31節 紅玉
「熱いよ、死ぬ、溶けるぅ。チョコだったらとっくに溶けてるぅ」
「うるさい。やめろ。余計熱く感じるだろう……」
俺たちは街路樹の影に入るように歩いていた。あの後は、普通に解散になり電車で帰宅する事となった。が、やはり夏。ちょうど八月になり、まるで皮膚の上から肉を焼かれるような暑さに二人は嫌々になっていた。
そんな中でも、表情の裏で苦悩する人間がいた。
海斗である。
自分は何かが出来る人間ではない。足は速くないし、腕力もない、射撃はうまいが視力がない。器用貧乏から器用を無くした、それが
人にやさしいかと問われれば違うと答えよう。荷物思ってくれと女性にお願いされても断るし、クラスメイトが怪我や死亡しても感情の波は揺れ動かない。とは言っても、人並みよりは少ないが良心や慈愛心を無くすほど欠けては居なかった。
あの昨日の逃走劇で俺は何ができたであろうか?ただ悪戯に礼を傷つけただけなのではないかと。
相談する気はない。もとより不安や苦悶を心のに仕舞い蓋をするのは日常だった。
いや、言い表せばもう既に彼の心の器はひび割れ負が漏れ出している。その影響が片頭痛と嘔吐に現れていることは彼自身がわかっていた。
けど、悩まずにはいられないのだ。
……俺が生きる意味とは何だろう?
その虚空から返答はない。人は生まれさせられると言うが、生まれた人はどのように
そもそも、俺はあの日に死ねばよかったのではないのだろうか?
そんな不安定な波動を感じ取った礼はそっと、ご主人の腕を握った。
「ま、マスター。遊んでみるのはどうですか?ほら、昨日疲れましたし」
「ぁ?あー。けど、ショッピングモールに行ったばっかりだしな。それに……」
「熱い死ぬ。ヤバイ死ぬ。クソが死ぬ」
「妹の脳が暑さでバグったのか、NPC並みの言語力に落ちてるからな。それに俺もこの中で遊ぶのはチョットきついな」
確かに二人の額には玉汗が垂れ太陽を反射していた。気温は三十後半。一刻も早く日差しから逃れたいと思うのは当たり前であった。
故に、ちょっとした露店に寄って喉を
ちょうど視界の端の広場にて、白色の
アメリカ発生の全国コーヒーチェーン店が移動販売を行っているとは知らなかった。
周りを見回せばジャラジャラとバックにキーホルダーを付けた女子高生が。やはり有名以外の理由に飲食スペースにはパラソル付きの椅子とテーブルがあり、日に焼かれる心配はなさそうだ。
値札を見て視れば値段は500円ほど。やはり外食ではこんな感じがデフォなのか。普段ならば
故にちょっとは贅沢してもいいかと、並ぼうと足を踏み出した時。不意に視界の端に紅玉色がちらつく。
「あ」
目の舞にいる少女も想定外だったのだろう、明らかに動揺によってローズカラー色の瞳孔が揺れていた。見つめ合う事、
「あなたは……あの時の」
そして唇を綻ばせながら嬉しそうに声を上げた。
その出来事を、「なんか最近こんな風に人に出会うの多々ありすぎだろ」と他人事のように考えていた海斗であった。
「はい。あぁ、代金は気にしなくてもよろしくってよ。恩を借りたままと言うのは釈ですし」
「はあ」
おかしい。おかしい。俺は三人で飲み物を買いに並んだはずだ。それが何故二回しかあった事がない少女に奢られている?
差し出されたストロベリーフレンチバニラを受け取る。冷たく冷えた感覚が腕から頭に流れ、ボケっとした頭に生気が戻る。思考が鮮明になったからこそ、余計不思議に思うのだ。
とにかく立ちっぱなしだと体力がさらに加工していく気がするから、席に行こうと手ぶりで示す。相手も了承したのか何も言わずに後に付いてくる。
視線の先にはパラソル付きテーブルセットがあった。白いプラスチックの机に同じく椅子。青い縞模様の色彩効果を持ってさえも貫通し、椅子に座って項垂れる連れ二人。舞は単純に暑さで机に突っ伏して、礼はまたほかの女と出会っていたのかとふてくされていた。
近づいてくる足音を聞きひまわりの如くにっぱと、表情を上げたが俺の後ろに付いてくる人を見てもう一度影を落とした。
そんな責める視線を刺さないでくれ。俺が一番困ってんだよ。
やっぱりと言うか距離感が近い。ほぼ初対面だって。
開いてる席の都合、彼女は俺の向かいに座る。
「ねぇ、兄この子誰?」
「あー。ん?」
借りてきた猫の様に警戒した目線を離さずに妹がアヒル口で疑問を問いかける。
誰……か。正直誰なんだろ?
「えぇ!?まさか……忘れたん、ですの?」
「……あぁ」
「あぅぁ……くぅ。ヴェロニカ。ヴェロニカ・パーチラです!思い出しまてッ」
「う、ん」
「生返事!?」
「逆に数回の会話で何故覚えてると思ったのか。……妹にはさっぱりわかりませんなぁ」
すごく突っ込みが激しい人間だ。本当にこの女性は関わったこと無いタイプだ。
「あの、
「僕のにそこはかとなく圧があるわね……」
桜色の唇の隙間から見える白い乳歯でガジガジとストローを噛みながら、裏言葉で入ってくんなと意思を示す礼。わざわざ『僕の』と強調していることから、やはりゆずきとの邂逅は彼女にとってそれなりの精神的負担になったらしい。
「てか、なんでうちの兄を知ってるの?自虐じゃないけど私たちの友好関係は狭いはずだけど……」
「そう!どんなことを
「なんで貴方達攻撃的ですの……」
確かに初対面の人間に対しての態度ではないが、我が妹にとってこれは普通だ。
たれ目で童顔、目が隠れるほど伸ばした髪を視てほとんどの人が保護欲を掻き立られると思うが、舞の性格はチョット皮肉屋で毒舌。それに、昔に色々とあった事から警戒度は非常に高い。
済まんが初対面の人にはいつもこうだから気にしないでくれとヴェロニカに耳打ち、何とか抑えてもらう。
「熱中症で倒れかけた所を彼に救われたのですの。恩人に対して何も返さないと思ったのは失礼だと思い、次にはせめてもの恩情を返そう思ったのですけれど、連絡先を交換するのを忘れていまして」
「別に熱中症で倒れかけた人を観て助けるのは
「えぇ、日本に来る前はロシアに住んでいましたの。正直夏を舐めていましたわ……汗など運動以外書いたことが無いのに。今だけは修学旅行で行ったシベリアが恋しいくらいにね」
小さくため息を付きながらキャラメル味の液体を口に含む。たった一動作にも気位が付いている。
そう目の前に座る彼女は素人目の俺からでも疲弊していることがわかる。気温については分からないが、海外旅行をしたとき時差に慣れるのに苦労すると聞いたことがある。その要領でこの温度にも慣れるのに辛いハズだ。日本人でもそうなのに、特に雪に囲まれて過ごしたヴェロニカにとってはレンジの中に放り込まれたかの様に感じる事だろう。
なら、家でおとなしくしていればいいのに。
「なら、慣れるまでは家でおとなしくしとけばいいんじゃない?わざわざ外に出る理由も無いし、熱中症で死ぬぐらい人間は弱いからね」
「まぁ、仕事がありましたの。その仕事の休憩時間の合間に貴方達を見かけたというわけですこと」
「なるほどね……」
礼は
「わかった。疑ってごめんなさい。最近海斗君が知らない女の人にストーカーされてるみたいで。それで僕たち神経質になってたんだよ」
と、今までの口調が嘘の様に明るく微笑みながら謝罪の言葉を口にした。
自分でも唖然としているのがわかるまさかあの礼が、自ら進んで歩み寄っただと。
「礼がそう言うのなら……。ごめん、ちょっと私も神経質になってたみたい」
「そう、何ですの?それはまぁ、ご愁傷様なの……?と、にかくあまりにも酷いようであれば警察に連絡した方が宜しいのですわ」
そしてこれ見よがしに連投して謝罪する舞に対して、ストーカー発言に押されてやや反応が遅れながらもしっかりと返し、こちらの心配を配る。その言動や態度から決して悪い人ではないのだろう。
先ほどは連れが女性特有の独特な敵該者を射止める
只でさえ女性ばかりが多いのに投げ出された男性の事を思ってくれと思いながらも、飲み物を飲む。
ミルクの程よい甘さとイチゴの酸っぱさに粒感が合わさり非常に美味しかった。
「改めて、兄の妹をやってます舞です。将来の夢は働かないでのんびりしたい」
「僕の名前は文月礼。海斗君の家に居候させてもらってるんだ」
「な、なかなか特徴的な自己紹介ですわね……」
そう言って右腕を差し出し順番に握手していく三人。ただ、礼が握手しようとし腕を前に動かした際、大きく膨らんだ胸に当たりフニュと形が変わったのを視て、半笑いし心の奥底で敗北感を感じていたようだ。
まぁ、同性でも視線は行くよな……。
「引き留めてごめんなさいね。迷惑だったでしょう?」
「いや、すまん。家の連れが」
「謙遜しなくてもいいわ、事実ですもの。あ、これを受け取ってくださいまし」
「これは……」
そう言ってポケットから四つ折りにした紙を渡される。開けば、ボールペンで書かれた丸みを帯びた文字で電話番号が書かれていた。
あれ、何かデジャブが……。
「それは
「そんな悪いですよ」
「いえ、好意として受け取って……ん?少々お待ちくださいまし」
ここはいつもの礼儀が良い少年を演じ、流し切ろうとした時突如会話を切る電子音。ピロピロと遮るかのように響くピンク色のスマホを取り出し、少し離れ耳に当てる。
はい、と業務的な返答を繰り返す彼女。スピーカーモードになっていないからこちらからは話している内容は聞こえない。礼に目線で聞き取れるかと訴えるが、軽く首を振った。
段々と顔を顰めるヴェロニカ。返答する声は静かにけれど確実に精神的な疲労が見え隠れしていた。
電話を終え、地面へと叩きつけるように乱暴に携帯を仕舞い。
「ごめんなさい。ちょっと用事が出来てしまったわ。茶会はこれでおしまい」
「そっか。仕事?なら、頑張れよ」
「……えぇ、一仕事して来ますわ」
そうしてヴェロニカはこちらに背を向けて去ってしまった。
喧噪に包まれながらも俺たちはそのままゆっくりと飲み物を飲んでいた。
「あの人、ロシア人だよね?」
「多分な。あの品格で只の少女だとは思えないから、大方本国が荒れているから避難してきたってところじゃないか」
「共産主義の台頭にスターリン崇拝ね。歴史は繰り返すっていうけど、機械生命体の影響で失業者増えてるしもう一回
「……僕の気のせいか?」
兄弟はやっと喉に刺さった小骨が取れたかの様に饒舌に語り出す中、礼だけは彼女が人並みに飲まれるまで視線で追っていた。
「休日からいきなり呼び出しておいてすまない」
「いえ、問題ありませんわ。レオニード小将、それで寄生体が見つかったとは本当の事ですの」
ロシア大使館の中でキッチリと軍服を着る偉丈夫に対してヴェロニカが声を上げる。
「本当だ。昨日、コンテナヤードでこんなものが見つかったらしい」
「これの写真は機械生命体の死体ですの……綺麗に両断されている。こんなの」
「そうだ。我が軍にもこんなことは出来んだろう」
手渡された写真を見て視れば確かにきれいに両断された死体が。
本来、銃弾を弾く機械生命体に刃を立てられるはずもなく、出来たとしても大規模な装置が無ければ不可能だ。
「そして日本のSSが機械生命体と戦闘した際に邂逅したそうだよ。寄生体を操る人間を」
「な!?そんな、ありえませんわ。だってそれはおかしいではありませんか!奴らは人間がマソ分解した魔力を摂取しなければ死にます。何故わざわざ餌の言う事聴く意味がありませんわ」
落ち着けと目の前の少女に向かって手を出す。やっと自分が上官の言葉を遮ってしまったことに気が付いたヴェロニカが「申し訳ありません少将」と頭を下げた。
そしてもう一つの資料が手渡される。
「これは……地図ですの?」
「あぁ、昔にジオフロント化計画と言うものがあったらしい。とは言っても機械生命体の襲来によって中止されたがな。我々、特に君の力は大っぴらに公開してはいけない。特にマスコミには、戦闘する際は地下にしろ」
「は!わかりましたわ」
「そして、もう一つ。次の任務を君に言い渡す。二日後――」
トランクケースの中少女の相棒であり体の一部である緋弓。
それに取り付けられたルビーのような赤い宝石が暗闇の中、火のように揺らいだ光を灯したのには誰にも気づかなかった。
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