第16話 試練と家族

 またもや人の気配がしなくなる。歩けど歩けど一人も出て来ない。いくつかのロックシステムを解錠しながら進む。しばらくするとまた大きな扉が現れた。扉を開けると中は研究所のようだった。立ち並ぶ機材、溢れる試験管、独特の科学臭。そしてそこには白衣を着た男と、拘束されたエリルがいた。

「エリル!」

「駄目。来、ちゃ、駄目」

「ようこそ我が研究所へ。私はフラグレンス。皆様お揃いのようで、何とも微笑ましい」

 嘲笑うかのように佇む白衣の男は、一歩ずつこちらに歩み寄る。その足音だけが研究所内を響き渡った。何故こいつがエリルの名前を語るんだ。僕は怒りを込めて言い放つ。

「お前はエリルと何の関係があるんだ」

「このお嬢さんと私が同じ名前という事がかね?だとしたらとても残念なお知らせになる。そこのお嬢さんの父親を殺したのは私だからね」

 エリルの目は見開いたまま動かない。そしてその目から涙が溢れた。それと共に拳を握り潰す。その手は怒りで満ち溢れていた。突然の告白に対する混乱と、何も出来ない悔しさが滲み合う。

「かつてここで研究員として働いていたエビン・フラグレンス。私はその男の元で働いていた。しかし私には野望があった。このホヤニス協会を纏める当主になりたいと。しかし奴は邪魔な存在だった。私は四大側近と裏で手を組み、彼を殺した。そして何事もなかったかのように、私が現フラグレンスとして振る舞っているのだよ。これは出世の第一歩なのさ」

「ふざけるな!何でそんな理由で殺されなきゃいけないんだ。何でお前らはそんなに身勝手なんだ」

「おやおや、こんな事なんて日常茶飯事ですよ。特に裏の世界なんてそんなもの」

「ふざけるな。ふざけるな!今お前をここで殺してやる!」

 荒ぶる僕の手をキャンネルさんが押さえる。

「ビンちゃん。まずはエリルちゃんが優先よん。あの子の気持ち、忘れないで」

 僕は怒りを押し込めて拘束を解きに向かった。しかしそう簡単にはさせてくれなかった。フラグレンス卿の後ろに、いつの間にか白装束の人影があったのだ。

「お待ちなさい」

 女性の声だった。仮面は付けておらず、そこには目だけがない整った顔立ちがあった。

「あー!あの人、私達を襲った目のない人だよ!」

「やっと見つけたわよ。《火の踊り子》さん。私は四大側近の一人、シナメと言います。でも今はそれどころじゃないの。こんな素晴らしいシチュエーションに出会えるなんて、嬉しさで震えが止まらないわ!」

 シナメは高らかに笑い声を上げる。その声は狂気に満ち溢れていた。

「今から最高のショーが始まるの。もう待ちきれない。我慢出来ない。早くあなた達の泣き叫ぶ顔を見せてちょうだい!」

「ねぇキャンネル。あの人頭おかしいよ!何言ってるの?」

 シナメは服の中から注射器を取り出した。そしてその針をフラグレンスに刺した。

「貴様、何をしている!」

「フラグレンス様、いえ。フラグレンス。あなたは今からこのショーに欠かせないのよ」

「貴様、裏切、った、のか」

 フラグレンスが苦しみだすと、身体から煙が上がると同時に皮膚から毛が生えてきた。身体は二倍ほど大きくなり、牙が形成され、尻尾が生える。まるで狼が立っているかのようなシルエットになった。

「ホヤニス協会の新薬〈人外種〉の記憶よ。もう彼は理性では動かない。怖いもののない獣に勝てるかしら。私を楽しませてね」

 そう言い残して、シナメは黒い円の中に消えていった。


「ぐぁぁぁああああーー!!」

 獣の唸り声が研究所を圧迫する。もう見た目は完全に人ではなくなっていた。

「人外種なんて聞いた事ないわよん。でも、とにかくまずはエリルちゃんの解放を!」

「分かった」

 僕がエリルの方へ走った瞬間、物凄い速さでフラグレンスが襲って来た。その間にアイリスが追いつく。

「『絶壁』!」

 青い炎が巨大な壁になる。しかしその壁を突き破りアイリスの腕に爪痕が付く。

「アイリス!」

「私は良いから!早くエリルを!!」

 僕は今のうちにエリルの拘束を解錠しようとした。だが《解錠の理》を使っても拘束が外れない。

「駄目だ、外れない」

「メモライザーの力を無効化する力ね。厄介だわ」

「『影武者』!!」

 フラグレンスの背中が赤い炎で燃え上がる。痛みを感じていないのだろう。お構い無しに青い壁を突き破りアイリスに攻撃してくる。

「こいつ、全然効いてないよ!」

 いや、効いてはいる。ただひたすら、それこそ狂った獣のように獲物だけを狙い続けるようになってしまったんだ。命さえも犠牲にして。

「これじゃただの殺戮兵器じゃないか」

 こいつらは人の命を何だと思ってるんだ。人の気持ちを何だと思ってるんだ。許せない。許してはいけないんだ。

「『炎草』!!」

 アイリスの炎がフラグレンスの足元に草のように生えた。そして両足をどんどん炎の草で覆っていく。フラグレンスは身動きが取れなくなった。

「何とか足止め出来たけど、このままじゃすぐ動いちゃうよ!エリルは何とかならないの!?」

「ビン。聞いて」

 その時、力ないエリルの声が聞こえた。

「これはメモライザーの力では開けられない拘束。でも物理的に強い衝撃を与えれば壊れるはず。だからあの狼の一撃を私に打ち込ませて」

「そんな事したらエリルが死んじゃうよ!」

「大丈夫よ。私を誰だと思ってるの。あなたのお姉さんよ」

 無理をして微笑むエリルには、少しの自信と、たくさんの憎悪が感じられた。

「分かった。信じるよ。アイリス!フラグレンスをここに誘導して!」

「ビン?本当に良いの?」

「あぁ、頼む」

 アイリスと僕はエリルの側に付く。そしてアイリスは炎の草を消した。その瞬間フラグレンスは僕達目掛けて走り出し、容赦なく拳を振り下ろす。

「今だ!」

 僕とアイリスは散り散りに飛び退く。狼の一撃は拘束具の周りを爆音で包み、埃煙を上げた。そして煙の中から大きな身体が飛んでいき、そのまま壁に張り付く。

「エリル!」

 埃煙が消えゆく中に立っていたのは、今までに見た事のない顔のエリルだった。

「エリ…ル?」

 彼女は壁に張り付くフラグレンスに向かって風の刃を打ち付けた。そして瞬時に近寄り、重い突きを何発も打ち込む。それは普段のエリルのしなやかな動きとはまるで別物の、不良の喧嘩のような動きだった。

「お前が。お前が。お前が」

 さっきまで場を圧倒していた獣は、ライオンの前に現れたリスのように見えた。ただただ一方的な暴虐だ。

「お前が、お前さえいなければ!お父さんは、お父さんは!!」

 壁に張り付いた狼は、既にぴくりとも動かない。もう息はしていない。それでもエリルは殴り続けた。

「お前が、お前が!返してよ。返してよ。返してよ!」

 僕はエリルにゆっくりと近付いた。もう見ていられなかった。キャンネルさんもアイリスも、目を逸らすしかない。僕はエリルを後ろから抱きしめた。でも攻撃の手は緩めず、ただひたすら殴る。

「エリル。もう大丈夫だよ」

 エリルは泣き出した。それでも殴り続ける。

 僕はこの気持ちを知っている。初めてエリルにあった日、僕はヨンスを失った。どうして良いか分からなかった。思いの捌け口が見つからないんだ。どうしたって戻ってこないのは知っている。でも、それでも身体が言う事を聞かないんだよね?僕は強く強くエリルを抱きしめた。

「エリル。僕がいるよ。あの日約束したでしょ。僕の家族になってくれるって」

 エリルの力が弱まる。それでもまだ打ち続ける。手は血だらけになり、骨の軋む音が伝わる。どんなに頑張っても、人の命は、失くした記憶は戻って来ない。だから僕達は、今を大切にしなくちゃいけないんだ。未来の僕達が、一緒の記憶を語り合うために。

「エリル。進もう。もう逃げなくて良いんだよ。僕達がいるから。僕がいるから」

 エリルは腕を棒のように垂らした。そして泣いた。ただひたすら大声で泣いた。今だけは僕は、お兄ちゃんになるんだ。

「ずっと一人で辛かったね。もう大丈夫だよ。その悲しみを、僕にも分けて」


 しばらくエリルは泣き止まなかった。まるで子供の様に、ただただ泣きじゃくっていた。


 ようやく落ち着いたエリルは小さく声を漏らした。

「ビン。アイリス。キャンネル。ありがとう。私はあなた達に出会えて良かった。もし一人なら、今だって自分がどうしていたか分からない」

 キャンネルさんはエリルの顔を胸に寄せた。そして頭を撫でる。

「お疲れ様。あなたは強いわん。でもそれと同じくらい弱い。これからはあまり抱え込まないでね」

「あー!ずるーい!私も撫で撫でするのー!」

 アイリスも頭を撫でる。そしてエリルは二人を抱き寄せ、ありがとうと何度も呟き、涙を拭った。

 その時、壁に張り付いたフラグレンスが動いた。壁から抜け落ち、膝を付く。そしてこちらに向かって吠える。

「まだ生きていたのか」

 エリルはまた獣の前に立つ。

「エリル!」

 僕の声に振り返るエリルは、誇らしい笑顔を見せた。

「もう大丈夫よ。あなた達がいるから」

 そうして最後の攻撃を仕掛けようとした時、僕は異変に気付いた。

「待ってエリル、何か変だ」

 フラグレンスの右手が自身の顔を殴っていた。そしてそれを止めようとする左手を払い、握り潰した。

「何をしているんだ」

 右手はゆっくりと研究所の機材近くの試験管を指差した。その後床に落ちている千切れた白衣を指差し、右手は電池が切れたように動かなくなった。そしてエリルは構えを取り、風を纏った。

「前へ進みましょう」

 風が空を切り、フラグレンスの頭と身体は離れ離れになる。身体は倒れるが、右手の指がまだ動いている。どれだけの生命力なんだろうか。その爪が最後の力を振り絞って、床に文字を掘っている。『あいしてる』と。そして今度こそ完全に動かなくなった。

 床に残されたこの五文字が、僕達を真実の物語へ導いていく事を知ったのは、少し後の事だった。

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