炬燵、私のお腹の柔らかさ 02



 ──早速、炬燵の恐ろしさを味わった。

 レイとのじゃんけんに敗北した私は、体に力を入れて炬燵から足を引き抜こうとした瞬間、まだ暖房の効いていない部屋の寒さに包まれた。そして気づいた時には再び足を戻していた。


「さっさと行け」レイが私の足を蹴りつけながら言う。

「あと少しだけ、待って」「ふふっ、時間が経過すればするほど炬燵から出にくくなるよ。炬燵は魔物だ。冬の朝の布団以上に体に絡みついてくるから」

「レイが行ってよ」「じゃんけんして見事に負けたのは誰だっけ?」「私です」

「はぁ……炬燵でミカンは至高と究極の組み合わせなのに……。ね、まだサクラは炬燵の本気を味わっていないよ。それでいいの? んん?」

「くぅ……」


 その甘い囁き? に屈し、私は意を決して炬燵から体を引き抜いた。部屋を出る最中、レイがニヤッと微笑んだのが気になる。


 廊下の冷たさと一階の薄暗い部屋の寒気が体に染み込む。私は足早に台所へ向かうと、隅に隠れるように置かれたダンボールを発見した。中にはミカンが大量に入っている。私は十個ほど掴むと、レイの部屋に戻る。その最中、嫌な予感がした。……レイを一人にしてしまった、と。またなんかとんでもなくどうでもいいことに巻き込まれそうな気配がぷんぷんするわ。経験と直感が私に警告している。


 ──果たせるかな、レイの姿が見当たらない。炬燵の上にミカンを置きながら部屋の中を散策した。

 まず、これ見よがしにベッドの上にこんもりと膨らんだが毛布がある。……けど、あれは囮ね。続いて炬燵、レイが座っていた箇所を見ると掛布団の端から僅かにスカートが見えた。……何隠れてるの、と炬燵の掛布団を引っ剥がしたい衝動にかられたけど……多分中に居ない。これもフェイク。


 私はスマホを取り出すと、レイに通話をかける。

 ブブブブブ……とバイブレーションの音がベッドの上で膨らんでいる毛布から聞こえた。


「レイ」


 と声をかけながら、私はベッドに向かう──と思わせて一気に駆けて、その反対方向にあるクローゼットをガチャり、と開いた。


「ど……どうして?」

「レイの考えてることくらい、お見通しなんだから」


 いつもレイに言われる言葉をそのままお返ししてやったわ。

 クローゼットの中で服に囲まれ、スカートを脱いだ状態のレイが入っていた。私を鬼気迫る表情で睨んでいる。


「どうせベッドに近づいた私に背後から襲うつもりだったんでしょ?」

「そこまで言い当てちゃう? あの……サクラ、私の思考、全部わかるの? 手を繋がなくても? そ、そんなのファンタジーだよ!」

「もうレイのパターンは把握済み。さ、ミカン食べましょう」


 項垂れるレイを置き去りにして、炬燵に戻った。一応、私が座るクッションの下も確認したけど何もなかった。──因みに、ベッドの毛布には巨大なくまたん人形とレイのスマホが入っていた。炬燵の中にレイのスカートだけがあり、中に入っているかのように罠を張っていたのだ。


「うぅ、毛布をドヤ顔で毟り取るサクラを背後から驚かせるつもりだったのにぃ……悔しい悔しい悔しい~~~ッッッ!!!」

「嗚呼、虚しい叫びは気持ちいいわね」

「せっかくクローゼットの中でパンツのまま寒さに耐えてサクラを待っていたんだよ。私の健気な努力を踏みにじって」

「寒いのに。風邪ひいても知らないから」

「そしたらまたサクラが看病してね」「いいけど、また移されるのは勘弁願いたいわ」「サクラが添い寝してくるからだよ?」「……レイが、駄々こねたんじゃない」「そうだっけ? 記憶がふわふわして……なんかサクラがレイが弱っている今がチャンスじゃない! と変なこと考えて……」「考えてません」


 ──普段と違い、弱々しいレイに不思議な感情を抱いたのは、もちろん秘密。そして、仄かに浮かび上がる柔らかい感触が唇を撫でる。私はその時の記憶を振り払うようにミカンに手を伸ばすと、皮を剥き、一房摘むと口に放り込む。ちょっとすっぱいけど、じんわり甘みが口の中に広がる。


 美味しい……美味しいけど、炬燵で食べるミカンの味に変化無いじゃない。二つ、三つと頬張るけど、味は変わらない。指先が黄色に染まっていく……。思わずレイを見つめたけど、「ん、他に何もありませんよ……あ、これすっぱい!」と私の意図を読み取って返事をする。


「実はまだあるでしょ?」

「疑い深いなぁ……。あのねぇ炬燵で食べるからって突然ミカンが美味しくなるわけないじゃん。ただ、こうやってぬくぬく温まりながらミカンを食べるのが風流なだけ」

「さっき至高と究極って言ったじゃない」

「ってか味じゃないの。やれやれ、まだサクラちゃんには早いかな~」


 レイは丁寧に白い筋を取りながら黙々と食べ続ける。その姿はハムスターが小さな指で器用にひまわりを食べる姿に思えてなんか愛らしい。二人で沈黙しながら食べ続けて一つ食べ終えてしまった。もう一つ……と手を伸ばしかけたところで「レイ?」が居ないことに気づく。


 いやそんな……目の前で小動物のように可愛くミカンを食べていたはずなのに……。

 咄嗟に背後を振り向いたけど見当たらない。その時、もぞもぞと私に掛かっている掛布団が蠢き……「はぁ」とレイの顔が掛け布団をどけながら出現した。


「何、してるの?」

「今日は一段と冷えるから、こたつむりになりました」

「……あぁ、炬燵とかたつむりを合わせて、こたつむり……しょーもなっ」


 レイは全身を炬燵に入れ、頭部だけを外に出している。その姿はさながら炬燵を殻にするかたつむりだった……それは言い過ぎね。


「あったかいよぉ」

「でしょうね。でも何故こっちに頭を出すのよ」

「向こうは足を出してるから」「……邪魔」「あ、逃げないで、頭が落ちて、ちょうどサクラのスカートに顔ツッコむ形になるよ。パンツ見るぞ!」

「見るな」どんな脅し方だ。

「サクラのえっちな下着が見えちゃうよ……あ、まさか私に見せ付けようと……」

「普通です、もう……」


 私はレイの頭部を押し戻すように前へと腰を突き出す。私のお腹にレイの顔がめり込むような格好になった。


「首が、折れる……」

「そのつもり」

「非道い……あ……でも、これ……あ……わぁ……」「ん?」

「サクラのお腹、超柔らかい!」


 レイはぐりぐりと顔を私のお腹に擦り付ける。「……最近、体重が増えたから、かも……」


「そうなの? 外見は変わってないっぽいけど?」

「腹に溜まってるみたい」

「確かにお腹もちもち……。まるでつきたてお餅みたい。でもまだお餅には少し早いよ」


 今度は指で掴み始めたので、その手首を抑え込む。


「触らせて……揉ませて……」

「あんたの触り方はいやらしいから駄目」


 ってか、あと今の位置がなんか……困る。私の足の間にレイの体が入り込み、レイがなんか動くたびに振動が下半身に伝わる。レイの頭部の重みが腰に押し付けられて、変に意識して……なんか動揺しちゃうじゃない。


「……サクラ」

「な、なに?」「ミカンちょうだい」


 レイはぐるっと回転して仰向けになる。サラサラしたボブカットが光を散らしながら回転する。目が合う。ニコッと意味深に微笑まれ、その飽きない愛らしさにゾクゾクしながらも「はいはい……」と私は一房を掴むとレイの口に放り込む。


「うんうん……ありが……あっ! ねぇ、ちゃんと白いの取ってよ!」

「別にそれくらいいでしょ」

「私は綺麗に取り除きたい派なの」「ついてる方が栄養あるのよ」「ミカンに栄養求めてないし」


 ごくん、と喉が生々しく蠢き、もう飲み込んでしまった。更に一つ口に運ぶとまたパクリと口にする。なんかペットに餌付けしてるみたいで面白い。けど白い筋付きが気に食わないのか、非難の目を私に向ける。


「ねぇ、やっぱり狭いからもう少しだけ外に出て」

「寒いわ」

「部屋も温まってきたでしょ?」


 レイの言う通りだった。確かに、炬燵の温もりも素晴らしいけど、部屋もじんわりと暖かい。私はレイの指示に従って少し後ろに下がる。その途端、レイはがばっとはいでてきて、私にしがみ付く。


「重い……」

「炬燵も最高だけどさ」


 ずるずると私の体を這いずるように上がり、胸元辺りに顔を埋めて、「はぁ……」とだらしないため息をつく。その呼吸の出し方、私に触れるレイの情報量がドロドロと私に垂れてくる……。

 私はレイの頭部を抱えようとしたけど、指が汚れているので辞めた。すると、レイは私の指を掴み、きゅっと縛るように握られた。レイの圧力に耐えきれず、私は体の力を抜くとそのまま仰向けに倒れる。クッションを枕のように頭部へ持っていくと、レイが私の体にのしかかる。


「最高だけど?」

「ん~やっぱりサクラの温度がちょうどいい……」


 レイはにぃっと嬉しそうに微笑んだ。その笑みと、仄かな嬉しさが快楽に移り変わり、私の中で逡巡する。


「すんすん!」

「匂い嗅ぐな」「サクラのマネ~」「私はそんなこと、しないし」「ね、あからさまにはしないよね」


 揶揄するような、だけど私の行為を言い当てられ、ちょっと迷った後、「だって、なんかレイ……いい匂いするし」と素直に白状した。すると、レイはまさか私が認めるとは夢にも思わなかったのか、一瞬返事が遅れる。


「ふうん、だから嗅いじゃうの?」

「……美味しそう、なの」


 これは、もちろん嘘。

 ただ、レイの匂いは好きなだけ。無意識のうちに嗅いでしまう。安心するんだもの。今の私は、一日一回以上はレイの匂いや体温を感じないとそわそわしちゃう。私の大事な何かが欠けている、そんな恐怖を覚えてしまう。

 今みたいにレイに抱きつかれ、レイの温度や重み、声、そして匂いを感じると安心する。……安心するけど、またその感情の内側から何かがそっと這い出てくる気がした。


「えぇ、恐い! 私美味しくないから、食べないでね」

「食べません、多分」

「多分って……。うわぁ、無人島に二人取り残されたら速攻襲われる……」


 バカなこと言わないで、と笑いながらほっと胸を撫で下ろす。──実は、私VS炬燵のレイ争奪戦が勃発するのでは、と内心危惧していただけにレイが私を選んでくれたことが嬉しい。


「……ふふっ」 私が返事するよりも先に、レイは吹き出した。

「何笑ってるの?」

「今絶対変なこと考えてるなぁ~と思って」

「レイも重いわね……と」

「私太ってないから。食べても太らない体質なんだ」

「羨ましい。……あと、もう体が痺れるから、降りて」


 私はレイの指を振りほどくと、レイを私の上から隣に下ろした。

 そして、ぎゅっと抱きしめる。私の体に食い込むようにレイの体が埋まった。私の胸にレイの頭部を抱え込み、足を絡ませて……「ふぅ」とため息をついた。息を吸うと、レイの香りが私の肺の中に吸い込まれて満足感を覚える。今日は僅かにミカンの香りつき……。レイはピクピク震えるけど、私はかまわず拘束を強めた。


 寒い日は……”寒いから”を言い訳に、レイを抱きしめていた。だってレイが喜ぶから……と私は言い訳を、まるで自己暗示のように自身に言い聞かせて……。

 レイの柔らかい感覚……ううん、今、レイ全てを私一人で堪能できる、その至福の時間に酔いしれていた。


「あぁぁ……サクラにめっちゃ匂い嗅がれ放題……」

「レイも嗅いでいいわよ。許可する……うん……」

「サクラ?」

「暖かくて眠い……。少し寝ていい?」

「いいけど、あの……苦しいよ」「我慢して。暖かいんでしょ」「まぁそうだけど……。サクラの心臓が、ドクドク音がうるさいんだよね。静かにできない?」「……ムリ」


 不満げに顔を私の胸に押し付けてくる。すりすりとレイのマーキングが始まる。ドキっと胸が高鳴る。きっとレイに聞こえている。けど、何も言ってこない。

 私がレイを抱きしめているはずなのに、レイから強い拘束感を覚える。鳥肌が立つような感触に合わせて、レイと素肌が擦れる箇所からビリビリと冷気のような痺れを覚える。シャツの上からレイに触れてもただ暖かいだけなのに、肌と肌が触れると冷たい。今ではその感触もクセになるというか、若干楽しみでもある。


 レイは僅かに体を回し、私の指に手を重ねた。するすると指の間にレイの指が入り込み、傷跡を擦る。

 震えそうになるのを必死に堪える。

 レイは指を擦りつつ、傷を舐めるように擦る。

 薄れたはずの傷が、生々しく蘇る気分だった。けど、それも心地良いと思ってしまう。胸を裂くような恐怖や罪悪感をレイに呼び起こされることを、私は……期待していた。レイによくマゾでしょ? と誂われるけど、……そうかも。


 レイに、

 レイの……あの私を嘲笑う表情を思い浮かべるとゾクゾクする。変な汗が止まらない。何で同い年の女の子に……と思うけど、レイは……レイだけは違うの。レイに、私は、私の全てを曝け出したい欲望にかられる。「寝ないの?」

「……寝てる」「起きてるじゃん」

「もう寝る……。三十分ほどしたら起こして。今日は帰るから」「起きていたら起こしてあげる」


 ぱっと指が解放され、またレイは私に身を埋める。私はレイの頭部に頬を併せ、目を瞑る。すると視界が遮断されたからか、レイの温度や匂いを濃く感じる。レイの感触を浴びながら、いつの間にか眠っていた。



//終

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