


 面倒だ。


「今はそれどころではないだろう。処理しろ」


 気分が良かったというのに水を差されては最悪だ。至高の料理に虫が入るなど許される事ではない。


「正義の嗅覚は……貴方を見つけるかもね」


 へらりと笑ったアリエルにエイデンはつまらなそうな顔をして、背を向けた。


「その正義で犠牲を厭わないのなら、君はそうやって何もせずに待っていればいい。また、ニュースを聞かせてあげよう」


 時間が経てば経つほどにアリエルの心を圧し折る材料は増えていってしまう。取り繕った表情の裏で、アリエルも不安と悲痛を覚えていたのは事実だった。

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