第18話 あの時の月とは違うけれど

 僕達は少しの時間研究所で休んだ。身体と、心を落ち着かせるために。小一時間経った頃、エリルは立ち上がった。

「よし。もう立ち止まる事は出来ないわ。私はお父さんの意思を引き継ぐ。連中の計画を阻止する」

「ねぇ、エリルちゃん。連中の計画ってどんな事なのん?」

「それがね、私にも分からないの。お父さんの記憶の中は、もう既に対応策を考えてる段階だった。それに記憶自体がちょっとあやふやなの。だから残された記憶を探さなくちゃいけない。どこに隠したかは分かるわ」

「なるほどー!だとしたらそんなに時間も掛からなそうだねー!」

 アイリスが元気に応えるが、エリルは難しい顔をしていた。

「それがね、どうやらそうも行かなそうなの」

「どういう事?」

「実はね、ホヤニス協会は大都市イヤーの壁の内側全部が本拠地なの」

「そんな!だとしたら街の人も全員ホヤニス協会の人間だったのか」

「いいえ。街の人は何も知らずに生活しているわ」

「という事わん」

「大都市の壁は、地下まで続いている。イヤーの土地と全く同じ大きさの地下帝国が存在する。それがホヤニス協会よ」

「えーー!?って事は、この地下はちょー広ーーいって事??」

「そうなの。だから移動するにも一苦労。ただ良かった事は、地下ではほとんどみんな普通に生活している事。地上とほとんど変わらないわ。商店もあればホテルもある。家を買って住んでいる人もいる。太陽の光を取り入れる技術があるから地下でも明るい。白装束と仮面の格好は、地上に出る時や特別な場所、儀式などで着るだけなの。それに人口の七割はホヤニス協会の人間ではないわ。ただ普通に仕事をしている人がほとんどを占めているの」

「驚いた。地下にそんな広い空間があったなんて」

「きっと後から掘ったのでしょうねん。でもそんなの完成するまで何年じゃ済まない話よねん」

「そう。ホヤニス協会は相当昔から存在する」

「だとしたらサントス騎士団長のベイックは、いったい何歳なんだ!?」

「見た目は三十後半ってとこかしらん。だとしたらおかしいわねん。もしかして、二代目なのかしらん」

「そうなの。お父さんはベイックをどうにかしなきゃいけないとも考えていたわ。これも理由はもっと古い記憶にありそうなの。だから全ての記憶を手に入れる事が鍵となるわ」

「なるほど。それが僕達のキーメモリーになるんだね」

「そう。だから散々話した後で申し訳ないんだけど。改めて、一緒に来てくらるかしら」

 僕とアイリスとキャンネルさんは顔を見合わせた。そして三人は笑い出す。

「ちょっと、何で笑うのよ!真剣な話なのよ!」

「あはは。真剣な話だからだよ」

 僕は立ち上がり、手を出した。

「僕は初めからエリルと、ずっと一緒でしょ」

 アイリスも立ち上がり、僕の手に手を重ねた。

「はいはーい!私はエリルが何て言おうと勝手に付いていっちゃうよ!!」

 キャンネルさんも立ち上がり、さらに手を重ねる。

「ここまで来ちゃったんですものん。もう少しお姉さんらしいこと見せなくちゃね」

 エリルは口を手で押さえた。

「嫌だわエリルちゃん。今は押さえるとこ、違うでしょ?」

 はっとしたエリルは、僕達の手に手を重ねた。

「はいはーい!それではー!打倒ホヤニス!オー!」

「オーー!」

 高々と掲げた僕達の拳は、いずれ多くの人を巻き込んでいく。


「はいはーい!私お腹空いちゃったよー!」

「そう言えば全然食べてないよね」

「ねぇエリルちゃん。近くに食堂はないかしらん」

「えっと、この辺りだと。少し進むと麺屋さんがあるわ」

「おー!レッツゴー!」

 研究所から抜け出すと、とても地下とは思えない街並みが広がっていた。天井高くには太陽の映像だろうか、まるで本物の太陽が差し込んでいるようだ。少し違うのは、イヤーのように古い建物はなく、全て近代的で角張った建築物という事だ。とりあえずご飯をいただく。

「ビンの半分ちょうだい!」

「アイリス。まずは自分のから食べなさい」

「だって美味しそうなんだもーん!」

「あらん、エリルちゃん。マヨネーズって麺に合うのかしらん」

「合うわよ。何にでも合う。魚にも肉にもデザートにも、全て美味しくなるわ」

「まぁ意外だわん」

「キャンネルさん、これはもうデフォルトなんで」

「半分食べたよ!交換しよう!」

「あ、早い!僕はまだ全然食べてないよ」

 僕はこの時間が好きだ。みんなそれぞれ勝手なのに、自然と息が合う。さっきまでの事なんて意識していない。いや、意識はしてるんだろうけど、それ以上に今を意識しているんだ。

「この後はどこに向かうの?」

「ここから一番近いのはアンという街ね。そこに一つ記憶カプセルがある。今日はそこに向かいましょう」

「ここにもカプセルショップはある?」

「あるわよ。地図の記憶も必要だし、まずはカプセルショップへ行くのが良いわね」

 すると店主が話しかけてきた。

「おぉ嬢ちゃん達、アンの街に行くのかい?あそこは最近事件があったから気を付けろよい」

「何かあったんですか?」

「そりゃあもうあったさ。何せシナミミ様がお怒りになって、街の半分を壊しちまったらしいんだよ」

「はいはーい!シナミミって誰ですかー?」

「こら嬢ちゃん、様をつけろ様を。何だい。もしかして新人かい?それならここでは四大側近の方々には逆らっちゃいけねぇぜ。いくつ命があっても足りねぇ」

「はいはーい!それなら私が一人」

 僕はすぐにアイリスの口を塞ぐ。こんなとこでお尋ね者になったら洒落にならない。話を誤魔化すためにとりあえず喋る。

「四大側近の方々はどんな人なんですか?」

「おう。そりゃもうとにかく強ぇんだ。この地下帝国を守る四天王みたいなもんさ。それでな、ここだけの話なんだが、それぞれ顔のパーツが足りてないんだよ。目の無いクールビューティのシナメ様。口の無い過激派ボンバーのシナチク様。鼻の無い知的戦略者のシナナハ様。そして噂の耳無しミュージシャンのシナミミ様。俺は断然シナチク様のファンだがな!」

「いやん。お姉さんそのお話を語るあなたにドキドキしちゃったわん。ありがとう。ちゅっ」

 キャンネルさんが投げキッスをすると、店主は嬉しそうにお代をタダにしてくれた。


 僕達はカプセルショップに着き、地図を探す。

「あったわよん、ビンちゃん」

 キャンネルさんが持っていたのは、調教の仕方の記憶だった。

「それじゃないですよ。ナニに使う気ですか」

「はいはーい!これでしょ!」

「アイリス。それはチーズの作り方だよ」

「もう、みんなふざけないで。これよね、ビン」

「それは美味しい調味料の作り方!」

 僕は突っ込みながらも、エリルの態度にほっとした。もっと落ち込んでるんだと思っていたから、こういう輪に入ってくれるのは嬉しい。僕達はもちろん、地図の記憶だけを買った。

「ねービン。私眠くなってきちゃった。もう寝ようよー」

「そうだね。ちゃんと身体を休めてから明日出発しよう。どうだろうエリル?」

「そうね。今日は一旦ホテルに泊まりましょう」


 ホテルに着き、早速地図を取り入れた。

「なるほど。構造的にはイヤーとほぼ同じなんだね。カラーの真下に当たる中心部は今いるブレッド。その周りを四つに区切ったのがアン、クリム、ショク、ジャームの街だ」

「という事は、これから向かうアンは南になるのねん」

 アイリスがすやすやと眠る中、僕達は三人で地図を確認した。そしてそれぞれお風呂に入り、この日はもう眠った。僕以外は。

「不思議だな。地下なのに月があるのか。きっと映像で写してるんだよな」

 懐かしかった。ベランダに出て月を見ていると、あの日の夜を思い出す。…それはエリルも一緒だったようだ。

「いつからいたの?」

「結構前からよ。前にもこんな事あったわね」

「あぁ。位置も一緒だ。でも今日はアイリスは起きて来ないね」

 部屋の中を見ると、アイリスはぐったりとベッドに食い込んでいた。そしてキャンネルさんはベッドの中からこちらを見ていた。目が合うと、指を唇に当てる。しーっと言っているようだ。そのまま布団をかぶって寝た…フリをしてこっちを見ている。

「私ね。今日は本当に心が壊れそうだった。今までの人生で一番辛かったかも知れない」

「分かってるよ」

「うん。一人なら耐えられなかったわ」

 月を見上げるエリルの顔は、あの日と変わっていなかった。唯一変わっていたのは、月ではなく、月より向こうを見ている力強い瞳だった。

「ねぇビン。あの時の声、ビンだったんでしょ?」

「はは。やっぱりお姉ちゃんは凄いな。何でもお見通しだ」

「私ね、いつもあなたを守ろうとしてた。いや、守ってるつもりでいた。でも肝心な時、守ってくれるのはいつもビンだった」

「何言ってるの。いつも守ってもらってるよ」

「そうじゃないのよ。とにかく、私が言いたい事はね…ビンちょっとこっち見て」

 エリルの顔が近付く。シャンプーの香りが僕を落ち着かせる。そして僕の耳たぶを思いっきり引っ張った。

「痛っ!」

 そして耳元で一言囁いた。

「ありがとう」

 僕は耳たぶを揉みながら言った。

「わざわざこんな耳元で言わなくても良いじゃないか」

「だってさ、前に反対側引っ張ったでしょ。だからバランス悪いと思って」

「そうだったっけ?もぉ、そんな理由で引っ張らないでよ」

 エリルはまた月より向こうを見た。

「なんてね。本当は私を引っ張ってくれたお礼よ」

「それって足を引っ張ったって事じゃないよね?」

「馬鹿ね。そういうビンって、本当ビンっぽいわ」

「何だよそれ」

「はい。家族会議はこれでお終い。もう寝ましょう」

「はいはい。おやすみ、エリル」

「おやすみ、ビン」

 月明かりの元、僕達はそれぞれのベッドで眠りについた。

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