第4話

 葛西が静かにそう言い放つと、糸井先生は鼻をすすり出した。そこには、お悔やみ様などという恐ろしい存在ではなく、ただ娘を亡くした母親がいただけだった。その姿は同情すらしてしまいそうなくらい小さく見えた。


 静寂の中には、糸井先生がすすり泣く音だけが漂っていた。静けさという擬音ばかりがまとわりつく。葛西、江崎、佳代子の三人が、幼馴染の死の真相を追いかけた結果、たどり着いてしまった結論は、あまりにも酷なものだった。葛西だってこんなことを話したくはなかったのであろう。だからこそ、学校で真相に気付いてしまった時、葛西の様子がおかしかったのだ。


 誰も口を開かない。糸井先生はすすり泣くだけであるし、江崎達は糸井先生の言葉を待つだけだ。まるでこの場所だけ時間が止まってしまったかのように、永遠とも思える時間にたゆたう。


「話してくれないと言うなら、ここからは俺の推測を話すよ。さおりんの死に関することだから、推測だけで話したくはないけど、俺なりに考えた末に行き着いた結論だ」


 結局、その静寂を破ったのは、糸井先生ではなく葛西であった。お悔やみ様の正体が糸井先生だったとして、けれども沙織が自ら命を絶ってしまった根本的な原因は分からない。もう沙織は死んでしまったのだから、本人の口から真相を聞き出すことも叶わない。せめて遺書でも残してくれれば――と、いまさら思ったところで無い物ねだりというものだ。


「俺達は気付けなかったけど、両親の離婚はさおりんの心に大きな傷を残していたんじゃないかな――。特に、俺達三人の両親は互いに親交があって、当然ながら先生の離婚が成立した後も、その親交は続いた。もちろん、全員で集まる時は、そこにさおりんも加わってたんだ。そう、さおりんだけ両親がいないという状態でね」


 葛西の言葉に、記憶が数年前へとさかのぼり、そして今この時に向かって逆行を始める。夏休みになると毎年のように行っていた、砂浜でのバーベキュー。それぞれの誕生会やクリスマスパーティー。正月に盆など、江崎達はことあるごとに家族単位で集まって行事を開いてきた。離婚が成立する前までは、そこに糸井先生も加わっていたわけだ。


 だが、離婚が成立し、そして父親に捨てられてしまってからは、常に沙織は一人だった。それぞれの家族単位で集まる時は、いつも一人だったのだ。両親が離婚したからといって、沙織までのけ者にする理由はないし、相も変わらず幼馴染同士は仲が良かったから、当然のように沙織も輪に加わっていたのであるが、よくよく考えると、彼女に対して酷いことをしてしまったような気もする。


 幼馴染達には親がいる――。父親と母親を一度に失ってしまった沙織には、眩しすぎる光景だったのかもしれない。それこそ江崎は母親を早いうちに亡くしたが、けれども父親がいて、自慢ではないが親子仲は良い。本気で殴り合いの喧嘩をすることもあるが、父が自分のことを大切にしてくれていることは、言葉にされなくとも分かる。


 これまで通りと変わらずに、何かがある度に輪に加わることになった沙織は、口にはしなかったものの孤独感を抱いていたのかもしれない。もちろん、それぞれの親は自分の子供以外にも平等に接していたのであろうが、その優しさが逆に沙織の心へと影を落としていたのかもしれない。時として優しさは、冷たさよりも痛い。


「きっと、どこかで寂しかったんだと思う。学校では担任の教師として毎日会っていたかもしれないけど、自分の娘だからって、先生も他の生徒と分けて接することなんてできない。全く会えないなら会えないで踏ん切りがつくのかもしれないけど、親としてではなくて、担任として学校で会わなければならないというのも、さおりんにとっては負担だったのかもしれない」


 葛西が言いたいことは分かる。分かるのだが、それがどうして沙織の死に結び付くのだろうか。他人の気持ちを汲んでやることが苦手な江崎には分からなかった。佳代子はある程度の察しがついたのか、葛西の言葉に相槌を打つかのように頷いている。推測でしかないという葛西の言葉を、糸井先生はどんな気持ちで聞いているのか――。


「ある時、さおりんはふと思い立った。毎日学校では会っているものの、教師としてしか接してこない貴方を試そうと……。何かのっぴきならないことをして、それに対して貴方がどんな反応をするのか見たくなったんだ。きっと、思い詰めたようなものではなくて、その場の思い付きのようなもの。でも、さおりんは母親から愛されているかを確認したかった」


 生前、毎日のように一緒にいた沙織ではあるが、正直なところそのような雰囲気は一切なかった。いつも明るくて気丈な印象しか残っていない。しかし、幼馴染と言えども24時間常に一緒にいるわけではないし、当たり前ながら、それぞれのプライベートというものもある。沙織が一人の時に思い詰めていたって、江崎には気付けなかったことであろう。


「だからこそ、さおりんは例の動画を撮影しようと考えついた――。俺の希望的観測が強いかもしれないけど、そう思いたい」


 あくまでも葛西の推測。そこに証拠や根拠なんてものはないのだろうが、のこされてしまった幼馴染が強く願う希望的観測だった。こうであったらいい――。その程度の推測なのかもしれない。


「おばさんのところにメールが届いていたって言ったよね? 内容は、さおりんが妊娠したかもしれないというものだった。実はあれに、さおりんが襲われているように見える動画も添付されていたんじゃないかな? わざわざあれをさおりんが作成して、おばさんに送った理由は恐らく――」


「ど、どういうことなの? 沙織は誰かに襲われたんじゃないの?」


 葛西の言葉を遮って、糸井先生が声を震わせた。あの動画が沙織の手によって作成されたことは、江崎達が足で稼いで暴き出した事実だ。糸井先生は、あれが作り物であることを知らなかったのであろう。


「実はそうなんだ。あれは、さおりん自らが自分の意思で撮影させた動画だよ。これに関しては裏付けもとれている。では、どうしてさおりんは、あの動画を作成したのか――。そして、どうしてそれを貴方に送り付けたのか。それは……」


 葛西は小さく溜め息を漏らした。そして、江崎、佳代子と順に視線を動かし、最終的に糸井先生へと戻すと呟いた。


「愛情を確かめたかったんじゃないだろうか? 貴方の娘に対する愛情をね」


 なんとなくであるが、真相が見えてきたような気がした。沙織があんな動画を作った理由と、そして糸井先生が今回の一連の事件を引き起こした動機も。糸井先生は驚いたかのように目を見開く。


「正直、俺達の担任が決まった時、貴方だって戸惑ったはずだ。なんせ、実の娘がいるクラスだから――。ずっと離れて暮らしているし、離婚したことによってさおりんに惨めな思いをさせたという後ろめたさもあったと思う。だから、貴方は必要以上に教師であり続けた。必要以上に担任としてさおりんに接した。それが、さおりんを傷付けていることも知らずにね」


 当然ながら、江崎もまた担任が糸井先生であったことには驚いた。元より沙織の母親が教師であることは知っていたが、まさか自分達の担任になるなどとは思ってもみなかったのである。


「普通、学校のシステム上で、親が自分の子の担任を受け持つことはないようになっている。公平性が保てないからね――。でも、すでに離婚が成立して別姓となっていれば話は別だと思う。もちろん配慮されるべき問題ではあるけどね。でも、先生が俺達のクラスの担任になってしまったという偶然のいたずらが、さおりんを追い詰めてしまったのかもしれない」

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