第2話

 みんないつも通りに振る舞ってはいるようだが、今回の一連の事件に怯えや不安があるのだろう。固まって馬鹿話に興じているグループの姿が、なんだか空元気に見えてしまい、痛々しかった。


 自分の机に座り、本を開いている平沢が、ちらりとこちらを見た。表情には出さないものの、事件の核心に近しい彼の心情もまた、穏やかなものではないだろう。


 そんな教室で、ひときわ負のオーラをまとったクラスメイトがいた。普段通りに振る舞おうとするクラスメイトとは真逆であり、席に座ったまま虚ろな視線を宙に投げている。どこを見ているのか、何を考えているのかも分からない。声をかけることさえはばかられるような女子生徒。スピーカーコンビの片割れである根岸理子だった。


「根岸のやつ、かなり落ち込んでんな――」


 江崎が自分の席に向かいつつ呟いた。江崎と葛西、そして佳代子は席が近いため、とりあえず江崎に続いて自分の席に座る。


「誰が程島と仲が良かったかと言ったら、間違いなく根岸だからね。そっとしておいてやったほうがいい」


 葛西が荷物を机の上に置きながら声を潜めた。きっと、他のクラスメイトも、葛西と同様の理由で理子に近づかないようにしているのであろう。むしろ、彼女自身が人を寄せつけぬ雰囲気を発していた。


「結局、程島さんの事件はどうなったんだろう?」


 葛西につられて佳代子も小声になる。遼子の事件に関しては、事故の可能性もあるが、事件性も充分に考えられる。その辺りのことは、いずれ分かるであろうが、口にせずにはいられなかった。


「それも、今日の集会辺りで分かるんじゃないか? その辺りのことは他の生徒も気になっていることだろうし、不安の根源でもあるからね。まぁ、学校側もダイレクトに伝えることはないだろうけど、事故だったら事故と断言すると思う。逆に事件性があるなら、ぼかした話し方をするだろうし――。なんにせよ、校長のリアクションで、ある程度の判断はできそうな気がする」


 葛西は常に佳代子の思考の幾つか先を行っている。昔からそうだが、改めて凄いと思う。頭の回転が早いというのに、それを鼻にかけない辺りも昔から全く変わらない。


「よう、葛西。おはよう」


 こちらが着席したのを見て、自分の席から立ってこちらにやってきたのは野沢だった。今日は委員長が一緒ではないが、事件が起きた当初、身体検査なんてやってのけた彼のことだ。きっと事件の話をしに来たのであろう。


「おはよう」


 葛西がそう返すと、野沢は顔を近付け、内緒話をするかのように声を潜める。もっとも、それは近隣の席にいる佳代子達にも聞こえる程度の音量ではあったが――。


「程島さんの件、事故だってな……。ちらっと耳に挟んだだけなんだが、警察は事件性なしと判断したみたいだ。こうも立て続けに事件が起きると、ホームルームを開ける雰囲気でもないから、とりあえずお前の意見が聞きたいんだけど」


 野沢の話を聞いて、どこか胸を撫で下ろした自分がいた。遼子が死んでしまったということは変わらぬ事実なのだが、佳代子の中では他殺と自殺で大きく意味合いが異なってくる。


「程島の件が事故だとすると、野球部の時と同じく、事故に便乗してメールが送られたことになるか……。けれど、どうして程島は、あんな時間に学校なんかにいたんだろう?」


 遼子の件が事故だったと分かったところで、不明な点は残されている。つまり、そのシチュエーション自体が妙なのだ。遼子が屋上から転落してしまった時間帯は、当然ながらすでに学校が終わっていた時間だ。それなのに、遼子はどうして学校にいたのか。何をしようとして、夜の学校へと足を踏み入れたのであろうか。


「その辺りのことを根岸に聞いてみたいんだけどさ、ほら――あんな具合だろ? なんだか話しかけにくくて」


 相変わらず声を潜めながらも、野沢の視線は理子のほうへと向けられていた。完全に魂が抜け切ってしまったような理子に、親友の話を聞こうとするのは流石に無神経だ。周囲から天然だと言われている佳代子にだって、それくらいのことは分かる。


「少し時間を空けてやったほうがいいかもな。あの様子じゃ、しばらくは立ち直れそうにもないし」


 視線を集めてしまうことで本人に気付かれてしまうとよろしくない――。そう考えたのか、あえて葛西は明後日のほうを向きながら答えた。つられて葛西が向いた先に視線をやると、席に座ってニタニタとしている影山の姿があった。誰に近くにいないのに、何かをぶつぶつと呟いているようだ。その合間にニタリと笑みを浮かべるものだから、気味が悪くて仕方がない。失礼な話だが、佳代子にとって影山は、生理的に受け付けない人種であった。


「――だよな。全校集会じゃ、そこまで詳しいことは分からないだろうし、やっぱり改めて根岸に話を聞いたほうがいいよな?」


 どうやら、野沢は理子に話を聞くべきか否かを迷っていたようだ。そこで、葛西に意見を求めようとしたわけか。まぁ、気持ちは分からなくもない。


 仲の良かった理子ならば、遼子があの日、どうして学校にいたのか知っているかもしれない。ただ、今の理子に遼子のことを聞くのは、傷口をえぐる行為でしかない。聞き出すのであれば慎重にやらないと、理子が口を開け閉ざしてしまうかもしれない。


「とにかく、今はその時じゃない。根岸がもう少し落ち着くまでは、そっとしておいてやるべきだよ」


 葛西がそう言うと、まるで「そうだな」と相槌を打つかのようにして、野沢は肩をすくめた。野沢も野沢で色々と事件に向き合っているようだが、どうやら進展はないようだ。例の動画の謎までたどり着いた佳代子達でさえ、足踏みをするしかないのだから、当然と言えば当然だ。


 理子に話を聞くのは、じっくりと様子を伺って、彼女が心情的に落ち着いてからのほうがいい――。葛西と野沢の二人で意見を合致させたわけであるが、それを根底から覆すようなことが起きた。


 騒がしい教室を装っていた佳代子のクラスに、バンと机を勢い良く叩く音が響いた。何事かと音がしたほうに視線を移すと、理子がすっと立ち上がる。静まり返る教室。みんなの視線は目を血走らせた理子に集められていた。


「――誰? あの日、遼子と学校で会っていたのは誰なのっ!」


 急にヒステリックを起こしたかのように、声を荒げる理子。ステレオの片方が壊れて音が割れてしまったモノラルスピーカーからは、怒りだけがあふれ出していた。誰も声を出せず、呆気に取られたまま、ただただ理子から視線を外せずにいた。


「知ってるのよ。あの日、遼子が学校で人と会う約束をしてたこと――。遼子、お悔やみ様に会いに行ってくるって私にメールを送ってきたんだから! 危ないかもしれないから止めておけってメールをしたのに、遼子は――遼子は!」


 夜の学校に忍び込み、そして屋上から落下してしまった遼子。どうして学校にいたのかは不明なままだったが、理子の話が本当ならば、遼子は誰かに会うために学校へと向かったようだ。――お悔やみ様に会いに行く。ということは、クラスメイトにメールを送り付けてきた犯人を割り出して、接触を試みようとしたのだろうか。


「ひひひひひひっ……。変に嗅ぎ回るから、お悔やみ様に祟られたんだよ。触らぬ神に祟りなしって言うだろう? 程島も馬鹿だなぁ」


 そこで無神経な言葉を発したのは、クラスのはみ出し者である影山であった。親友を失ってしまった理子に対して発する言葉にしては、あまりにもデリカシーがなく、無神経なものだった。


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