第6章 お悔やみ様の正体 第1話

【1】


 しばらくぶりに鳴り響いた目覚まし時計の音に、寝ぼけた頭で手を伸ばす。左右に手を振って目覚まし時計を手探りで見つけると、アラームを止めると同時にむくりと起き上がった。台所のほうからは平日の慌ただしさが漂ってくる。


 そうか、今日から学校か――。土曜日の疲れもあったせいか、日曜日は本当にだらだらと過ごしてしまった。そのせいか夜更かしをしてしまい、今日は随分と眠たい。しかし、久方ぶりの学校であるし、例の事件……特に遼子の事件に関して何かしらの進展があると思われる。少なくとも、全校集会で校長が話題に触れるであろう。


 佳代子はベッドから降りると、学校に行く準備を始める。とりあえず寝汗がひどかったから、真っ先にシャワーを浴びた。からすの行水と言わんばかりに、本当にさっとシャワーを浴びると、制服に着替えて髪の毛を乾かす。朝食を食べる時間を考えていなかったせいで、化粧を終えた頃には家を出なければならない時間になっていた。


「かぁこ、何も食わないのは体に悪いから、こいつをかじりながら行けよ」


 台所を素通りして下に降りると、店の準備をしていた父が気を利かせたつもりだったのであろう。鉄板で焼いたばかりのお好み焼きを、紙袋に包んで手渡してくれた。しかも、ソースとマヨネーズがべったりと絡みつき、かつお節と青のりも盛り沢山のやつをだ。


「あはは……ありがとう」


 学校に遅れそうになった女子がくわえるのは、トーストであると相場が決まっている。そして、両者の前方不注意により、直角に近い視界の悪い曲がり角で、転校生の男の子と出会い頭の衝突事故を起こすのだ。転校生の話はフィクションだとしても、お好み焼きは無い。せめてトーストにして欲しいところであるが、断れない佳代子はありがたくそれを受け取った。


 仕方なくお好み焼きをかじりながら、いつもの場所まで向かう。先に来ていた葛西と江崎が待っていた。佳代子の姿を見るなり江崎が噴き出す。


「かぁこ、なんで朝っぱらからお好み焼きなんだ? せいぜいトーストくらいにしとけよ」


「あはは……お父さんが持って行けって」


 自分が心の中で思ったことと同じ突っ込みかたをされた佳代子は笑うしかなかった。世の中のどこを探しても、お好み焼きをくわえて学校に向かう女子などいないだろう。


「いいじゃないか。俺なんて母さんが今日から学校なのを忘れていて、朝食を食いそびれたからな」


 葛西が言うと、江崎が「飯を作って貰おうなんて思ってるから食いそびれんだよ」と茶化した。父親と二人で暮らしている江崎は、セルフサービスが当たり前になっているのだろう。


「もし良かったら、たっちんも半分食べる? 朝からお好み焼き丸々一枚はちょっとね――」


 起きがけに、油をふんだんに使って焼いたお好み焼きは些かへヴィーである。それに、どう考えたって学校に到着するまで食べきれる気がしない。そうと言って、せっかく作って貰ったものだから捨てるわけにもいかないし、正直なところどうしようかと思っていたところだ。佳代子は葛西の返事も聞かずに、包み紙の上からお好み焼きを半分にすると、包み紙ごとふたつに引き離して、片方を葛西へと手渡した。


「あ、あぁ――。ありがとう」


 葛西が少しばかり困ったかのような表情を浮かべてはいたが、ここは道連れになって貰おう。


「朝っぱらからお好み焼き片手に登校とか、どんな絵面なんだよ。これ」


 お好み焼きを手に持つ二人を江崎がさらに茶化し、葛西が負け惜しみと言わんばかりに「いや、最高の焼き加減だぞ」と、お好み焼きを頬張って一言。きっと、佳代子一人では食べきれないことを分かっていながら、葛西が見せてくれた優しさなのであろう。


 ほんの少しばかり、いつもの三人に戻れたような気がした。ちょっと前までは、こうして三人で学校に向かい、学校の近くの寮で沙織と合流して――。ただ、やはり沙織はいない。どれだけ三人が気丈に振る舞ってみたところで、沙織はもういないのだ。


「――どうした? かぁこ」


 二人が普段通りに振る舞ってくれているのに、どうしても心にぽっかりと空いた穴は埋まらない。きっとそれは、表情にも出ていたのであろう。少し茶化しすぎたとでも思ったのか、江崎が顔を覗き込んできた。


「ううん、なんでもないよ……」


 そう答えると、それ以上は聞かずに「そうか」と、話を終わらせてくれる江崎。葛西は何も言わずにお好み焼きを頬張っていた。何往復目になるか分からぬ通学路は、沙織がいないこと以外は何ひとつ変わらなかった。


 しばらく生徒を受け入れなかった学校は、なんだか寂れたように思えた。それでも、登校をする生徒達の姿は、徐々に日常へと戻ろうとしているような気がする。見たくないものを見ないようにして、無理矢理に日常を取り繕おうとしているように見えた。


 葛西の推測によると、クラスメイト全員にメールを送りつけてきた犯人は、それ以前に例の動画を受け取っている。佳代子達は平沢から直接その話を聞いたから、あれが全て偽り――沙織によって作り上げられたものだと知っているが、あれを額面通りに受け取ってしまった犯人は、何者かに乱暴をされたからこそ沙織が死に追いやられたと思っているわけである。だからこそ、その犯人探しをするために、メールを送りつけてきている――。


「でも、どうしてうちのクラスなんだろうね? あの動画を額面通りに受け取っているのなら、さおりんを襲った人物がうちのクラスにいるなんて分かるわけがないのに」


 ここでひとつ分からないことが出てくる。あの動画を素直に解釈するのであれば、誰が沙織を襲ったのかなど分からないはず。実際、あの動画に映り込んでいたのは、イエローヘッズのヘッドである平沢だが、それは動画を解析し、直接イエローヘッズに接触した佳代子達だからこそ分かることだ。仮にイエローヘッズが映り込んでいることに気付けたとしても、それがクラスメイトの平沢であることを知る手段はなかったはず。


「そこが不思議なところなんだよ。こうしてクラスメイト全員にメールが送られていることを考えると、お悔やみ様はクラスメイトの中に犯人――さおりんを乱暴した人物がいると思っている。実際に動画に映り込んだのは平沢だけど、それがイエローヘッズであることは分かっても、うちのクラスと結び付ける発想はできないはずだ」


 三人で並んで廊下を歩く。朝の慌ただしさのようなものが伝わってはくるが、どこかひっそりとしているように――まるで日常にフィルターがかかっているかのように思えるのは気のせいだろうか。日常と非日常の間に薄い膜が張っていて、向こう側が見えるのに手が届かないような印象があった。


「大体、あんな動画を撮影して、さおりんは誰に何を伝えたかったんだ? そもそもの目的が全然分からねぇし」


 分からないことばかりだ。江崎の言葉に佳代子は小さく頷いた。この一連の事件もそうであるが、自殺をする少し前の沙織の行動にも、不可解な部分が多い。


「やっぱり、さおりんのスマートフォンを調べさせて貰う必要があるみたいだな。後でおばさんに聞いてみるよ」


 教室に入ると、やはりどこかひっそりとしているような気がした。何が違うかと問われれば困るのであるが、いつものような活気がないような気がする。

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