第8話

 きっぱりと言い切った平沢。この期に及んで嘘を言っているようには見えなかった。沙織が何の目的を持ってして、平沢にこのような話を持ちかけたのかは分からないらしい。


「さおりんの指示に従った――ってことは、あれらの構図も全部さおりんが考えたものなんだよな?」


 まるで何者かに襲われる直前であると思わせるような動画。所々にボロはあったものの、それなりに沙織も役者になっていたと思う。あの動画を撮影した目的はどこにあったのだろうか。わざわざ手の込んだことをして、沙織は何をしたかったのか、なぜ動画を撮影した当日に自ら命を絶ってしまったのか。まだまだ分からないことは多い。


「あぁ、そうだよ。誰かに襲われているような構図にしたいと言い出したのも彼女だ。僕は彼女の言う通りに動画を撮影しただけだよ」


 平沢は沙織の指示通りに動画を撮影しただけ。それを撮影する意図などは一切知らされていなかったようだ。その意図は、残念ながら葛西にも分からない。本人はこの世にいないわけであるし、真相は闇の中に葬られてしまったことになる。


「――何か、気付いたことはなかったかい? 何でも構わない。少しでも彼女の死に関する手掛かりが欲しいんだ」


 平沢が知っている情報は、恐らくここまでだろう。けれども、沙織が命を絶つ直前に会っているのが、平沢であることも事実である。些細なことでも構わないから、当時の沙織のことを知りたかった。あの時の沙織が何を考え、そして何を思っていたのか。小さなことでもいいから情報が欲しい。


「強いて言うなら、随分と思い詰めたような顔をしていたかな……。ほら、彼女は元々明るくて、人に弱さを見せたりはしないタイプだったでしょう? でも、あの時は元気がなかったと言うか、落ち込んだような様子だったよ。何か悩みでもあったのかもしれない」


 その言葉に佳代子が小さく唸る。江崎も心当たりを探るように首を傾げた。もっとも身近にいた葛西達には、微塵もそのような気配を見せていなかった沙織。当時、彼女は何かしらの悩みを抱えていたということなのだろうか。


 平沢の言葉が最後であったかのように、再び廃工場には静寂が訪れた。日野が戻ってきて、缶コーヒーを葛西達の前に並べた。平沢が手を伸ばして缶コーヒーを手に取る。


「平沢、撮影した動画は君がまだ持っているのか?」


 同じく缶コーヒーに手を伸ばした葛西は、平沢に何気なく問うてみた。会話を繋ぐために口から出た言葉だったが、言った後になって、中々に的を射ている質問だったことに気付く。


「いや、そもそもあの動画を撮影したのは僕のスマホじゃないからね。少し前の型だったけど、彼女が持ってきたスマホで撮影したんだ。だから、僕は例の動画の――原本というかな。そういうのは持っていない」


 動画の中で沙織は自分のスマートフォンを取り出している。だからこそ、撮影に使用した媒体は別のもの――さしずめ平沢のスマートフォン辺りだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。


 世の中は便利になったというか、カードを移し替えるだけで使用する媒体を変更することができる。恐らく、機種変更をして不要となっていたスマートフォンにカードを挿し、動画を撮影したのであろう。なぜ、ここまで手の込んだことを沙織はしたのであろうか。


 動画の原本――。これは、かなり重要な問題であった。あの動画をクラスメイト全員に送るためには、当然ながらそれ以前に動画の情報を持っていなければならない。今となっては、クラスメイト全員が持っていることになるが、そうなる以前、あの動画を持っていた人間はかなり限定されることになる。つまり、クラスメイトに動画が行き渡る以前に動画の情報を所持していた人間こそが、くだんのメールを送り付けてきた犯人なのかもしれないのだから。


「平沢、疑うつもりはないんだけど、念のためにスマートフォンを確認させて貰っていいか?」


 平沢が自身のスマートフォンで例の動画を撮影したのであれば、犯人の可能性が出てくる。


「あぁ、別に構わないよ。好きなだけ調べてくれ」


 平沢はそう言うと、スマートフォンをテーブルの上へと置いた。それを拝借すると、一通り調べてみる葛西。当然ながら、動画のフォルダーには、あの動画は見当たらなかった。


 平沢が犯人である可能性はある。しかしながら、もし犯人であるならば、葛西達が沙織の死の真相を調べていると知って、わざわざ会おうと考えるだろうか。普通に考えれば、それを拒否するはずだ。しかし、平沢は葛西達と会って話すことを選んだ。これまで隠し立てしていた正体を明かしてしまうにも関わらずである。これは葛西な勝手な推測ではあるが、どこか後ろめたさがあったのではないだろうか。クラスメイトに送られてきた動画のことを、ただ一人だけ知っていることに対する後ろめたさだ。


「ありがとう。これ以上、調べる必要もなさそうだ」


 平沢の心理的側面を読み取るに、まず彼が犯人であるということはないだろう。葛西はスマートフォンを平沢に返すと立ち上がった。もう少し話を聞きたいところだが、そろそろ切り上げたほうがいいだろう。


 平沢の言う通りの事実なのであれば、動画の原本は沙織自身が持っていたことになる。次の問題は、それがどこへと流出したかだ――。平沢に会うことによって大きな前進を見せた事件ではあるが、肝心な部分は分からず仕舞いだった。それは別の観点からのアプローチを試みるしかないだろう。


 出されたものは頂いておかないと失礼にあたる。葛西はプルタブを引いたばかりだったコーヒーを飲み干すと、空き缶を片手に口を開いた。


「ありがとう平沢。俺達はもう行くよ――」


 葛西の言葉を受けて、やはりまだコーヒーに口をつけたばかりだった江崎と佳代子が、同じように慌ててコーヒーを飲み干した。ただ、別のところに入ってしまったのか、佳代子が盛大にむせた。それが落ち着くのを待ってから、今度は平沢が口を開く。


「葛西君なら分かっていると思うけど、僕のことは――」


「あまり感心はできないけど、クラスでの君の立場を悪くするつもりはない。心配せずとも黙っておくよ」


 近辺の高校生が恐れるギャンググループのリーダーが、実は同じクラスの人間だった。クラスメイトを一度に失った教室に余計なスキャンダルはいらない。平沢がこれまで守り続けてきたものがあるのならば、それを無理に壊すつもりはなかった。


「悪いけどよろしく頼むよ。青春は謳歌おうかしたいけど、僕は大学にも行きたいんだ。このことが公になると内申点にも響きかねないからさ――」


 もっと明るい青春なら幾らでもあるだろうに……。間違っても薄暗い廃工場を根城にして悪さをするギャングのヘッドが青春だとは思えない。若気の至りであると言いたいのかもしれないが、青春の方向性を改めたほうがよい。もっとも、平沢がそれで良いのであれば、口を挟むつもりもないのだが。


「分かったよ。それじゃあ、俺達は電車の時間があるから、この辺で――」


 葛西がそう言ってきびすを返すと、平沢の弱々しい声が飛んできた。これまで見せていた態度が全て虚栄を張っていたと思えるほどの、実に弱々しいものだった。


「あの、葛西君。浦沢さんが死んだのって、僕のせいじゃないよね? クラスの人間が死んだのだって、僕のせいじゃないよね? 僕が浦沢さんのお願いを聞いたから、こんなことになってるわけじゃないんだよね?」


 ふと、平沢の心情が流れ込んできた。動画が撮影された日の夜半に、沙織は自ら命を絶った。そして、連れて行かれるように亡くなった野球部員。そのタイミングで、自分が撮影した動画が、何者かの手によってクラスメイト全員にばらまかれた。撮影した本人である平沢からすれば、ここしばらくの出来事は堪えていたことであろう。だからこそ、一人で抱え込んでいられなくなり、葛西達に会うつもりになったのかもしれない。

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