第5話

 学校のシステムなどの詳しいことは分からない。分からないが、教師という立場と親という立場を分けて考えることは難しいような気がする。親は自分の子が一番可愛いのであって、公平な目を生徒に配れなくなってしまう。だから、自分の子が生徒になるようなことがないように、システムが整備されているのであろう。しかし、そのシステムには大きな欠陥があり、離婚が成立して親権を持たなかったほうには適用されないらしい。この欠陥こそが、沙織を苦しめることになったのか。いや、糸井先生までをも苦しめたのだ。


 人間というものは誰しもが、常に公平な目で他人を見ているわけではない。だが、教師という立場はあくまでも公平でなければならない。もちろん、その根底的な部分を守れていない残念な教師もいるのだが、糸井先生の場合はそれに対して必要以上に意固地いこじになってしまったのだろう。


 戸籍は別になっても、自分のお腹を痛めて産んだ娘が、自分の受け持ったクラスにいる。親心は胸の奥に押し込んで、他の生徒と同じように公平に接しようとした。その考え方が強すぎて、糸井先生は必要以上に沙織に対して教師のスタンスを取ってしまった。なんたる皮肉な話なのだろうか。


「自分の娘が何者かに乱暴され、そして妊娠したとなれば心配しない親はいない。恐らく、さおりんもそんなことを考えて、貴方を試す意味で例の動画と一緒にメールを送ったんだ。やり方は褒められたものじゃないけど、貴方から返ってきた反応は、さおりんが期待したものではなかった――。その結果、さおりんは衝動的に……」


「嘘よっ! そんなことがあるはずない!」


 葛西の言葉に、頭を抱えた糸井先生がヒステリックな金切り声を上げた。その反応に佳代子がびくりと体を震わせる。触れてはならないところに触れてしまった――。江崎は直感的にそう思った。しかさ、葛西は止めない。先生の反応にも動じずに、淡々と続ける。


「糸井先生、あくまでも俺は可能性の話をしている。言ってしまえば俺の想像の中の話でしかないよ。反論は後で幾らでも受け付ける。今は話を聞いて欲しい」


 糸井先生とは対照的に、言葉を進めるたびに冷静な口調になる葛西。もしかすると、あえて感情的にならないようにしているのかもしれない。幼馴染の死と、クラスメイトの死――。デリケートな問題を扱っているがゆえに、感情的になるべきではないと考えているのかもしれない。


「た、確かにメールは沙織から届いてた。動画も一緒に添付されてたわ。でも、それに気付いたのは翌日の朝だったのよ! だから……だから」


 糸井先生は感情を抑えきれないと言った様子で、やや過呼吸気味になっているようだった。可能性であっても、実の母親にとっては辛い推測だ。自分の行動が娘を死に追いやり、そして殺してしまったなどとは、誰だって思いたくない。想像であったとしても、本人を前にして話していいものではなかった。それでも、葛西は淡々と続ける。


「――認めるんだね? さおりんから例の動画が届いていたこと。そして、俺達にはメールが届いていないと嘘をついていたこと」


 ふと、葛西の足元に視線をやると、小刻みに震えているように見えた。恐らく、葛西だってこんな話をおばさんにしたくはないのだ。しかし、誰かがやらねばならない。誰かが悪者にならねばならない。それが、命を絶ってしまった沙織に対する弔いといわんばかりに、葛西もまた懸命に耐えているのだろう。江崎には絶対に真似できないことだ。糸井先生は再び黙り込んでしまった。


「貴方はさおりんからのメールをそのままの意味で受け取った。そして、さおりんが命を絶ったのは、何者かに乱暴をされたからだと思い込んだんだ。だからこそ、お悔やみ様は生まれた。さおりんを乱暴した犯人を探し出すために――そのとっかかりを掴むために、貴方はお悔やみ様になったんだ」


 葛西の口から飛び出した糸井先生の動機。それは、悲しきことに娘の死を追求しようとしたゆえの結果だったのである。だが、ここで疑問がひとつ浮かび上がった江崎は、それを口にした。


「待った。あの動画を撮影したのは平沢だったけど、それが分かったのは、俺達がイエローヘッズのことを調べたからだろう? 先生はさおりんが襲われたものだと思い込んでいたわけだから、動画を撮影した人物が誰なのかも、ましてやそれが俺達のクラスメイトの中にいることだって知らなかったはず。でも、どうしてうちのクラスメイトにピンポイントでメールを送ったんだ? さおりんのことを乱暴した人物が、クラスメイトの中にいるとは限らないのに」


 糸井先生の目的地は、沙織を乱暴した犯人を見つけ出すことだった。だが、沙織を乱暴した人物がクラスメイトの中にいると断定できる材料はなかったはず。先生の動機が犯人探しであるということは理解できるが、クラスメイトの中に犯人を絞り込んだ理由が分からない。


「俺達にメールを送ったのは、あくまでもとっかかりさ。こんな田舎だから、俺達のクラスにお悔やみ様からのメールが届けば、方々に噂が拡散する。俺達のクラスにいるのは地元の人間ばかりじゃないからね。噂が広まれば、さおりんを乱暴した本人の耳にまで届くかもしれない。そして、本人に罪の意識が少しでもあれば……自分のやってしまったことによって、一人の女性が死んでしまったとなれば、自ら出頭してくれるかもしれない。先生はそう考えたんだ」


 悪い言い方をすれば、江崎達は糸井先生に利用されてしまったということか。沙織の死を起点にして、まるで何者かの意思であるかのごとく起きてしまった野球部の事故――。そこに糸井先生が便乗しない理由などなかった。


「きっと、お悔やみ様という伝承になぞらえてメールが送られてきたのは、さおりんを乱暴した人間の恐怖心をあおる目的があったんだと思う。単純に噂が拡散するだけでは、さおりんを乱暴した犯人を追い詰めることはできない。けれども、そこにお悔やみ様というスパイスを加えることで、得体の知れない――それこそ非科学的な存在を演出することができる。言ってしまえば、先生はお悔やみ様までをも利用したのさ」


 沙織は母親の愛情を確かめるために、ありもしなかった事件をでっち上げた。彼女本人は、このでっち上げの事件を拡散するつもりはなく、母親に送るためだけにでっち上げた。しかし、母親からの反応がないことに衝動的な自殺に走ってしまい、命を落としてしまった。


 一方、母親は何者かに乱暴されたがゆえに沙織が命を絶ったものだと思い込んでしまった。そして、偶然にも野球部の事故が起きてしまったことにより、お悔やみ様の名前を使って犯人を探し出すことを思い付いてしまった。


 ――つくづく不器用だなと思う。回りくどい方法で母親の愛情を確かめようとした沙織。そして半ば逆恨みでお悔やみ様を演じた先生。どちらも不器用で、ほんの少しのすれ違いから、こんな大きな事件が起きてしまったのである。


「言っておくけど、ここまでは俺の想像に過ぎない。実際はどうだったのか――それは本人の口から聞きたいんだけど、話して貰えないだろうか? 糸井先生、この通りだ」


 想像だけでもの言うことに、葛西もとうとう限界へと達したようだった。糸井先生に向かって頭を深々と下げる。


 またしても静寂が訪れたが、その中で糸井先生は静かに頷いたのであった。


 ――事件の全貌がいよいよ明かされる。

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