第93話

 竹倉の後を四島は追いかける。

 追いかけると言っても、そこまで急いでいると言うわけではない。ゆっくりと言うわけでもない。

 ただ、日常を歩くように。

 度々、竹倉は後ろを振り返る。

 夜空が彼らを隠す。

 電灯もあるが、少しばかりの道を照らすだけ。


「もう少し早く歩けるか?」


 急かしているわけではない。


「…………」

「今、病院行っても、どうせ開いてないからな」


 時刻は深夜。

 行こうと誘ったのは良かったのだが、時間を考えても沙奈に会う事はまだ不可能だろう。


「ああ、そうか」


 空のことなど気にしていなかった。

 目に入っていなかった。ぼうっと歩き続けてきたから。どうでも良かった。進まなければならないと言う強迫観念によって、足を動かし続けてきたから。


「なら、どこに向かってるんだ……?」


 四島が小さな声で竹倉に尋ねる。


「俺の家だよ」

「竹倉の家?」

「母さんと父さんに会いたくないなら、別のところでも良いんだけどな」


 竹倉はこれ以上に四島にストレスを与えるつもりはなかった。沙奈と四島を引き合わせると言う事はストレス以前の問題であった為に、これに関しては譲るつもりはない。


「俺の家でいいか……?」

「別に良いけど……」

「悪いな」


 竹倉は四島の家を知っていた。

 あの家は四島が居なくなってから、誰もいない幽霊屋敷のように人気ひとけがなくなっていた。


「なあ、あの家って……」

「養父の残してくれた家だ」


 育ててくれた男が残してくれた家。金はそこまでなく裕福ではなかったが、問題はなかった。つい数年前に病気で、その養父は亡くなったのだ。ただ、今でも四島の本当の親は見つかっていない。

 養父の知人であった事は確からしい。


「そうか」

「今は誰もいない」


 だから提案した。

 今は竹倉以外の知人に会うのが怖かった。竹倉と話すことさえ、酷く恐ろしかったと言うのに。


「ありがとうな……」

「何だよ、いきなり」

「気を、遣ってくれてるんだろ」

「別に、そうじゃない」


 ただ、竹倉は思っただけだ。

 このまま四島が沙奈に顔を合わせなければ兄妹揃って報われないと。


「……そうすべきなんだよ、俺は」


 見捨ててはいけない。

 竹倉は、この完全無欠であったはずの、ただの人間の、ただの男、ただ一人の兄を友として救いたいと思ってしまったから。そんな彼の妹までを救わなければならないと考えてしまったから。

 だから、背中を押す。手を引いてやる。

 そこらにいる、何千もの凡人と変わらなかったとしても。それくらいの事は許される筈だ。同じ人間を救いたいと願うことくらい。

 彼は自らの行動に義務を感じている。

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