第46話

 星々が輝き、月の光が窓から僅かに差し込む。


「俺は……」


 銀髪の男が俯きながら電気のついた廊下を歩いていた。何のためにここに来たのだったか。思い出せる。忘れてなどいない。


沙奈さな……」


 その目的さえ叶えば良かった筈なのだ。松野が死んだことも、その目的には何の問題もない。何の、問題も。

 たった一つ、それさえ叶えば彼は自分の命だって惜しくはない筈だった。


「絶対に助けてやるから……。だから、待っててくれ」


 願いを込めた小さな呟きが廊下に響いた。

 その声を聞く者はいるはずがないと彼は思っていた。ただ、それを聞いていた人間が一人。


「──四島雅臣」


 名前を呼ばれた。

 その声にしまったと肩をびくりと震わせてから、ゆっくりと顔を上げた。まるで、その時間をたっぷりと使って平静を装おうとするように。


「九郎か」

「悪いね」


 それは聞いてしまった事への謝罪だったのだろう。四島は苦笑いを顔に浮かべて「気にしないでくれ」と答えた。


「その、沙奈ってのは君にとって大切な存在なのか?」


 九郎がそう尋ねれば、四島はゆっくりと頷いた。懐かしむように思える表情は、優しげで、どこか儚くも見える。


「ああ……。とても大事な存在なんだ」


 噛み締めるように四島は言葉を吐き出した。


「そうか」


 その答えに嘘はないことは明らかだった。これが四島雅臣という存在の持つ理由というモノ。これこそが四島雅臣が戦場に立つ必要。


「……もし、君が戦争に行かず、生きて、その沙奈という人の元に帰れるとしたらどうする?」


 九郎の質問に、は、と小さく四島は笑った。それは諦めがあったから。彼には分かっている。自分が優秀である事が。自分の力が求められている事が。

 戦争に行くことは必至。これは逃れられない運命だ。


「無理なもしもの話は止めてくれ。そんな希望があると縋ってしまう。まだ、死にたくないって、戦争に行きたくないって思ってしまうだろ」


 その声には悲痛さを感じる。


「覚悟は出来てた筈なんだ……。でも、松野が死んだ事で、それをより強く感じるんだ」

「確かに無理かもしれない。でも希望がなきゃ、やってられないだろ」


 九郎の言葉には四島は言葉を返せない。希望があった。それは生きて帰れるかもしれないというモノではなく、沙奈を助けられるという希望だ。


「──希望はある。それは俺が戦う事でしか手に入れられない。それに、沙奈もこんな今も必死に戦っているんだ。だから、俺が逃げるわけにはいかない」


 そんな希望を彼は信じきっている。

 そうであって欲しい。いや、そうでなければならない。

 その言葉はまるで自分自身に言い聞かせるようで、怯えてしまっていた四島の心の震えを覆い隠す。

 覚悟は出来たというような表情をして、四島はその場を去っていってしまった。


「四島、雅臣……」


 九郎は遠くなっていく男の背中を見送りながら、彼の名前を呟いた。

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