獣、闘い 01

「あっ! ごめん、今日はダメだった。お母さんのお供しないといけなくて、泊まれない」


 そんな──。

 明日は土曜日──休日なので、レイの家にお泊まりするつもりだった。そのためにレンタルビデオ店に向かい、二人でビデオを物色してる最中、不意にレイが両手を合わせて私に謝罪した。


 ……言葉が続かない。

 私の計画がガラガラと音を立てて崩壊していく。ふらつく足に力を込めて、立っているだけで精一杯だったわ。


 もう完全にレイの家に泊まるのは確定事項だった。ソファでゴロゴロしながらレイを抱きかかえるのが私達が映画を見る時のスタイル。レイの柔らかい感触を味わいながら、頭部に鼻を当てて匂いを嗅ぐ(呼吸すると空気に混じってレイの匂いが入ってしまうので……)。映画が終わるまでの間、合法的にレイの匂いを嗅ぎながら幸せな一時を満喫するつもりだったのに。時々映画に飽きたレイが、くるりと回転して私の胸元に顔を埋めるのも、史上最凶に可愛くて思い出すだけで目眩がするわ。


「そう、まぁそれじゃあ仕方ないわね」

「動揺しないで。うぅ、サクラの期待を裏切ってしまい、大変心苦しいのですよ!」

「はいはい。でもお母さんのお供って?」

「なんかお母さんの友達が旅行に行くらしく、その時の荷物をね……受け取りに行くの」


 レイはふふふっ、と笑みを浮かべる。

 何かを企んでいる時の小悪魔美少女な笑みだ。

 その可愛い笑顔で何でも許してしまうから困る。


「荷物?」

「サクラ絶対びっくりするよ。はぁ、今からサクラの驚き飛び上がる姿を堪能するの楽しみ」

「え、私も関係あるの?」

「あるある。まぁ明日うちに……お昼過ぎくらいに、来てよ。午前中はまだ、慣れないと思うし」


☆★☆★


 金曜日を一人で過ごすのは久しぶりだった。

 常にレイと一緒に居たので、少し不安になる。

 ……お手伝いさんも、最近はあの子が居るからって、ご飯だけ作ってさっさと退散してしまう。その配慮は正直有難くて、あと、監視から逃れるようで助かる。別に、もう切ったりしないのに──。


 一人で眠れるかしら? と寂しくなりながらベッドに上がる。

 ってか、月〜木まで一人で眠ってるんだし、どうして今更寂しくなってるのよ、と笑う。ただ、体がそろそろレイを求めていた。普段なら今日こそレイのピリピリした感触を味わい、手を繋ぎながら眠りにつけるのに、どういうこと? 何も感じないわよ!? と体が悲鳴を上げてる。その気持ちは私もわかる。わかるけど、どうしようもない……。部屋の電気を消し、掛け布団に包まりながらレイの写真を見るだけでは全然足りない……。レイと一緒に写っている私にすら嫉妬するじゃない。代わってほしい。


 まぁ明日になれば、それが全て解決する。

 だから早く寝るべき。

 うじうじレイのことを思っても何も解決しない。

 レイと一緒に寝れない……という不安よりも、早く眠りに落ちて明日レイに会う! という意志が勝り、私は瞬く間に眠りに落ちていた。


☆★☆★


 ──スマホのアラーム?

 違う、電話がかかってきている。メッセージアプリの通話が起動して、レイの名前が表示されていた。


「……もしもし。おはよ」

「サクラ〜〜〜!!」


 ──うぅぅ、ふぅ。

 寝起きにレイの声は効くわね。

 脳にガツンと液体が注がれ、ドクンドクンと血流が体の中で加速していくのがわかる。

 私は恍惚とした幸福感を覚えていると、「サクラ! 早く来て! 寝ぼける場合じゃないんだって!」


 昨日は午後くらいには、と言っていたはずなのに、まだ朝の8時を過ぎたくらい。


「午後じゃないの?」

「もう今すぐ脱兎の如く……はなんか使い方が違うんですけど、とにかくできる限りの最速最新最先端の速度で来てくれ!!!」


 脳が思いついた言葉をベラベラ喋っているので、かなり焦っているのがわかる。


「はいはい、わかったわ。すぐ向かうから、おとなしくしてなさい」

「私は大人しくしてます! でもこいつが……。お母さん今日も仕事だって消えちゃうし、私一人じゃどうにもなんないの! 助けてくれ〜」

「……何か、居るの?」

「……それは来てからのお楽しみです」


 不敵に微笑むレイの笑い声がした後に、通話は終わった。


 ──レイママの友人が旅行に行く。

 ──荷物を受け取る。

 ──レイの家に何かが居る。 

 ──レイ一人ではどうにもならない。


 今、レイの家で何が起こっているのか、大体察せられた。まぁレイが助けを求めているのを無視するわけにもいかない。

 でも、不安ね……。

 多分大丈夫だろうけど、もしも体中がびっしり鱗に覆われたタイプだったら、レイ一人を家に取り残して逃げてしまうかもしれない──。


☆★☆★


 ──ピンポーン。


 レイの家に着き、インターホンを鳴らす。

「はい」

「お待たせ」

「早く上がって上がって」

「一応確認するけど……鱗に覆われたり、ヌメヌメしたりしてないわよね?」

「……モジャモジャしてます」


 モジャモジャ。

 だったら、大丈夫よね?

 私は恐怖を覚えながらも、勇気を振り絞って扉を開いた。


「お邪魔しま──うっ…!?」


 それは、レイの家で今まで感じたことのない”匂い”だった。

 むわっと鼻につく、人工的な匂いではなくて、何というか、獣臭……。

 私の大好きなレイ臭を押しつぶす匂いは、どこかで嗅いだ記憶があるわね。


 ──バタバタバタ!!

 リビングの方向から激しい足音が響いた。


「サクラ、玄関の扉閉めた? 飛び出ちゃうから!」

「閉めたわ」

「じゃあオッケ~……おっと、お前は外行っちゃダメ言ってるでしょ〜、落ち着け、落ち着くんだ……早くサクラこっちの部屋に! リビングに入ってもすぐに扉を閉めてね!」


 そっとリビングの扉を開き、中に入り込んで扉を閉める。

 すると、そこにはレイがしゃがみ込み、両手でガシッと……小さなヌイグルミを押さえつけている。

 いや、何してるのよ? と声をかけようとしたところで気づいた。

 動いている。

 生きている?

 ヌイグルミは私を見ると、顔を揺らして足をカシャカシャと回す。


 違う、ヌイグルミじゃない、犬だ。

 レイに押さえつけられたモジャモジャの毛に包まれた犬が、今にも飛び出して私に「もうだめだ、もう限界……あぅ」


 レイは手を離してしまう。

 パッと放たれた犬は凄まじい速度で一直線に私に向かってくる。

 ……私は、すっとかがみ込み、片膝を立てて手を伸ばす。

 犬を真っ直ぐ見据えて。

 目が合った。


「え、サクラ……」

「おいで」


 犬に向かって声をかける。

 犬は、私の周りをグルグルと高速で回った後、再び加速して部屋の中を走り始めた。


「マジかよ、まるで暴れる動物を手懐けるような風格で手を伸ばしたのに、全く相手にされなかった。こいつ、できる……と一瞬でも期待した私が愚かだった」

「うるさいわね……」


 私が自分の不甲斐なさに絶望していると「ぎゃああっ!!」とレイが叫んだ。

 犬の姿を追うと、犬は部屋の隅で立ち止まり、後ろ足を両方左右に広げて震え始めた。

 ──犬を飼ったことのない私でもその意味がわかった。

 レイは悲鳴を上げながら犬に向かって突進する。


「違う! そこじゃないって教えてるのに! ダメ〜〜〜〜!!!」


 ──フローリングの床に水溜まりが広がった。


☆★☆★



//続く

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