第96話

 陽の国、某所。

 二人の青年が民家の前に立ち、鍵を開け、銀髪の方の青年が右手で扉を横に開いた。

 久方ぶりの家。

 誰も居なかったからか、埃臭いような、どこか懐かしい様なそんな場所。養父と妹と過ごした大切な場所。


 帰ってきた。

 おめおめと逃げ帰ってきた。

 月夜に包まれた家の中、明かりを灯す。静かな部屋、二人の足の音が床を踏む音だけが響く。

 リビングに放置されているソファに腰を下ろす。テレビはあるが、それを点ける素振りを四島は見せなかった。


 数十秒、ソファに座って、何もせずにいた。

 突然に、四島の目から涙が零れ落ちる。

 目頭が熱くなって、耐えきれない苦しさを感じて、数滴の雫が床に落下する。


「っぁ……」


 嗚咽が響く。

 立ち止まるという行為によって、忙しなく動き続けていた足が止まったことによって、家という場所に帰ってきてしまった事によって、脳が叫ぶ。

 生きていられて良かった。

 そんな事を考えてはならないという理性とのせめぎ合い、感情がかき混ぜられて、狂って、混沌を生み出す。


 吐き出す言葉には違和感だらけ。

 感情の発露が、優しく四島を包み込む。押さえつけていたものを吐き出して、彼は安心を覚えていた。

 スッキリした。

 そう言ってもいいだろう。


「…………」


 竹倉は言葉を挟めなかった。

 挟むほどの言葉がなかった。涙を流すほどの感情にかける声など見当たらなかった。


「俺は、お前の友達でよかったよ……」


 竹倉は四島には聞こえない声を漏らした。

 友達でなければ、きっと四島をただの完璧で、天才で、手の届かないところに居る理解のできない、自分とは別種族の存在なのだと嫌悪しただろう。

 後ろめたさがありながらも、それでもそんな彼が機械などでは無い。生きた人間である事をきっと、友達でなければ知ろうとすることもなかったはずだ。


「ぁあ、うぅぁあ」


 五分程だろうか。泣き腫らして、枯れ果てたかの様に、四島の涙が止まる。

 しゃくり上げる様な声は僅かに聞こえるが、それだけだ。


「雅臣」


 竹倉はようやく、声をかける機会を見つけた。

 名前を呼べば、四島は真っ赤にした目の下を見せる。

 痛ましい顔をしている。四島が、こんな顔をする事は竹倉にだって予想できなかった。戦争さえなければ、こんな顔を見る事は一生なかったかも知れない。

 不謹慎な物言いになるが、沙奈が死んでしまった場合も、雅臣はこんな顔をするのだろうかという疑問を覚えた。


「……今日は寝るんだ。朝になったら病院に行こう。それで良いだろ?」


 質問もする事なく、四島は黙って頷く。

 考える力が働かなかった様にも見える。四島は、それほどまでに弱っていたのだろう。


「俺も今日は泊まってく」


 四島は、竹倉の言葉に強い安堵を覚えたのだ。

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