第22話 一人で頑張り過ぎないでね

 僕達はクリムの街の宿で作戦会議をしていた。新しく手に入れたエリルのお父さんの記憶、その中身を吟味しているのだ。

「お父さんはここ二十年の記憶を自ら吸い出し、一つは大切な仲間に預けたわ。そして後二つは絶対に見付からない場所に隠した。試験管に入っていた四番の記憶と病室で飲んだ三番の記憶が今ある。そしてホヤニス協会が何をしようとしているのか。そしてそれを誰がやろうとしているのかが分かったわ」

「それって五年ずつに分かれてるんでしょ?そんで一番最初に手にした四番にはそこまで詳しく情報が入っていなかった。記憶の順番が変じゃないかな?」

「どうやら記憶の一部の情報ではなく、期間毎に抜き取るのはまだ完成していない技術みたい。だから少し前後してるのよ」

 そうだったのか。当たり前に日常に存在するものではあるが、知らない事の方が多い。どうやって電話が繋がるか分からないが、通話は出来る。と言ったとかろだろうか。

「はいはーい!ホヤニス協会の計画は何何ー?」

「彼らがやろうとしているのは、〈人外化計画〉」

「人外化って。その…」

 エリルはちゃんと笑顔で対応してくれた。

「大丈夫よ、気を使わないでビン。そう。私のお父さんが目の前で狼の化け物になったあの薬。人間でない動物の記憶を使うと、脳に相当な負担があるようなの。反動で理性がなくなり、さらには痛覚も味覚もなくなるわ。ただ見て、聞こえた物を破壊するだけの怪物になってしまう。その薬をこの国、タイムズ全土に撒き散らす気なのよ」

「酷い」

「んー!でもどうやって薬を飲ますの?みんなに注射して回ったら凄く時間かかるよー?」

「飲み水、かしらん?」

 キャンネルさんは当たって欲しくない気持ちで言ったようだが、しかし残念ながら、だった。

「その通り。飲み水全てに薬を混ぜて、まずはこの地下帝国。そして次にイヤー。さらに大都市の外も人外化するつもりよ」

 おかしい。だとしたらこの地下帝国からは変だ。ホヤニス協会本部はどうなる。

「ここから始まったら、間違いなく地下帝国はなくなるんじゃ」

「そうなの。ホヤニス協会、いえ。黒幕の計画は、この国の人間を全て滅ぼす事。そしてこの計画は黒幕とお父さんの二人しか知らない」

「そんなー!だったらもっと仲間を集めて阻止すれば良かったのにー!!」

「それは出来ないわアイリス。無闇に言えば何処かで噂が立つ。そうすれば四大側近が黙ってないわ」

「なるほどねん。んで結局。その黒幕は誰なのかしらん?」

 エリルの深刻な顔付きが、さらに深い色味を見せる。

「それは…ホヤニス協会現当主、シナオカ。古代種闇の使い魔のメモライザーよ」

 キャンネルさんはおでこに人差し指を立てる。まるで名探偵のようだ。そして深い溜息をつく。

「信じられないわん。この広い世界にたった五つしかない古来種が、この国に三つもあるのねん」

「そう。でもそれは必然なのかも知れない。お父さんが言ってるの。古来種はいずれ引かれ合い、導き合う運命だと」

 エリルの話では、人外化計画はシナオカの独断で行われている。シナオカに関しては名前と計画しか分からなく、能力も古来種という事以外未知数だった。そして得た記憶から逆算すると、約一週間ほどで薬が完成するらしい。なので僕達はまず、下水処理場に向かう事になった。理由は二つ。万が一シナオカが薬を完成させるまでに見つけられなかった場合のため、飲み水を生成させないよう元を潰す準備をする事。そしてもう一つは、下水処理場の近くに二番のキーメモリーがある事からだ。こんなにもタイミングが良いと、まるでエリルのお父さんがこうなる事を知って導いてくれているようだった。


 下水処理場には人の気配はそこまで多く無かった。ほとんど全自動で行われているため、数名のスタッフと警備員がいるだけだ。

「とりあえず私は《覆面》で誰かに化けるわん。アイリスちゃん、お願いねん」

「はいはーい!」

 アイリスは猫の如くその場から消え去り、数分後に一人警備員を引きずって来た。

「いやー!ほとんど人がいないんだね!」

「では、行ってくるわねん」

 キャンネルさんは下水処理場の中を調べてに行った。僕達は今のうちに記憶の隠し場所へ向かった。そこには地下なのにマンホールがあった。エリルは風の力で難なくマンホールを押し上げた。

「まさか、さらに地下があるの?」

「ええ。この下は下水道ね。でもあまり広くはないわ」

「ええー!私入りたくないよー!」

「大丈夫よ。場所は分かっているから。『風鈴』」

 マンホールの中から何かが削られる音がした。それと同時に鉄の箱が風に乗ってやって来た。ちょっと臭う。

「アイリス。中を傷付けないように鉄を溶かしてもらえる?」

「はいはーい!」

 アイリスが指先で鉄の箱を触ると、みるみる表面が溶けて、中から木箱が出てきた。その箱を開けると、透明のビニール袋に記憶カプセルが入っている。

「7173。二番の数字。間違いないわ」

「よし!早速飲んでみようー!」

 エリルはちょっと間を置いた。

「んん。ちょっと臭うし。何処かで洗ってから。それに飲み物もないし」

 その時ちょうどキャンネルさんが戻って来た。

「お待たせん。喉乾いたでしょ?ジュース買って来たわよん」

 何という痒いところに手が届く人なんだろうか。絶好のタイミングにエリルは渋々カプセルを洗い、飲みこむ。

「うっ。おぇっ」

「えー!そんなに臭かったのー?」

 違う。様子がおかしい。エリルの身体はブルブルと震え出し、嘔吐した。何かに怯えているのか。呼吸は浅くなり、震えが止まらない。しばらく吐き続けた後、エリルは意識を失い倒れてしまった。


「エリル?聞こえる?」

 僕は病室でエリルの看病をしていた。検査を受けたが体調に異変はなく、意識が戻ってからはまるで抜け殻のようにぼーっとしている。何を話しかけても反応しない。医者が言うには、精神的なものから来る失調症らしい。

「今キャンネルさんとアイリスが色々と調べてくれているよ。きっとすぐに良い知らせを持って来てくれる。だから心配しないでね」

 僕はエリルに声をかけるが、それはまるで自分に言い聞かせているようだった。もしエリルがずっとこのままの状態だったら。もし人外化計画が実行されてしまったら。

「いけない。僕が弱気になってどうするんだよ。今助けるからね。『夢旅』」

 僕はあれから、人の心の中に《千里眼》と《解錠の理》を使って入り込む事を『夢旅』と呼んでいる。エリルの中に入るのはこれで三度目だ。真っ暗闇の中、たくさんのエリルがいる。これはきっと感情を表しているのだろう。立っていたり、座っていたり、しゃがんでいたり、倒れていたり、どのエリルも今は無表情だった。

 奥の鍵付きの扉まで来ると、中からはしくしくと泣く声が聞こえる。鍵に手を当て解錠を試みるが、固く閉ざされている。力を込めてもびくともしない。

「完全に心を閉ざしてるんだ。なら、もっとだ」

 初めて来た時は身体中ボロボロになった。自分の事を気にしている場合じゃない。僕はさらに力を込めた。身体から血が吹き出し、鈍い痛みが骨の奥から響く。骨の軋む音とともに、ようやく鍵が開き、扉を押した。

 中には小さなエリルが涙を流して膝を抱えていた。

「ママが死んじゃった。ママ、いなくなっちゃ嫌だよ」

「大丈夫だよ。僕達がいるじゃないか」

「でも君はママじゃない。ママを返して。どうして私を置いていくの?」

 君はママじゃない。小さなエリルは当たり前の事を言った。しかしそれが自分の慢心を見抜かれたようで心が痛んだ。ずっとエリルを家族のように思っていた。でも本当の家族とは少し違うんだ。血の繋がった肉親がいなくなる痛み、どれほどなのだろうか。僕は記憶すら持ち合わせていないから、想像する事も出来ない。過去に囚われたこの子の心を安らげるには、これからの事に目を向けてもらわなくちゃいけないんだ。

「確かにママは遠くに行ったよね。それは変わらない。僕もとても悲しい」

「何で。君は違うよ。悲しいのは私だよ?」

 僕はエリルに助けてもらってから、ずっと一緒の時間を過ごした。思い出と呼べるほど長くないかも知れない。それでもお互いを認め合った。姉と弟と言えど、いつも二人は平等だった。失いそうになる度に、その愛はまた深まっていく。エリルが嬉しいなら僕も嬉しい。エリルが悲しいなら僕も悲しい。

「ねぇ。何で君が泣いてるの?私がいけないの?」

 僕はいつの間にか涙を流していた。

「ごめんね。違うんだ。君の事考えてたら、何故か」

「泣かないで。良い子良い子してあげるから」

 小さなエリルは涙を拭い、僕の頭を撫でた。その小さな手は、愛と呼ぶには幼過ぎるが、愛しみと言うには言葉足らずだった。

「はは、いつの間にか立場が逆転しちゃったね」

「本当だ。私泣いてない」

 人は本気で誰かのために何かをする時、きっと自分を忘れてしまうのだろう。それが巡って結局自分の為になる。それが今実証されたのだ。

「不思議なの。君が来るととても心が落ち着く。何でだろう」

「もしかしたら、昔何処かで会ったのかも知れないね」

「また会える?」

「もちろん。いつでも」

 僕は手を振りながらこの場を去った。また視界が真っ暗になり、再び目を開ける。そこにはベットに座り、静かに涙を流すエリルがいた。

「また、助けてもらったのね」

「いつもこんなやり方しか出来なくてごめん。落ち着いた?」

「ええ。ありがとう。ビン、こっちへ来て」

 エリルは両手を広げて、こちらへ来るよう促した。そして僕を抱きしめ、小さな小さな声で話し出す。

「ありがとう。凄く安心する。ずっと前からこうしていたような気さえするの。…私ね。忘れてた事があったの。お母さんが目の前で殺された時、どうしようもなくて逃げたんだと思ってた。でもね、本当はお母さんに助けられてたの。お母さんも超常種のメモライザーだった。《交換所》っていう物の位置を入れ替える力。それで逃してもらったの。そして入れ替わるその瞬間に、お母さんの頭に刃物のような物が突き刺さったのが見えてしまった。きっと思い出したくないから、記憶に鍵を掛けていたのね」

 エリルの手が僕の背中を握り込む。人には思い出したい記憶もあれば、思い出したくない過去もある。エリルの場合のそのバランスは、とても歪に天秤にかけられているんだ。

「そしてお父さんは連れ去られた。お父さんは叫んでた。妻を、娘を返せって。何度も何度も叫んでた。私達の家族をバラバラにした犯人は、顔がない男だった。目も、鼻も、口も、耳もない。のっぺらぼうの男が闇の中に消えていく。それが、シナオカ」

 エリルは僕から身体を離し、病室の窓を見た。

「自分の記憶とお父さんの記憶と。両方からお母さんが殺された映像を見たらね、どうして良いか分からなくなって気持ち悪くなったの。もうこんな事思い出したくない。こんな記憶なんて何処かに消し去りたい。そう思ってたら、意識が飛んじゃった。そして目を覚ますと、何も考えられなくなってた。自分がお人形さんになったみたいで、ただここに居るだけしか出来なかった。私って、弱いね」

 こちらを向き、エリルは細い糸のような声で話す。そこには芽を出したばかりの朝顔のような、力強くも儚い雰囲気があった。

「エリルは弱くないよ。いつだって、今だって、あの頃からずっと僕のヒーローなんだよ。僕ね、思ったんだ。心を壊すほど苦しい記憶があったとしても、それは乗り越えるために与えられた試練なんじゃないかって。でもその試練を受ける前に倒れたら意味がない。それを支えるのが、仲間の仕事だと思うんだ。だからさ、辛い時はいつでも頼ってよ」

 エリルは涙を一滴流す。彼女はいつも一人で頑張ろうとする癖があるんだ。今までずっとそうして来たから。だから頼る事をもっと知って欲しい。支え合う事の大切さを、もっと感じて欲しいんだ。

「ありがとう、ビン」

「良いんだよ。家族だろ?」


 エリルの心が動き始めてほっとしたのも束の間。病院の外からアイリスの大きな叫び声が聞こえた。

「ビン、エリル、逃げてーーーー!!」

「アイリスの声だ。何かあったのかも」

 窓の外を見ると、こちらに走ってくるアイリスの姿。その後ろには仮面を付けた白装束が立っている。

「行かなきゃ」

 起き上がろうとしたエリルは、ベットから崩れ落ちる。

「駄目だ、エリル。まだ安静にしていなくちゃ」

「そうですよーーー!!安静にしてなくちゃねーーー!でもねーー!もうここで死んじゃうなら、関係ないかなーー?」

 誰もいなかったはずの室内に、子供のような大声がする。背後から現れたのは、さっきの白装束。仮面を付けているがこの話し方は忘れない。口の無い男、シナチクだ。

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