第19話 もうこれ以上、失いたくない

「え!?」

 朝目が覚めると、僕のベッドの中にほぼ全裸のアイリスが眠っていた。息遣いを間近で感じる。肩にかかるかかからないかのパジャマ姿は、無防備であどけない。それにしても柔らかそうな唇だな…じゃない!慌てて身体を反対向きにする。

「えー!?」

 逆サイドには完全に全裸のキャンネルさんが僕のベッドに入って眠っていた。いつの間にか二人に挟まれている。どうやったら寝ている間に全部脱げるんだ。でもこんな極上のひと時を味わえるなら…じゃない!僕は急いでベッドから抜け出した。

「えーー!?」

 エリルは向かいのベッドとベッドの間に、くの字に曲がって寝ていた。体操選手のように綺麗な姿勢だ…じゃない。

「…そうだよね。あんな事があったんだ。みんな疲れたんだよね。でも何で誰も自分のベッドで寝ないのさ」

 僕は歯を磨きながら鏡を眺めた。前はもっとガリガリだった。いつしか大きくなり、今はとんでもなく大きな組織に立ち向かおうとしている。この先不安な事ばかりだ。だけど。

「ビン、おはよっ!!」

 後ろから抱きつかれて歯ブラシが歯茎に刺さる。

「おはよう、アイリス。朝から元気だね」

「うん!たくさん寝たら元気になったよ!」

「おはよう、二人とも。良く寝れた?」

「おはよう、エリル。体調はバッチリだよ」

「エリル疲れてない?大丈夫?」

「私は大丈夫よ。ありがとうアイリス」

「あらん、みんな早いのねん。おはよう」

「おはようキャンネル!一番寝坊助さんだね!」

「あらん、睡眠は美容に良いのよん」

「いや、まず服を着ようよ」

 僕達は四人で歯を磨いた。この先どんな不安があったって、みんなで乗り越えられそうな気がするんだ。今はとても、スッキリした気持ちだった。


「やっぱり凄いよね。地下に道路があるなんて」

 僕達はタクシーで移動をしていた。馬車移動に慣れつつあった僕は、快適に車を楽しんでいる。移りゆく景色は、ジャニアよりも近代的だ。どうやら中心部はほとんど力仕事はないらしい。道行く人はみんな鞄片手にスーツ姿だった。

「何だか上とは大違いだね」

「そうね。でも他の街にいけば、どちらかと言うと古臭い街並みもあるみたい。今向かっているアンの街は、農業や畜産業が盛んなのよ」

「あらん、土があるのねん」

「ええ。景色も何もかも、ほとんど地上と変わりないと言って良いわ」

「便利だねー!エリルパパの記憶!」

「そうね。大切にしなくちゃ」

 タクシーを降りると、壮大に広がる麦畑が僕達を出迎えた。家は何軒かしかなく、見渡す限りほとんど畑だった。

「わー!広い広ーい!私の故郷に似てるー!」

「あらん。アイリスちゃんの故郷はどこなのかしらん」

「私はねー、パンジャ!」

「あらあら、道理で強いわけねん」

「キャンネルさん、パンジャって知ってるんですか?」

「えぇ。とても小さな南の国でね。戦闘民族の国として有名なの」

「もー!ビンには前に話したよー!あっ、途中で寝ちゃったんだっけ?」

 アイリスは細い畑道をスキップではしゃぐ。

「ねぇエリル。次のキーメモリーはどこにあるの?」

「もうすぐ着くはずよ。あ、見えたわ。あれよ」

 指の先に視線を送ると、そこには小さな山の上に大きな屋敷が建っていた。僕達は屋敷まで辿り着くとドアをノックした。

「ごめんくださーい。誰かいませんかー?」

 返事はなく、後ろで麦畑が揺れる音しか聞こえない。ドアノブを捻ると、鍵は開いていた。ゆっくりと扉を開けると、そこには驚きの光景があった。

「あれあれー?ここ、家の中なのに外だよー?」

 そこには外の景色が広がっていた。正確には、屋敷の中のほとんどが抉り取られたように破壊されていて、外と同化している。それだけではない。そこから見渡す限り、全てボロボロに壊されていた。畑は跡形もなく、山にはすっぽりと穴が開き、川は土砂で流れが変わり、建物は人の住める場所ではなくなっている。文字通り全てが壊されていた。

「酷いわ。これって一体」

「あらん。昨日の麺屋の店主が言っていたのは、この事なのねん」

 そうだ。シナミミという四大側近の一人が大暴れしたと言っていた。街の半分がなくなったというのは、嘘ではない表現だったのだ。

「マズイわ。この家の中にキーメモリーが隠されているはずだったの。もしかしたら一緒に壊されてしまったかも知れない」

「とりあえず無事な所を探してみよう」

 ギリギリ無事だった屋敷の生き残っている箇所を探した。しかしそれらしき物は何処にも見つからなかった。

「私、屋敷の外も探してみるわ」

 エリルは屋敷の外に出て行った。それにしても一体何に怒ってここまでするのだろう。本当に一人でこの規模を破壊したとしたら、僕達で相手になるのだろうか。

「わー!ここ崖みたいになってるよー!」

 アイリスは屋敷と外の境目に立ち下を見下ろす。小さい山とはいえ、急な斜面と平地との間はそれなりの高さが出ていた。

「アイリス、気を付けてね」

「はいはーい!大丈夫ですよーーぉおおわっ!」

 その時アイリスの立っていた足場が崩れた。彼女はよろけて空に身を委ねる。僕の伸ばした手は届かず、真っ逆さまに落ちていく。その間際の笑顔が忘れられない。

「私の事、忘れないでね」

「アイリスーーー!」

 今生の別れのように叫ぶ僕の目の前に、ひょこんと顔が出てきた。

「はいはーい!どうしたのビン?」

「アイリス、崖から落ちて、あれ?」

 崖の下を見ると、アイリスが三人で肩車をしていた。どうやら崖は二段階になっていたようだ。その先は結構な高さがあり、そこまで落ちてなくて安心した。

「びっくりした。下まで落ちたんだと思ったよ」

「えへへー!そんな危険な事しないよー!」

「じゃあ何で別れの挨拶みたいに言ったんだよ!」

「あれは雰囲気で!何か感動シーンみたいだよね!それよりさ、ここで男の子が寝てるよ。変わった所でお昼寝すんだねー」

「いや、助けてあげて」


 傷付いた少年に《癒しの眼差し》で回復を促す。手がぴくっと動き、少しずつ目が開く。するとすぐに飛び上がり、敵対心丸出しで噛みつくように吠えた。

「お前らまた来たのか!ここにはもう何もない!帰れ!正気に戻れ!」

「落ち着いて。僕達は敵じゃないよ。さっきこの街に来たばかりなんだ」

「…本当か?確かに普通に話してる」

 疑いを見せる少年をぎゅっと抱き寄せ、彼の頭に自慢の胸を押し付けるキャンネルさん。

「そうよん。だから怖がらないでねん。何があったか、話してくれるかしらん?」

 息が出来ずにもがく少年は、何とか抜け出し一命を取り留める。

「…あいつがみんなを利用して、この街を粉々にしたんだ。俺の家も、みんなの畑も、牧場も。全て壊してった。だから許せねえんだ」

 少年は握り拳を作り憤っている。こんな小さな子にまでトラウマを残すような事をするなんて。一同はかける言葉を探した。歯痒い気持ちの中、僕は少年のポケットからはみ出した透明な袋を見付けた。何やら文字が書いてある。

「君、そのポケットの中には何が入っているの?」

 少年が取り出したのは、小さめのポリ袋に入った記憶カプセルだった。そしてそこには、数字の三が大きく書かれていて、その下に小さく7173と書かれていた。

「それは!?」

「これはそこの崖に落ちた時に拾ったんだ」

「はいはーい!それ私達の探し物ー!」

 アイリスが袋を取ろうとすると、少年はポケットにしまいこんだ。

「これは俺が見つけたんだ。これ以上奪われてたまるか!」

「いやだわん坊や。お姉さん達に譲ってくれないかしらん」

「絶対嫌だね!」

 少年は舌を出し抵抗している。すると後ろから枯れた声が聞こえた。

「これノッシュ。お客様に失礼な事をしてはいけんぞい」

 そこに現れたのは杖をついたお爺さんだった。

「どなたか存じませんが、お客さんなのでしょう?どうぞお茶でも」


 埃まみれのテーブルに取手の取れたティーカップが置かれ、冷たい麦茶が注がれる。それをガタガタの椅子に座り飲む。現状の深刻さが伝わってくる。ここに来た理由と、ここに来て起きた事をお爺さんに一通り話した。

「私はノップルと申します。そしてこの子が孫のノッシュ。この度はノッシュを助けて下さりありがとうございます」

「いえ、本当に偶然でしたから。命があって良かったです」

「して、あの子の持つカプセルが皆様のお探しの物という事ですな。ほれノッシュ。それを渡しなさい。助けてもらったお礼じゃ」

「嫌だね」

 ノッシュは頑なに渡すのを拒んだ。しかし、少し間を置いてから彼は質問をしてきた。

「あんた達、強いの?」

「あらん、坊や。強い女性が好みかしらん。言っとくけど、ちょー強いわよん。ここの二人はねん」

「はいはーい!私はちょー強いよ!エリルもね、ちょーちょー強い!」

「だったらさ…あの男を倒してくれよ」

 その言葉を聞くと、急にノップルさんはノッシュの頭を叩いた。

「馬鹿者。人様に迷惑かけるような事を言うんじゃない」

「痛ぇなジジイ。…でも本当に強いんなら、あいつを倒してくれよ。そしたらこのカプセルはやる。だから頼む。このままだと他のみんなも死んじゃうんだよ。あいつを街から消して欲しいんだ」

 ノッシュはテーブルに手をつき、頭を下げた。ただ意地を張っているだけじゃない。恐怖に打ち勝つため、これからの怯える生活から逃れるため、この子も含めて誰もが願う事なのかも知れない。

「ノッシュ君。その約束、必ず守ってね。ノップルさん、美味しい麦茶をありがとうございます」

 エリルは急に席を立ち、屋敷から出て行く。僕達は二人に挨拶をしながら後を追った。

「エリル、どうしたんだよ急に。何か気に触ったの?」

「そうねん。いつものエリルちゃんらしくないわん」

「だねー!エリルなら、なんか計画とかちゃんと立てるかと思ってたー!」

 エリルは麦畑の中で立ち止まり、振り返らずに話し出した。

「あの子の両親ね。たぶん死んでるわ」

「まさか今回の騒動で」

「いえ、違うわ。屋敷の中に古い家族写真が飾られていた。たぶん既にお亡くなりになっていると思う。何でかな、分かってしまったの。あの子を見ていると小さい頃の私と重なって見えた。奪われたものを取り返したいけど、自分ではどうしようも出来ない苛立ち」

 エリルは振り返り悲しい顔を見せた。

「きっとね、あの子はもうこれ以上失いたくないだけなんだと思う。だからさ、救いたくなったの」

 僕にも痛いほど分かる。もうこれ以上失いたくない、という気持ち。それは苛立ちや怒りに変わり、心を蝕んでいく。エリルは記憶のカプセルが欲しい事よりも、ノッシュの心を助けたいんだ。

「分かったよエリル。どっちにしたって四大側近の全員と戦う覚悟でいる。やろう。あの子のためにも」

「はいはーい!私頑張るー!」

「じゃ早速、作戦会議ねん」

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