死の間際に夢を見る

 一つの奇跡が起きた。

 その奇跡は結局のところ、無意味なモノで、何の価値があったのかも分からないようなものだ。


 とある民家で家族が笑う。

 裕福な暮らしをして、笑顔が絶えない日々がそこにはある。

 夏には西瓜を食べて、秋になったらサツマイモを食べて、冬になればかまくらを作ってやって。雪玉を投げ合って。

 平凡で幸せな世界がそこには広がっていた。そうであって欲しいと願っていた。

 いつの間にか間磯は家の庭に立っていた。死んだばかりの筈。


芳樹よしき……、はな……』


 庭を駆け回る幼い兄妹。

 名前を呼ぶ声が届かなくて、通り抜けていく。触れることも、話すこともできない。認識されない存在なのだ。

 体はすり抜けていって、奥にある部屋に入っていく。


『母さん……』


 そこには白い布団の上で上半身だけを起こし、座っている女性が一人。淡い桃色の髪を伸ばしっぱなしにした五十代ばかりの女性だ。


 ここは、陽の国にある民家。

 その部屋には小さな窓が一つ。その窓は開かれていて、吹き込む風が白いレースのカーテンをゆらりと揺らした。

 女性は窓の外を見ていた。

 間磯はこの家を知っていた。知らないわけがなかった。


「た、くみ……」


 掠れた声で彼女は愛する息子の名前を呼ぶ。懐かしい声だった。弱々しいその声は温かさに満ち溢れている。


「ど、うか。無事に帰っ、て、きて……」


 彼女は身体が弱かった。

 そんな彼女は子供たちのために身を粉にして働いた。そんな女性に少しばかりの恩返しがしたかった。

 祈るように抱きしめたのは、間磯が訓練施設に入る前に手渡した小さな石のブレスレット。


『あ』


 ようやく気がついた。

 母は、家族は間磯巧とともに生きることを願っていた。もう無理だ。取り返せない。

 だって彼は────。


『ごめん、ごめん母さん……! ごめんなさい、ごめんなさい……』


 死んでしまっているのだから。

 こぼれ落ちていく涙とともに、それを隠すこともせずに彼は謝り続けて、そして、彼の体は解けていく。


『ごめん芳樹、花……。もう、もう会えないから。ごめん、ごめんなさい……』


 何と言う親不孝。

 生きていてくれることを望んでいた母に対して、最低な答えを返してしまった。

 それでも。


『だから、だから。どうか幸せになってくれ……』


 幸せを願う。祈りを捧げる。それだけはタダなはずだから。

 程なくして、彼の体は完全に消えてしまった。


 これは彼が最後に見た夢なのかもしれない。幸せを、死の直前に夢見てしまったのかもしれない。家族を思ったからこそ見ることができた最後の奇跡。

 それでもやはり理不尽で、何をすることもできずに願うことしかできない。

 母の部屋にあった花瓶に入った花から花びらが一つ、ゆらりと落ちた。



 ──けれど、この奇跡は間磯巧にとって価値のあるものだった。

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