第9話

 例の動画を撮影して、沙織は何をしたかったのか。なんにせよ、動画を撮影しただけでは沙織が死ぬ要因にはならないし、野球部はそもそも事故死だ。スピーカーコンビの遼子の件は少し怪しいが、事故死である可能性は充分にある。当然ながら、動画を撮影しただけの平沢に、この事件の全責任があるわけではない。


「もちろんだよ。この一連の事件には、人の不幸を利用して俺達にメールを送り付けている犯人がいる。悪いのはそいつだよ」


 平沢にそう言ってやると「それじゃあ、また学校で――」と付け加えて廃工場を後にする葛西達。外は夜のとばりがすっかりと落ち、夏特有の夜の空気が漂っていた。


「なんだか、ますますわけが分からなくなってきちゃったねぇ――」


 三人で並んで歩く。佳代子が神妙な面持ちを浮かべながら呟いた。葛西はこれまでのことを整理しながら小さく頷いた。


「あぁ、あの動画はさおりん自身の意思で撮影されたものだった。そして、イエローヘッズに乱暴されたという事実すらなかった……。つまり、イエローヘッズに乱暴されたから、衝動的に命を絶ったという推測は成立しなくなった。じゃあ、どうしてさおりんは自殺なんてしてしまったんだ?」


 警察の調べでは、沙織の死に事件性はないということになっている。なんだかんだで、今の警察は実に優秀だ。安易に見落としたりするようなことはない。事件性がないということは、自殺であると断定されているということだ。


「ただよ、お悔やみ様を真似して俺達にメールを送ってきている奴は、さおりんが殺されたと思ってんだよなぁ。これもわけが分かんねぇ」


 江崎の言葉に、葛西は頭の中で整理できたものを、順番に並べ立てる。確かに、お悔やみ様を名乗る人物は、わざわざ沙織の名前を使って、自分を殺したのは誰なのかと問う文面を送り付けてきている。お悔やみ様を名乗る人物が、沙織は殺されたものだと思っている証拠だ。


「それは単純に、あの動画を率直に受け取っているからだと思う。何者かに乱暴されたからこそ、さおりんは自ら命を絶つまでに追い詰められてしまったとね――。動画にイエローヘッズの姿が映り込んでしまっているとか、あれがさおりんによる、ある意味自演動画であることには気付いていないんだろう。ただ、これらの事実から分かることがひとつだけある……」


 正直、平沢から話を聞いたところで、葛西は暗礁あんしょうに乗り上げてしまっていた。これからどうするべきなのか、何をやるべきなのかを見失ってしまっていたと言ったほうがいい。それでも、何とか手がかりを掴もうと頭の中を整理した結果、当然のことが答えとして浮かび上がった。


「少なくとも、俺達より先に例の動画をさおりんから受け取った奴がいる――。一人とは限らないけど、それさえ分かれば犯人は大きく絞れるかもしれない」


 あの動画は、沙織の意思によって撮影されたということが明らかになった。そして、撮影された動画は沙織が用意したスマートフォンの中に収められていたことも間違いないだろう。すなわち、動画が撮影された段階で、当然ながら動画の原本は沙織しか持っていなかったことになる。これが、沙織の死後になってクラスメイト全員にばら撒かれることになるのだが、しかし、動画の劣化具合から、どうにも原本を直接送ったようには見えなかった。よって、犯人は葛西達より先に沙織からメールで動画を受け取り、それをネット上にアップして転送したと考えられる。


「前もって動画を受け取った人物――。あ、さおりんのスマホがまだ残ってるなら、その履歴から犯人が分かるかもしれないってこと?」


 佳代子の言葉に葛西は頷いた。もし、沙織のスマートフォンを調べることができるのであれば、沙織がメールを送った痕跡を見つけることができるかもしれない。それを調べれば一発で犯人にたどり着ける可能性があるのだ。


「おばさんに聞いてみるか……。さおりんのスマートフォンがどうなったのかよ」


 もし、葛西達にやるべきことがあるのだとすれば、江崎の言った通り、沙織のスマートフォンが渡ったと思われる人物に、その所在を確かめることである。進退を繰り返す事件を切り開く道は、案外すぐそばにあったのかもしれない。


「あぁ、そうしたほうがいいかもしれない。月曜からは学校が始まる。これまでみたいに自由には動けなくなるだろうから、さっさと調べておいたほうがいいかもしれない」


 月曜日からは学校が始まる。最初こそ午前放課などで様子を見るのかもしれないが、学校が始まれば当然ながら拘束される時間が増えることになり、これまでのように自由に調べ回ることもできなくなるだろう。犯人を突き止めるためには、早々と立ち回るべきなのかもしれない。


「だったら、このままおばさんのところに向かうか? ちょうど、近所っちゃ近所にいるわけだし」


 江崎の提案に乗りたい気持ちもあったが、しかしおばさんの心情を察するに、それはやめておいたほうがいいように思えた。引っ越しの作業で疲れているだろうし、亡くした娘の荷物を部屋に運び込み、感傷に浸っているのかもしれない。そこに顔を出すのはどうかと思う。


「いや、学校が始まっても、おばさんにそのことを訊くタイミングは幾らでもあるだろうから……。おばさんのところに寄って終電を逃したら、それこそ目も当てられない。今日は大人しく帰ろう」


 イエローヘッズと接見しただけでも、今日は大きな仕事をひとつやり遂げたと言ってもいい。中途半端なところで暗礁に乗り上げつつあるが、無理に情報集めに走る必要もないだろう。急がば回れ――なんて言葉もあるくらいだし、慌てなくとも事件は逃げない。


「そうするか――。今日のところはこの程度にして帰ろうぜ」


 おばさんの引っ越しを手伝い、その足で街にまで出てきたのだから、正直なところ疲れていた。しかも、イエローヘッズなんて相手と会ったから、気疲れまでしてしまっている。甘えとかそんな問題ではなく、素直に帰って休んだほうがいいだろう。


 佳代子は疲れて眠くなってしまったのか、目をこすりながら、こくりと頷いた。葛西ですら不慣れなことをしたのだ。イエローヘッズなどと全く縁のない佳代子からすれば、今日の体験は大いに疲れたことであろう。


 バスの時間までコンビニで過ごし、客の少ないバスに乗って駅まで戻る。車内特有の白い蛍光灯の色が、なんだか寂し気に映った。


 この時間でも人の流れはあるのだが、駅前はすっかりと寂れてしまっていた。終電が近いため、駅に用事がある人間は少ないのかもしれない。切符を買い、またしても無駄に明るいホームで電車を待つ。ホームの電灯には、無数の羽虫が群がっていた。


「――さおりん、どうして死んじゃったのかな? 何をしたかったんだろう。悩みがあるなら言ってくれれば良かったのに」


 羽虫の群れを見つめていた佳代子が、誰に言うでもなく呟いた。


「さおりんのことだから、俺達に迷惑かけたくなかったんじゃないかな……。そういうところ、さおりんらしいと言えばさおりんらしいけど」


 葛西の言葉に、江崎は妙に納得したかのように頷いた。いつも明るく、自分の弱さなんて滅多に見せなかった沙織。いや、自分の弱さを見せるのが下手くそだったと言うべきか。イエローヘッズに乱暴されたわけではないことは分かったが、ならば沙織はなぜ自らの死を選んだのか。何かしらの悩みがあったとしか思えない。


「俺達が気付いてやらなきゃいけなかったのかもな――。幼馴染失格ってやつだ」


 江崎が自虐的に呟くと同時に、電車がホームへと入ってきた。電車に乗って、それぞれの家に帰り、そしてきっと泥のように眠るのであろう。それぞれが、沙織の死と向き合いながら……。自分の不甲斐なさを実感しつつ、葛西達は電車に乗り込んだのであった。


 ――月曜からは学校が始まる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る