第23話

 殴ろうと迫るベルを見て、フィリップは即座に反応する。

 迫り来る右拳。

 その先を見る。

 狙いは顔、紙一重で避けてカウンターで肩を殴り抜く。


「ぐっ……」


 呻き声を上げるが、ベルの勢いは止まらない。直ぐに態勢を戻して、左拳を放つ。

 最小の動きでしゃがむ様にして避けると伸びた左腕の肘部分に掌底を放つ。


「っ」


 ベルの左腕が止まる。

 フィリップの掌底による肘への衝撃がベルの左腕の可動を遅らせる。

 一瞬の遅れが、全体の遅れへとつながる。

 隙だらけの胴体。

 迷いなくフィリップは拳をベルの腹に叩き込んだ。


「ぐぁっ……」


 胃の中が逆流する様な感覚。

 思わずベルは腹を抑えて蹲る。


「げほっ、げほっ」


 むせるベルの姿を無感動にフィリップは見下ろしていた。


「これで分かったろ」


 事実が突きつけられる。

 どこまでも冷たく、淡白な物言いだった。この現実がベルには受け止められない。認められない。

 自分の努力がフィリップに劣っているとは彼女には思えなかった。

 男女の性差が体力的な差を作り出しているのか。いや、そんなものは関係ない。彼と彼女では、そんな言い訳も出来ないほどの技術的な差があった。

 それでも、ベルの頭には言い訳も湧いてくることがなく、真っ白になっていた。

 過ったのは。



「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」



 自分を見て、失望した様な顔を浮かべたオスカーの姿だ。

 鮮明にオスカーの顔が浮かんで、彼が「失望した」と吐き捨てた。

 見捨てないでくれ、と願ってベルは立ち上がる。

 背中を見せた今のフィリップになら。

 仲間に向ける様な感情とは言い難い、どす黒く暗いモノを抱いて彼女は走り出して、力強く右手を振りかぶった。

 けれど右手が届くことはなかった。


「あの」


 止められたからだ。


「何しようとしてるんですか?」


 金髪の少女に。


「…………」


 感情がごちゃごちゃと煩くて仕方がない。


「ああ……」


 目の前に立っている少女は力強く、最初に会った時と同じ様に手首を握っている。


「アンタには関係ない」


 冷静になったのかベルが言い放つとアリエルの手を振り払う。アリエルの手が緩んだのも、ベルが理性を取り戻したように見えたからだ。


「悪かったよ、モーガン」


 彼の謝罪の言葉もベルにとってはどうでも良かった。ただ彼の謝罪を聞き流して彼女は訓練所を後にする。


「何があったの?」


 この場にいたのはアリエルだけではなかった。エマ、アーノルド、クリストファーもいたのだ。

 エマの質問にフィリップが誤魔化す様に笑いながら答える。


「別に何でもないさ。単なる意見の行き違いだよ」


 フィリップの答えにアーノルドとクリストファーが仕方ないなと言いたげに笑った。

 仕方ない。

 フィリップはこういう奴なのだから。意見の行き違いも少なくない。ベルが相手であれば尚更に。


 フィリップという男に対する信頼はそれなりの物があって、彼が何でもないと言ったのなら、きっと本当に何でもない事なのだろう。

 ただ、『牙』に入隊して日の浅いアリエルだけは、どこか納得がいっていない様な顔をしていた。

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