第17話 愛してる

「『あいしてる』って、何の事かしらん」

 さっぱり分からない。そもそも分からない事だらけの現状に残されたダイイングメッセージは、さらなる謎を呼んだだけだ。

「はいはーい!指差してたのはこの試験管だよねー?」

 アイリスは早速それらしき物を持って来た。試験管には液体が入っていて、表に7173と書かれている。裏には数字の四が書かれていた。

「何かの番号だよね?何だろう。四番目??」

 キャンネルさんが試験管を受け取りじっと見つめる。ある事に気付いたのだろうか。顔をはっとさせる。

「エリルちゃん。あなたのスペルってどう書くのん?」

「ELILだけど?」

「なるほどねん。これ、エリルちゃんの探し物みたいよん」

 そうか。これは7173ではなく、ELILと書いてあるのか。

「だとしたら誰がこんな物を?」

「分からないわん。とりあえず白衣も調べましょう」

 細切れの白衣を集めたが、特に変わった箇所は見つからない。一体どういう事なのだろう。その時アイリスは、少し燃えた白衣の切れ端を見つけて来た。

「はいはーい!この切れ端、何だか文字みたいなのが書いてるよー!」

「本当だ。だとしたら他のには」

「無いわねん。それだけみたい」

「何故それだけ文字があるのかしら」

「分かんなーい!私今日はひたすら燃やしてただけだもーん!」

 燃やす?そうか!

「炙り出しだよ!」

「なるほどねん。だからアイリスちゃんが戦っていた近くにある切れ端だけ文字がある」

「そういう事ね。それなら他も試してみましょう」

「もー!私にも説明してよー!!」

 アイリスは僕に抱きつきながら置いてけぼりに抗議した。

「アイリス、ちょっとだけ火を出して」

「こう?」

 アイリスの指先が蝋燭のように灯る。その火で白衣の切れ端を一つずつ炙っていく。すると全てに文字が浮かび上がった。

「凄ーい!これ私の魔法?!」

「そうだよ、ありがとう」

 パズルのように白衣を繋ぎ合わせると、ある文が浮かび上がった。


『まずは気付いてくれてありがとう。僕はこれから記憶を失う。奴らに騙された僕の後輩が何かを企んでいるらしい。そうなったら全て悪用されるに決まっている。それ以上に奴に知られてはいけない。だから記憶を抜かれる前に、先に自分で取り出そうとしている。その後はどうなるか分からない。奴らの知りたい内容はおそらくここ二十年の僕の情報だろう。四つに分けて隠すつもりだ。念のためそれぞれをこの広いホヤニス協会の地下帝国に隠す。もしこの白衣の秘密に辿り着く人が聖者であれば、奴の計画を止められるかも知れない。後は頼んだ。一縷の望みにかけて』


「どうやらホヤニス協会は何かとんでもない事を企んでいるみたいねん」

「あぁ。この人はそれを阻止しようとしている。その試験管の中身は恐らく、この人の記憶だと思う」

「そうね。四番目だとしたら、分の内容からするとここ五年の記憶という事になるわね」

「はいはーい!エリル用みたいだし、飲んでみたらー?」

「それはただの偶然だと思うのよね。ビンはどう思う?」

「確かに確実性はないけど、でも何かのヒントになるかも知れないし。エリルが飲みなよ」

 協議の結果エリルは試験管のコルクを開け、中の記憶を飲み込んだ。少しすると、エリルの顔から血の気が引いてくる。瞳孔は動きがおかしくなり、呼吸が浅くなっている。そして震え出して頭を抱え出した。

「マズイ、罠だったのか!?まさか、さっきの人外種かも!」

 僕はエリルに近寄るが、風で飛ばされる。途端に彼女は大声を出し始めた。

「ぁぁぁああああーーーーーーーー!!!!!私がーーーー私がーーー!!」

 部屋中に風が吹き荒れ、三人とも壁まで飛ばされてしまう。

「あああーーーーー!私がーーー!私が殺したーーーーーーー!!この手でぇーーーーーー!私がーーーーーー!!!!!」

 風の刃が部屋中に撒き散らされる。機材は全てシャットアウトされる。周りが見えていない。このままでは僕達の命も危ない。

「二人ともこっちへ!」

 即座にアイリスが炎の壁で守ってくれた。しかしこのままでは部屋が崩れてしまう。

「どうしよう!このままずっとは持たないよ!」

 どうしたら良いのか分からない。エリルはどうしてしまったのか。

「ねぇビンちゃん。さっきエリルちゃん、私が殺したって言ってなかったかしらん」

「確かにそう聞こえました。どういう事でしょうか」

 キャンネルさんは答え辛そうに口を開いた。

「もしかしたらなんだけどねん。そうだとは信じたくないんだけど…さっきのフラグレンスがエリルちゃんのお父さんだったかも知れない」

「何ですって!」

「整理してみたのん。私達フラグレンスの事で名前がごっちゃになっていたけど、エビン・フラグレンスはエリルのお父さんでしょ?」

「そうです」

「もしあの白衣の文字を書いたのがエビンさんだとしたら。そしてもし記憶を消された後、その後輩、つまりさっきまで目の前にいたフラグレンスが記憶だけ移植してエビン・フラグレンスとして振る舞っていたとしたら」

「そういう事か。そうだ、十分にあり得る」

「ちょっとビン!話終わったー?!もうそろそろ限界くるよ!」

「ごめん、アイリス。もう少しだけ!今何か出来ないか探している!」

「もしそうだとしたらねん。今あの子の心の傷は深いなんてものじゃないわよん。父を殺されたという乾いていない傷口を、自らの手で父を殺したという事実で抉られているのん。そんなの心が壊れてもおかしくない。もし少しでも救える可能性があるのなら…それはきっと、あなたの言葉だけよん」

 僕は考えた。エリルにかける言葉を、どうしたら救ってあげられるのかを。

「ビン!《癒しの眼差し》は駄目かな?心の癒しにも使えるんでしょ!?」

「そうか!」

 僕は炎の壁から飛び出した。

「ビン!危ないよ!」

 確かに危ない。身体は風で切り刻まれるし、何より激痛が走る。でもエリルの心の中は、こんな痛みじゃないはずだ。泣き叫ぶエリルに向かって《癒しの眼差し》を向けた。しかし僕はすぐに風で吹き飛ばされた。

「ビン!」

 アイリスの《ドッペルゲンガー》が僕を炎の内側へと移動させる。身体はもうボロボロだった。

「打つ手はないのかしらん。どうにか心の中に入り込めれば良いのだけど」

 心の中…それならもしかしたら。僕は立ち上がろうとするが、足を切られたようで立てなかった。

「ビン!まずは自分を治療しないと!」

「大丈夫だ。今しかないんだ。信じて欲しい」

 ここを逃したらエリルの心はもう戻って来れない。試した事はないかど、やるしかない。《千里眼》と《癒しの眼差し》と《解錠の理》全てを使って、エリルの心を救うんだ。


 僕は目を閉じた。《千里眼》でエリルの近くへ行く。そして『転送』の要領で僕自身の意識を送り込んだ。光が突然闇へと変わる。そこにはたくさんのエリルが浮かんでいた。荒れ狂うエリル、泣くエリル、叫ぶエリル、自分を責めるエリル。ここはエリルの心の中だろうか。だとしたらここまでは成功だ。いたたまれない姿のエリルを横目に奥へ進むと、そこには大きな扉があった。それは鎖とたくさんの鍵で強固に塞がれている。

 その鍵に触れると、激痛が走った。《解錠の理》を使うと、少し鎖が緩む。しかしその度に激痛が走る。頭が割れそうだ。息が苦しい。でも力を緩めている暇なんてない。僕がどうなっても良い。エリルを救いたいんだ。手から血が滲んで来た。イメージの世界のはずなのに、まるでそこで生きているかのような錯覚に陥る。きっと心と身体は繋がっているんだ。だから今、戦っているのは僕じゃない。エリルなんだ。

 鎖が緩みきり、鍵が開いた。扉を開けるとそこには、子供の姿のエリルが、膝を抱えて俯いていた。僕が手を伸ばそうとすると、エリルは手で跳ね除けた。

「あっち行って。一人にして」

 その小さな身体には、たくさんの傷痕があった。誰だって心の中は気付いているんだ。知らず知らずの間に、本人がどれだけ平静を装っていても、小さな小さな自分は、いつだって苦しんでいるんだ。僕は嫌がるエリルを無理矢理抱き抱えた。

「安心して。助けに来たよ」

 震えたエリルの身体はまだ少し暖かかった。彼女は寂しそうに呟くが、もう泣いてはいなかった。その代わり、とてもとても悲しそうだった。

「ねぇ、私このままいなくなっちゃうのかな」

「大丈夫だよ。君は君だよ。これからもずっと」

 僕は《癒しの眼差し》を使おうとした。でも使う気になれなかった。今僕に出来る事は、もっと他にあると思った。何て声をかけたら良いか頭では分からなかったが、口はもうとっくに動いていた。

「愛してるよ、エリル」

 自然と口にした言葉は僕自身驚いた。そして僕の胸にエリルの涙が落ちると、淡い光に包まれた。

「私もだよ。また昔みたいに一緒に遊ぼうね」


 次の瞬間、眩い光が目の前を照らす。そして目を開けると、目の前にはキャンネルさんがいた。

「大丈夫?うなされていたわよん」

 僕は起き上がり辺りを見渡す。

「エリルは!エリルはどうなったんですか?!」

 キャンネルさんが指差した方向には、倒れたエリルに付き添うアイリスがいた。

「エリル!」

「大丈夫だよ、ビン。ただ眠っているだけ。ほら見て。凄い幸せそうな顔してるよ」

 良かった。助かったんだ。

「アイリス、ありがとう。本当に助かったよ。怪我はない?」

「もー。…私の事は今は良いの!今はエリルと一緒にいてあげて!」

 アイリスはキャンネルさんの方へ走っていった。そして数分後、エリルはゆっくりと目を覚ました。

「ん。あれ。私は何で倒れてるのかしら」

 アイリスは思いっきりエリルに抱きつく。

「わー!エリルが戻ったよー!私ちょー怖かったー!」

「そうだわ、私。お父さんの記憶を取り戻したの」

 僕は身構える。また暴れだしてしまうのではないかと警戒した。するとエリルは優しく微笑んだ。

「大丈夫よ。もう暴れたりしないわ」

「覚えてたの?」

「何となく、薄らとね。自分ではどうする事も出来なかったの。感情というか、何かが抑えられなくなっちゃって。自分がいなくなりそうになった。でもね。心の中で声が聞こえたの。その声はとても懐かしくて、知ってるようで知らないような声。何を言われたか覚えてないけど、きっとその声が助けてくれたのよ」

 僕は泣き出しそうになるのを堪えた。これで良いんだ。エリルが帰って来たから。

「エリルちゃん、大丈夫?」

「キャンネル。心配かけてごめんね。大丈夫よ」

 キャンネルは言い辛そうに話しかけようとするが、何を言いたいか察知したエリルは笑顔で答えた。

「そうね。私この手でお父さんを殺しちゃった。でもね、もう良いの。もちろんホヤニス協会にはきっちりお返しするわ。でも復讐のためじゃない」

 エリルはボロボロになった天井を見つめた。涙は見せないつもりなのだろうが、その意思とは裏腹に、大粒の涙は止まる事はなかった。

「五年前までのお父さんの記憶が今私の中にあるの。お父さんはたくさんの人を救うために、ホヤニス協会の計画を阻止すべく動いていたわ。だからそれを引き継ぎたい。でも今はね、違うの。お父さんってこんな顔だったんだって、こんな風に笑うんだって。好きな食べ物とか、好きな色とか、好きな歌とか。全部全部知らなかった。それを少しでも知れた事が、嬉しくてしょうがないの」

 アイリスもキャンネルさんも泣いているのを見て、僕はもう我慢出来なくなった。頬が涙で熱くなる。

「私ね。お父さんが大好きだったと思うの。だから記憶を無くした後もこんなに追えたんだと思う。ずっとずっと好きだった。記憶に無くてもきっと、心の中には残っていたんだと思う。本当はたくさん愛してもらいたかった。一緒にご飯食べたり、一緒にお風呂入ったり、たまに喧嘩したり、ちょっと怒られたり。そんな日常がただただ欲しかった。でもね、もう良いの。私はきっと、あなた達に出会うために産まれて来たんだから。だからさ、みんなもう泣かないでよ。私なら大丈夫。お父さんとのこれからはもう無くなっちゃったけど、お父さんの今までがある。もうずっと忘れないから」

 エリルは涙を拭い、精一杯笑ってみせた。でも僕達三人はしばらく泣き止む事は出来なかった。そんな中、エリルは倒れた狼のところまで歩いていった。そして手を合わせ、深く深くお辞儀をした。僕は声をかける事が出来なかった。震える背中から聞こえたんだ。「私も愛してるよ、お父さん」って。

 彼女がひっそりと流した涙は、『あいしてる』の文字を暖かく濡らしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る